昔から自分の突拍子もなさはよくわかっていたつもりだけれど それを人に理解できるとも思ってはいなかったけれど 自分の中でそれは全部自己完結されているものなので けして自分の中では突拍子もないなんてことはなくて むしろずっと追っていけばつじつまも合うのだけれど
昔から数学の証明問題が苦手だったかもしれない 数学もかなり途中式をすっ飛ばしていたほうだ。 いつぞやかさすがに先生に 「答えは合ってるけど、途中式も書いてね」と。
あは、ごめんね。 途中式消しちゃったv
わざわざね。
途中式って汚いんだもん。 くちゃくちゃって 小さく書いちゃって。 思考の過程なんて なんにしろキレイなものではないような気がする。
そんな風に途中式をすっ飛ばして答えだけを答える そんな付き合い方をしていると 一緒にいる人はびっくりするね。 そして、今でも途中式は可能な限りすっ飛ばしている(笑) だから、説明しろって言われたってわかんないv(おい;)
直感は大切だよ。 激情に流されてしまう時もあるけれど。 それも時には大切だけれど。 それを大切にしながらも、ちゃんと振り返って 自分の思いに沿っているか、 自分の思いに反していないか、 そこにたどり着いた直感と言いつつも、 結局は自分にとっての正しいと証明しなければならないのだから、 証明問題になるのだけれど。
そうだな。 今やってる看護でも同じなのかもしれない。 やらなきゃいけないこと、 アレとコレとソレとがあって、 それを行う理由と根拠があって、 行った結果それぞれこんなことが起こって、 だから、やっぱりアレとコレとソレが必要なんだ。
ほら、証明問題♪
苦手苦手と思っている証明問題も、 意外や意外、こんなところで出逢うなんて。
直感といったソレが、 ひらめきだと思ったソレも、 証明できる、自分の思考の過程の延長上に あるモノなのである。
だから、それらの直感も、ひらめきも、あるときは激情も 大切に暖めてあげることも必要じゃない?
読んだよ〜とか、面白かったよ〜とか、がんばれよ〜とか(笑)
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