日記でもなく、手紙でもなく
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2003年01月26日(日) ソースの話:天ぷらにソース、三ツ矢ソースとイカリソースなど

 昨日の日経文化欄に、<食の方言まだ健在>という記事がでていた。天ぷらにソースをかけて食べるかどうか、おでんに何をつけて食べるか、というようなNIKKEI NETによる調査内容をベースに、食事の際の無意識的な行動に、食の方言が隠されている、という内容だった。

 特に、天ぷらにソースをかけて食べる比率を5段階にわけて、都道府県別にその程度がわかる日本地図が掲出されていたのが面白かった。天ぷらにソースをかけて食べる(食べていた)という回答が過半数を占めたのが、和歌山を筆頭にして、沖縄、高知、福井、鳥取、鹿児島、愛媛、奈良、徳山など、西日本の県が多いという。
 記事では、この背後には、明治期大阪で国産ウスターソースを発売した三ツ矢ソースは、そのソースを洋式醤油こと「洋醤」として販売し、洋式の醤油で天ぷらを食べるのがハイカラである、というようなトレンドがうまれたのではないか、という仮説を提示している。
 実際、関西で生まれた私の場合、確かに天ぷらを食べる時、子どもの頃はソースをかけて食べていたような記憶がある。ただ、家族全員がそうであったという記憶はなく、むしろ私1人だけソースをかけて食べていたのではなかったか、とも思う。

 「家族の食卓にでる料理には、母親が育った風土や歴史が溶け込んでおり、それが子供へと疑われることなく伝承される。........」くらしき作陽大の小菅桂子教授のコメントも掲出されていたものの、塩や醤油、あるいはソースをかけて食べる食べないというのは、果して母親の風土・歴史だけなのだろうか、と感じたところもある。甘口系、辛口系(あるいはピリ辛?)などという、好みの味に関しての影響はかなり大きいものだと思うし、調味料の多寡というのは、好みの味と関わるのも事実だろうとは思う。
 しかし、食卓に置かれる醤油やソースの使われ方というのは、全く同じように捉えて良いのかどうか。そのあたりのことについては、ちょっと首を傾げてしまうところも残される。
 有名な、幸島のさつま芋を海水で洗って食べるニホンザル(一匹の若いサルから始まり、若いサルの中で流行し始めた)という例もあることだし。

 三ツ矢ソースが出てきたが、かつて子供の頃、わが家ではやはり関西発祥の<イカリ(錨)ソース>が一番好まれていた。私自身が一番好きなソースだったようだ。三ツ矢ソースがその頃まで残っていたかどうかというのは、全く記憶にないが、現在でも関西以西では、スーパーなどにこのイカリソースは残っている。

 さて、このソースのブランドであるが、子供の頃に使っていたものを、大人になっても使いつづけている確率は極めて高いようだ。
 関東では、このイカリソース、よほどソースの品揃えの多い店にでも行かない限り、まずお目にかかれない。関東なら、どこにでもあるブルドッグは、逆に関西では少なくなる。名古屋はカゴメがかなり強いだろうし。

 私の好みは、当然ブルドックではなく、一時期カゴメ中濃だったものの、現在はキッコーマン・ソースに落ち着いている。

 ソースの話が出たなら、やはり醤油の話も。
 九州で生まれ育った人にとっての醤油も、結構似ているという話を聞く。九州には、それぞれの地元に醤油製造元があったりする。フンドーキンとか、マルキンなどという醤油メーカーがあった。地元だとラジオCMで、良く登場するスポンサーだったように思う。
 関東で生まれ育った人なら、千葉県野田のキッコーマンとか、銚子のヤマサなどが多いだろうし、今やこれらのメーカーは、ナショナル・ブランドとなっているので、それを子供の頃から使っているという人は、関東圏に限らずかなり多いのではないかとも思う。

 恐らくキッコーマン醤油などを(生まれた時から)使っているような人であれば、九州の地元の醤油を使うとかなり甘ったるく感じるのではないか。ただ、このようなナショナル・ブランドを使っているような人の場合、どこへいっても、地元の醤油が口に合わなければ、探せばキッコーマンもヤマサも見つかるに違いない。
 ところが、この逆の場合、えらく困るようだ。キッコーマンもヤマサも、しょっぱすぎて使いたくないという人も多いということも聞く。

 やはり、母親の影響が強いというようなことよりも、それも大きな要素だが、むしろ子供の頃の日常環境そのものが、むしろ味覚に影響を与えているのだろう、とそんな気がしている。


riviera70fm |MAIL