日記でもなく、手紙でもなく
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2002年08月03日(土) 南青山・根津美術館

 地下鉄・表参道の駅から、根津美術館方向に久しぶりに歩きました。

 途中、右手にPRADAのビル。まだ建築途中(やっと建ちあがってきたところ)なので何ともいえないのですが、決してさほど大きい気はしません。ややこぶりな感じ。
 銀座とともに表参道あたりには、ブランド・ショップの旗艦店が、この2年ほどで急増しました。結構、それらは偉そうな感じにつくられていたりもします。確かに超一流ブランドですから、それなりの権威性というのは、どうしても必要ではあるとも思いますが.....

 久しぶりに根津美術館の中に入ります。美術館入り口の門から美術館の建物まで、敷石の工事をしていて、少し埃っぽい感じです。
 今回は、明日まで開催されている<肥前磁器〜山本コレクションの優品〜>の企画展を覗きにやってきました。70点弱の伊万里と鍋島焼を中心に構成されています。

 日本の肥前を中心にした磁器が、中国清朝の焼き物が内紛により輸出できなくなり、その代わりに日本が技術力を高め、磁器類の輸出をしていくことになる....
 肥前鍋島藩は、藩をあげて技術力向上を奨励し、その礎を築いていくわけです。

 今回展示されていたものを見る限り、福岡で見た故宮博物館所蔵品の磁器というのが、ちょうど清朝期のものだったので、そのへんと比較しながら見ることができました。初期伊万里(17世紀初め〜半ばの頃)の染付(白地に青の文様の磁器)などは、まだまだ白い部分がグレイに近く、青の文様も限りなく黒っぽく見えました。やっと17世紀後半もかなり過ぎてくると、我々が思い描くような染付らしくみえてきます。
 それでも、白地の部分などは、中国の磁器と比べるとまだまだ白くありません。地の美しい白さを出すというのが、いかに至難の技であったか、今回の展示をみることで、またまた再確認をしてしまいました。

 同時に、伊万里らしい色彩とパターン、その美しさが感じられたのが、18世紀近くになって作られた<染錦菊花散文花形鉢>。このレプリカも、売店に売られていましたが、レプリカで何と10万円ほどする価格でした。
 更に、18世紀前半につくられた<染錦団菊文透鉢>あたりになって、かなり繊細な透かし技法の鉢が見られました。伊万里で磁器製造が始まってから100〜150年にして、清朝磁器にやっと肩を並べるくらいになった、というところでしょうか。

 もちろん、一部のものをみただけの印象ですし、当時の伊万里や鍋島のものでも、優れたものはもっとあったのかもしれません。
 かたや、故宮博物館に置かれている<宝物>クラスのものと、かたや個人がコレクションしたものの寄贈品ですから、もともと比べるべきものではないかもしれません。

 根津美術館常設展示の中には、中国・商の時代の青銅器がかなり数多く置かれていて、これも興味深く見ることができました。紀元前25〜11世紀頃という添え書きがされています。本当に古い。どれも、祭祀のような場や空間に用いられたようなもので、それらの一部に形どられている怪獣を見ていると、南米の古代文化などとも限りなく近いような印象を受けてしまいます。

 美術館の外は、茶席の庵があちこちに置かれた庭。池には大ぶりの鯉が10匹以上いるのですが、人が近づくと餌がもらえると思ってか、すぐ足元まで近づいて顔を出してきます。
 以前、もうずいぶん昔のことですが、根津美術館のこの庭の一部の道路から、骨董通りのほうへ抜けられた記憶があるのですが、現在では骨董通り側の門は閉ざされたままになっています。


riviera70fm |MAIL