ここ数日うだうだ落ち込んで凹んで 各方面に心配をかけ、 なおかつ十分なお礼もできないまま なんとなく実習実習で 後回し後回しになっているすべてのことを
ぜーんぶぜーんぶ
解消するのはちょっと無理だとしても 取りあえず、落ちるところまで落ちたので 這い上がるか立ち止まるかしかできないところまできた
歌を聴きながら泣けてくる日々も しばらくはなくなるかな?なんて思いつつ
取りあえず。
前向きにしか生きられないし、 それしか取りえもないし、 向いてない向いてないと思っている今の勉強も 結局は「人を幸せにしたい」 どんな形であれ「人を助けたい」 漠然としすぎて、また大きすぎる目標だから なんだかうそ臭いところもあるけれど、 目指しているところは間違ってはいないのかな、なんて。
正直なところ、資格さえ取ってしまえば 就職する形は様々な形となってきている職業だし。
『自分の存在意義は』
私は周りに期待をかけられて、 期待を裏切らない程度に、 期待する人の思い通りに生きてきてしまったような気がする。 それが楽だった。
何も考えなくていいから。
そうやって生きてきたら、 気づいたら、別にそれほど望まれなくなっていて だから、自分という存在に対しての価値なんかわからなくなって。 それでも必死に、数少ない自分のことを大切に思ってくれている人に 自分で自分を卑下することが失礼に値する、と。 自分で自分を潰してしまうのは、期待に反すること、と。 ずっとそうやって自分を保ってきた。
今でもそれは続いている。 なくなったわけではない。
けれど、結局は自分という人間がどこまで通用するかなんて 自分一人対社会の勝負で。 どこでだって負けられないし、 一応今までは勝ち組に居座りつづけていた。 (例え自分が納得行く結果でなくても)
今日だって友人に言われた 『シオがいなかったらこの集まりはありえない』 『シオがいたから気持ちを救われた』 その言葉が、一瞬でも本当にそうやって思われていたことが 今まで自分を否定しても「それでも」と 肯定しつづけたことを他者からの了承をしてもらえた瞬間でもあった。
どん底まで、落ちるところまで落ちたら 這い上がるか、立ち止まるしかない。 今度は、ここまで落ちる前に何とかしたいし、 二の舞にならないよう、ここで止めておかなければならない。
別に、自分に価値とか意義とか いざとなれば本当は必要ないのかもしれない。 底抜けの明るさで、悪いところを探し当ててしまえばいい。 悪いところも、光を当てて昇華してしまえば。 そんなことができるまでにはきっと時間はかかるけれど、 結果おーらい。
無責任で、でも信じたくなる言葉。
「大丈夫」
お酒が入ってハイテンションの上、笑い上戸。 後ろ向きパワーを残らず前向きパワーに変換させようという 今の気持ちができれば長く続くように。
また這い上がれる力をくれる人に、 一生涯の友人たちに 「私はこうしている」と 胸を張れるように、生きたいと思う。 取りあえず今は、それが私にできる精いっぱい。
読んだよ〜とか、面白かったよ〜とか、がんばれよ〜とか(笑)
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