日記でもなく、手紙でもなく
DiaryINDEX|past|will
2001年10月25日(木) |
ボサノバ・レコード事典 |
ボサノバという音楽のことを、面と向かって嫌いという人というのは、あまり聞いたことはありません。JAZZはよくわからないとか、土臭い音楽はダメとか、クラシックななじめない、などということを時々耳にするわりには、ボサノバというのは、比較的日本人にとって受け入れやすい音楽になっているような気もします。
日経朝刊の文化面に、日銀の山形事務所長の宮坂氏が、ボサノバのLPコレクションをしていて、その2000枚のストックから570枚を選び、ボサノバ・レコード事典作成のために、宮坂氏含め7人で解説を分担、11月下旬に発刊されるということを、自ら書き綴られていました。
ボサノバというのは、ブラジル本国でも、あまり記録が残っていないらしく、その意味で、かなり貴重なボサノバ・レコード解説書になりそうです。既に出版されているボサノバの歴史みたいなものは、そのボサノバ史に関わったアーチストやプロデューサーなどにインタビューを重ね、あるいは残っている雑誌や新聞などの記事資料から再構成していくことにより、(簡単ではないものの時間をかければ)できないことではありません。既に出ている(翻訳された)ボサノバの歴史などの大部の書物については、おそらくそのような形でまとめられたものと考えます。
ところが、レコードというモノに纏わる資料というのは、結構頼りないものになっています。 頼りない理由というのもいくつかあって、当時の録音テープの箱が、例えば紙箱だったりすると、箱の裏にメモを書いていても、その箱が破損してしまうと、箱ともどもメモも消えてしまいます。中にいれて置かれたメモも、紛失するようなことは、ちょっとしたモノの管理をしている人なら、すぐ思い当たるのではないかとも思います。 テープだけになってしまうと、一体それが何かわからなくなってしまいますし、テープそのものが紛失してしまう、あるいは廃棄されてしまうこともないわけではありません。
レコード会社などにこまめな人がいない限り、歌い手ははっきりしていても、参加アーチストなどのクレジットが紛失してしまっていたり、もともと記載すらされていなかったり、録音した日付についても、書かれていたり書かれていなかったり.... ボサノバに係わらず、ポピュラー系の音源ではもっとよくあることだろうと思います。メジャーレーベルなら、管理方法が決められていたかもしれませんが、マイナーなレーベルでは、そのような基準なども持っていなかったかもしれません。当時から音楽ビジネスが他の国よりも発展し、先行していた米国ですら、ポピュラー系の盤では、録音年すらわからなくなっている音源も多々あるようです。
まして、ブラジルです。中南米諸国の中で、ブラジルだけは言語が違うとはいえ、ラテン系といえばラテン系。録音年や参加アーチストなど、録音時の記録が、米国などよりも残っていない可能性は一層高いのではないかという気もします。恐らくボサノバの初期段階では、マイナーレーベルのものが中心にあったように思いますし(メジャーレーベルはまだまだそこに触手を伸ばしていなかったように思いますし)、そう考えれば考えるほど、録音・収録の記録を探し出すのは難しそうです。
残るは、商品として流通したレコード(アルバム)そのもの。LPレコードそのものに付されている中央のレーベル(カタログNo.)や、ジャケットに記載されたことがらなどから、何時くらいのものかなどを推定していくことになります。紙のジャケットに入れられた(あるいはジャケットすらなく、紙のフォルダーに入っただけの場合もある)LPですから、ある程度きちんと保管されているものでないと、それらを推定することすら難しい場合も出てきます。
モノさえ残っていれば、できるだけその当時のままに近いモノさえ残っていれば、当然音は聞こえるし、音が聞こえればその音楽やアーチストも想定できる場合もあります。更に、レーベルやジャケットからその他のことがらについても推定できる可能性もあります。ジャケット裏面に、ライナーノートを書いている人がいれば、その記録から人を媒介にして、当時の状況などを手繰っていけることもありそうです。
レコード事典というのは、資料が揃っていなくて、収録された時期や参加アーチストを推定していく場合でも、あるとないとで大違いということも出てきます。その意味で、ボサノバのレコード事典というのは、結構貴重なのではないかと思っているところです。
|