2001年09月10日(月) |
ペシミスティックなオプティミスト |
百貨店の扉は、空調のためか ガラスのドアが二重に施されている。 外から よいしょっと一枚目を引いて 数歩歩いてまた よっこらせと2枚目を引く。 ・ 押した時は 自分の身体も一緒に押して入るので そういうことは少ないが、 「引」「Pull」の指図におとなしく従うと、必ずといっていいほど 中から人が出てくる。 誰かが出ようとしているのを 私がガラス扉を開けさせて頂いたの図。 あたしは あんたのサーヴァントかいっ と いつも思う。 ・ でも 待てよ。自分が進もうとしているドアが 誰かによって開けられたらどうしてる? 両側に扉のある場合、相対する人は、ほとんど向かって左のドア(開ける本人にとっての右)を 開けるので、私はいくら丁度いいタイミングで開いても もう片方の右側のドアを自分で開ける。 または開けた人が出入りするのを待って自分が出入りする。 みんなもそう? ・ なのにマーフィーの法則のように、わたしが開けたドアは 他の人が出入りし 場合によっては 対向者に阻まれしばらくドアを開けたまま待ちの姿勢なこともあり このあたりになると、職務に忠実なドアマンのように笑みを口元にたたえながら おまえらええ加減にしてくれ と一人いっこくどうの如く 小さく呟く。 ・・ こんなくだらないこと、さっさと自分がはいっちまえばいいだけのこと 開けたのは自分やねんから、ルール違反な奴らなんて押しのけたらええねん。
出来ずに後でくさくさしている。これがいつものあたし。 東京に来て1ヶ月くらいだかの頃、すごいストレス症がでて、 寝れないわ、食えないわ、代謝悪いわ、顔腫れるわ、泣くわわめくわ、煙草だけで生きるわ なんて時があって、その原因も わたしのそんな「ドアを開けて待ってしまう」ところだった。 ・ ドアを開ける、それは自己主張の場合もあるし、普通のことを普通にするということもあてはまる。 誰もわたしに気付かず 開きが狭いと思ったのか内から勢いよくさらに開けられて こっちの顔にぶちあたり、泣きそうになる。 相手は そんなとこになんで立ってるの と不思議そうに。いや立ってることも気がつきゃしない。 ・ 誰も悪くなくて、わたしが勝手にやったり喋ったりしたこと。 誰も悪くなくて、単なる好奇心で尋ねられり喋ったりしたこと。 それが ドスンとわたしの中に居直る。 そしてそれがどんどん大きくなって いつもの被害妄想がはじまる。 絶対、わたしの方がおかしい。そう思って、振り切ろうとして 触れないように触れないように他の話しなんぞでお茶を濁したけど。 ・ やっぱり 正直悲しくて、泣けてきて、案の定理由を聞かれて、「考えすぎ」と言われて。 そうだね、と笑ってしまったら もう解決したと思っているんだろうな。 ・ その通り、その通り。 その通りなんだけど、葛藤をセルフ消化できるほどまだ痛みに慣れないし 「正しい」判断力がでてこない。 人の言われたことに いちいちクヨクヨしてて、とても責められた気分になって、さ。 責めているのは「そう感じている」自分自身なのに。 ・ でも、前みたいに 食べられないことも寝られないこともないし、流す涙の滴数も減っている。 わたしは間違いなく強くなっている!
その強さは無神経度かもしれないし、タフネス度かもしれない。 事実を冷静に見られるまでの時間が短縮されているだけかもしれないが それはそれでよし。 ・ この次は、ちゃんと前をむいてはっきり言おう。 このドアはわたしがわたしの意思で開けて わたしが今から入ろうとしています。 肩に力を入れず、構えず。 今日できなくったって ええやんか。 この次できたら ええやんか。 ・ この次あかんかったら その次がんばったらええねんな。 その次が、今よりちょっと進歩しとったら 最高やん。 ・ ここしばらく 中学2年生のようにイライラしていましたが 良く考えると、自分も人の開けたドアを さっさと入ってしまったり 痛いことをいっぱいしていた。 自分がその立場になってわかる痛みが とっても多い。 その痛みを 今知ることができて よかったともしよう。 ・・ 結構お得な人生♪
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