☆言えない罠んにも☆
モクジックス
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2005年10月20日(木) |
When I was a ... |
幼稚園の年中のとき、診療所の二階のバスルームの前で、貧血になった。その時はじめて、自分は他の別の人ではなく、この体の所有者なんだと理解した。 幼稚園に上がる年、ぼくは、診療所の近くの幼稚園に行くために、父とふたり、助手席のサーモンピンクのチャイルドシートに乗って朝出発した。制服は、冬が紺色のダブルのブレザーに臙脂色のボウタイだった。妹と母は前栽のあるおうちから見送ってくれた。幼稚園が終わると、診療所の応接間で本を読んでいた。祖母や母やお客さんがひっきりなしに出入りしていた。挨拶が、自分では上手くできていない気がして、だんだん物を言うのが億劫になっていた。かわりになぜか微笑んでいたらしくて(意識していなかった)よく「別嬪さんね」と言われた。誰でも言われるのだとおもっていたし、濁音や撥音便があるその表現が、価値のあるものに思えなかった。 祖父と祖母はよく旅行に行って、帰ってくると大量のお土産が宅配された。応接間はそれを与えられる場所でもあった。ものはあふれかえって片付けるのが困難だったけれど、たとえば便箋やノートを使うのはいやだったし(同じものはもう手に入らないのだ)妹がぼくよりステキなものをもらうのは耐えられなかった。 年長のとき、はじめてスキーに行った。父と二人でJCの懇親旅行だった。「びわこばれー」がまだどこなのかはっきりしなかった。 まだひとりでおふろに入れなくて、父が一緒につれていってくれた。
次に、自分が、自分の意思でコントロルできるんだと実感したのは4年生のときだと思う。友達の家族と軽井沢にスキーに来ていた。妹は熱を出してロッジで寝込み、父はそれに付き添っていた。母は弟と初心者コースにいた。ぼくははじめスクールに入れられそうになったが、小学校の低学年やもっと年齢が低く見える子もいるそれに入るのがどうしてもいやだった。大人になった今思うと、中学生の子もいたし、むしろ小学生のときなら全然恥ずかしくないのだが、当事者からするとはそうではないわけだ。そんなわけで友達とそのお父さんと中級コースにいた。その帰り、ロッジまでクロスカントリコースをいくことになる。ぜったい転んだり、失敗したりできない。前後に人がいるし、道幅はせまい。カーブ。曲がれなかったら林に落ちる。道は踏み固められて凍っているしアイスバーンがところどころにある。ぼくは足と歯に力を入れた。そして思った。「ナオなんだもの 行けないはずがないわ」自分でがんばって自分のために滑る、っていうのをはじめてした。集中していたんだとおもう。意識が全身に張り巡らされた感じだった。それまでフィーリングでしかなにもやってなかった気がした。時間がすごく遅く感じた。(んー なんか かの飽きてきたしテキトーになってきたから つづく!ようにみせかけて じつはおわり。いみなし!)
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