日記でもなく、手紙でもなく
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2002年09月02日(月) |
聖地のある信者のしあわせ |
9月1日、ルイ・ヴィトン表参道ビルがオープンしたという記事を読む。 地上8階、地下3階。もちろんホールなどもあり、全てが売り場ではないにしても、ヴィトンとしては、世界一の売場面積をもつ巨艦だ。
8月30日から人が並び始め、オープン前日31日の夕方には、数十人の列ができたともいう。 オープン初日の来店客数2800人、売上1億2500万円であったことが報じられていた。そのまま割り算した一人あたり平均購入金額は、一人4万4千円強。 これが多いか少ないかは別としても、たかがバッグ屋に、並んでまで買いたいものがあるのだろうか、という気もしたが、そこは抜かりなく開店記念限定のハンドバッグが用意されていたとのこと。4万円台と6万円台の2種、(合計?)1000個が即日完売。 用意周到である。
これくらいの金額の商品が、毎日これだけの量捌ければ、まさに左団扇で過ごせる、に違いない。
ところで、自分のことを考えると、近年並んでまで買いたいと思うようなものは、何一つなかったりする。それだけ物欲がなくなり、軽やかに過ごせている(?)といえば、そのように言えなくもない。しかし、もう一方では、なんとなく寂しいような気がしている部分もなくはない。 かつては、コンサート・チケットを入手するため列に並び、喜んだりがっかりしたりしていたことなども思い出す。
ヴィトンの大ファンにとって、限定品の価値はそれだけ大きいに違いない。敬虔な信者にとって、この上なくありがたい護符を、ひれ伏してもらっているような図に近い。 信者でないものにとっては、たかだか何の役にもたたない紙切れ一枚にしかすぎない、というように見えなくもないが、果たして皮肉っぽい目線だけで、そう言い放ってよいものだろうか?
護符を手にした信者のしあわせ感は、ただの紙切れ一枚と見る人には決してわからない。 ヴィトンのバッグ、お金で得られるインスタントなしあわせかもしれない、と思うと、欲しいものがないという自分の、どこか寂しい気持ちが見えてくる。
表参道の店は、信者にとっての聖地であり、大本山でもある。欲望の再生産装置ともいえるし、同時にしあわせを持続させる重要なしかけでもある。 しかし、とまた思う。発売期間限定護符というのは、どこまで機能するのだろうか、とも。
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