日記でもなく、手紙でもなく
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2002年07月30日(火) <キプリングの日本発見>

 ラドヤード・キプリングといえば、「ジャングル・ブック」の著者として、あまりにも有名な作家である。
 そのキプリングが、実は明治時代に日本を2回訪問しており、その訪日記録がかつて出版されていた。しかし、時代を経るうちに、当初の文章が削除されたり修正されたりして、当初書かれた内容とはかなり程遠いものになってしまったらしい。

 1980年から84年にかけて、駐日英国大使を務めた(Sir)ヒュー・コータッツィ氏と、キプリング協会が発行する機関紙(Kipling Journal)の編集長を20年間務めたジョージ・ウェッブ氏は、キプリングの訪日記を当初発表されたままの形で編集し直すと同時に、かなり詳細な解説と注を付し、1988年に<Kipling’s Japan>を発刊。1988年というのは、まさにキプリングが最初に日本に来てから、ちょうど100周年にあたる年である。
 この本の翻訳書が、今年6月、中央公論新社から発刊されているのを1週間ほど前に本屋で見つけた。

 第一回目の来日は明治22年、キプリングがまだ無名の23歳の時。ラフカディオ・ハーンが日本にくる少し前の明治である。
 キプリングの驚異の眼差しの中で、長崎、瀬戸内海経由神戸(船の旅)、大阪、京都、(とりわけ興味深い)京都から横浜に至る東海道汽車の旅、箱根、日光、東京などのエリアと明治という時代が、まさに追体験できるような本だ。

 翻訳にあたった青山学院女子短期大学の加納孝代教授の後書きによると、いかにキプリングの描写が正確であったかがよくわかる。

 ただ、今回読んでいた中で、日本の描写そのものだけでなく、一点米国人のことを皮肉たっぷりに、しかしその本質(の一部)を見失うことなく記述しているくだりがあって、唖然とするほどに面白かった。
 [ 日本には大勢のアメリカ人宣教師がいて ・・・・(中略)・・・・ 彼らは日本人に「進歩」という観念を浸透させつつある。そして、隣人を出し抜くことや、自分の地位を向上させるのは良いことであると、より一般的に言えば、生存競争の中に入っていって粉砕されるのは良いことだと説いてまわっている。・・・・ ]
 もちろん、キプリングは、良きアメリカ人のことも忘れずに描いているので、そのバランス感覚は極めて優れているのだが。


riviera70fm |MAIL