兼松孝行の日々つれづれ

2001年08月15日(水) 生と死

今日、オイラの職場での初めてついた上司が息を引き取った。
オイラの直属の上司がなくなるのはこれで二人目である。
偶然の一致かもしれないが、いい人程短命でこの世を去っていくのかな。

人が死ぬこと、ましてや知ってる人が、身内が死ぬことはとても辛いと同時に改めて死とは何か生とは何かを考えざるをえなくなってしまう。
以前、「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」という芝居を見ていて「死ぬってことは、何にもなくなってしまうんだぞ」というセリフが胸に突き刺さった。
それはきっとそのセリフが全てではなく、きっかけの一つだったんだろうけど、それから何となく人の死について考えるようになった。

職場に話を戻すと、職場では町内でなくなった人の情報が回覧されて来る。
時期によって数の大小はあれどもほぼ毎日なんらかの形でなくなって人の情報が流れて来る。
そしてオイラ達はその書類を元に、この人はもうこの世にはいませんよという事務所処理を行なっていく。
そうやって間接的に人の死に触れている所為もあるんだろうか、何となくその死亡者連絡票を見る度に、いったい死んでしまうとはどういうことなんだろう、自分がなくなるってことはどんな気持ちなんだろう、死んだ後でも気持ちは残るんだろうか、人生が終わってしまうことって・・・・いろんなことを考えてしまうのです。
結果が余りに客観的だからかえって想像力が膨らんで行くのかも。
きっとオイラが医者かなんかで具体的に人の死を見つめている立場だったらもっと観念的な世界で考えるか、反対に自分の死そのものも客観視してしまうんだろうなあ。

そして今日の上司の死。
死んでしまった上司はどんな気持ちで死んでいったかなんてことは全く分からないけれど、きっと幸せには死ねなかったんだろうな。

オイラがオイラの人生を閉じるその瞬間まで、きっとんなことばかり考えていくのだろう。

ん−、なんだか混乱しているオイラ。


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