2001年10月04日(木) |
10(テン)4(し)の日ということで 今日は天使の日らしいです。こじつけですな。 |
とってもいい子でした。
「ちょっと いい加減に健康に気をつけなさいよ。ったく。 はい、ここ筋腫あるでしょ。ここ、ね。 食事も酒も いつまでも好きなだけくらってんじゃないよ。 運動もするのっ 煙草もいい加減にしなさいって もー」 そんなことを言っていた気がします。
いったい何本 尿検査するねんってくらいマツキヨで買い込んだスティックは 日を追うごとに反応が薄くなり まるでそれは命の色でした。 出血した時点でかなり覚悟をしたんだけれど それでも一縷の望みというか 奇跡を信じて、いろいろなサイトを見てまわりました。 まったく同じ症状で注射を打って回復した例や流産した例を探して もう何百何千と渡ったような気がします。 狂ったように 可能性を探していました。
負けるな負けるなって思ったとき 何に負けるなって思うの?って自分に聞いたら 「自分にや」って答えが 返ってきて、なら自分と戦って敵は自分なの?って聞いたら 「いや 違う 私は敵じゃない」と聞こえた。 今味方は自分自身だと しっかり認めてやらないと労われないと思いました。
判決が下って 診察室から出たとき足がふらっとしました。 いつでも ぷちっと押せば涙がでそうなのに ダンナさんの顔を見ると わたしは泣けないのです。 なんでだろう。一番めそめそしていい相手なのに。苦しい。
ちゃんと悲しめないまま死んだみたいに眠り続けてしまうと (まる2日 ほとんど食べないで寝る寝る寝る) 覚醒のたび出てくるのは怒りばかりなのです。 何に対してなのかわからぬ怒り。 あの時流産止めの注射してくれたらなんとかなったんちゃうか とか まだ決まったわけじゃないのになんで慰めてん ダンナよ とか 陽性反応が嬉しくて 歩き回った自分は大マヌケ とか あの病院を選んだ自分が悪いのか とか 大昔のことを思い出して「あのバチが今 あたってるのか」とか。 とにかく 憎悪といってもいいもの。
もし昔のままの私だと 100%自分を徹底的に責めてました。 けれど情報(ネット)があったお陰で 起きたことを至極冷静に 見つめることもできたし、周囲の人の優しさで 随分温かく過ごせました。 やり場の見つからない憎悪ですら 理不尽だってわかりながら持て余して いたんですから 健康的ではないでしょうか。
わたしは完全流産でした。 流産後の多くが 子宮の中を掃除するために掻破手術しないといけないのに とてもすっきりと まるで何もなかったかのようにいなくなっていました。 まるでわたしに負担をかけまいかとするように。 筋腫もこれといって今すぐ問題があるわけでもなさそう。
月光仮面のように 疾風(はやて)のように現れて 疾風のように去って行きました。
月光仮面の使命は わたしに筋腫をしらせること だった気がしてなりません。 そして置き土産はまだあります。 存在がわかってから 酒とたばこを ぷつっと絶っていたんですが 結果がでた後 ダンナさんのたばこを一本吸ったのです。 すると、口の中が 油を呑みこんだような ねっとりしたなんとも 嫌な感触が続くのです。わたしがいつも吸ってたものよりずっと 軽いたばこであるにもかかわらず・・・ もう吸いません。
ほんの数日間だけど たまごクラブを見るのが幸せでした。 ダンナさんと 家族が増えるについての夢を語り合ったのも ぞくぞくする くらい楽しかった。 月光仮面よ ありがとう。
わたしは 今 やり忘れていることと やらなければならないことが あります。 やり忘れていることは ちゃんと泣くこと。 そして、こんなわたしに傷ついているはずのダンナさんに優しくすること。 どうすれば 泣けますか?誰か教えてください。 なんて なに書いているんでしょうね。
今度のことは自分の親には言いませんでした。 喜んでくれなかったらヤだなって思っているうちに こんなことになったし こっちの親に心配かけたから これ以上心配させるのやだし。 そんな素直になれないところが どんどん膿になっちまうのかな。
くぐもった月が見えます。 月光仮面は月にかえっていきました。
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ご心配下さった方々へ 文字で発信されなくても ご心配と労わりの気持ちが びんびん伝わってきていました。有難うの一言に尽きます。
ダンナさんは わたしがプライベートなことを書くのをとても嫌がってます。 血をさらしているような 垂れ流しているような気が 彼にはするのでしょう。 でも わたしはここで聞いてもらうことで 正常を保ったのじゃないかと思います。 彼を知っている人は、どうかここでのことは触れないであげてください。
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