日記でもなく、手紙でもなく
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炭疽菌ばら撒き騒動も、テロと断定されつつあります。 それでも今までは、アメリカ合衆国内の騒ぎと、対岸の火事のように見ていたところがあるように思います。
ところが、これがケニアに飛び火し、どうも同じようなテロ絡みのものらしいし、それだけではなく更にアルゼンチンにも不信な郵便物があって、炭疽菌の疑い濃厚という記事をみかけたりもします。
こうなると、一気に不安が広がってきます。 対岸の火事どころか、明日はわが身かもしれません。日本には、ワクチンも用意されていない、というようなことも、一層不安感を高めてしまうことにもなります。
たまたま、昼に別の会社のSさんとお茶を飲んでいたとき、そんな話もでてきました。 「Sさんのところ、自分の席まで、アメリカのほうから、封書とか定期刊行物とか結構届くでしょう?」と聞くと、待ってましたとばかり、「だから、急にこれはヤバイと思って、どうしようか――と」。 「やはり、使い捨ての手袋と、マスクを用意しておくとか――」 「いや、その前に郵便物を触る人が誰もいなくなるかも。」
やはり、ケニアへの飛び火記事とかを見ると、誰しもそんなふうに感じてしまうようです。 <日本は狙われない>という保証はどこにもありませんし、そこがまさにテロが本来的に持っている問題の核心です。テロ根絶というのは、並大抵のことでは不可能だということも、やはり心にとめておかなくてはいけません。
持久戦というよりも、神経戦みたいな気配に変わり始めているような兆候を感じます。
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