いいお天気の土曜日、 六本木一丁目駅に直結しているビジネスビルに行った。 どえりゃー規模で、腰が抜けた。 エレベーターなんて、うちの会社の物流用の2倍の広さできれいで早い。 そういや うちも引越しするんだよな。
伺ったオフィスは、とあるシンクタンク。 そこである本の読書会の名目で、著者も招いて20人弱が集まった。
ディスカッションや著者の話を進めるうちに、イラクの話しになった。 私は自分の意見をまとめはじめていた。 そして ここ2日間でうずまいている違和感が 少しづつわかってきた。
私の狭い周りの意見の中で、まずはじめの言葉が ●日本の3人は自己責任で危険地域に行ったじゃないか ●撤退すべきでない。 の2点だった。
私は、「で?その次は?」が聴きたかったのだ と気がついた。
濁流に今にも飲まれそうな川の中洲に 取り残されたキャンパーたちがいるとする。
「自己責任だ。避難勧告もしただろう。」 そこで意見が終わっているような、そんな違和感だ。
で?だから?その次の考えは?
犯人グループの解放条件が 「撤退」だったので 論点がそこにいくのは致し方無いが 撤退or非撤退 だけが議論なのだろうか。 ずっとそれを考えていた。 私たちは、勝手に選択肢を撤退or非撤退だけに 狭めてはいないか。
違う面から見ると 「どうすれば彼らが 今の場所から生きて出られるか」
私が考えたのは、 日本人3人が、犯人と仲良くなってくれないか とか、 (ペルーの大使館人質事件では 犯人と人質に友情関係が発生していた) 犯人の1人が、こっそり逃がすことはしまいか とか (どうやらプロの集団ではなさそうなので 団結力が微力では?) 撤退するダミーの映像を、アルジャジーラで流す (アポロの月面着陸が実は、アメリカ国内で撮影された?ように) など。いや本気で。もちろん騙したのがばれたらもっと悲惨だろうな、とか またいろいろ考えた。
こんなことを考えたのは、アウシュビッツに投獄されたあるジャーナリストが 「どうやったら今日中にここから生きて出られるか」 を考えて考えて考えた末、なんと一滴の血も流さず それを実現した という実話を私の師は、セミナーでよくするから。 (ここから 出られるわけが無い という思い込みが その先を考えることもやめさせ、ひいては行動を起こさせなくする。 人間は、「意識」で行動を左右させる。これは目からウロコだった)
そのユダヤ人の話が私の中で ずっと「どうしたら彼らが生きて出られるか」 そこに集中させたのだと思う。 この事件には、意味があったと 思う。 まず、日本人に、イラクや自衛隊のことを考えさせるきっかけになること。 二つ目は、イラクで日本の青年たちがしている行動を 知るきっかけになること。
もし、彼らが殺されてもその遺志に引かれる日本人が生まれるだろう (死んだほうが美談にされやすい悪い傾向があるが)
そして 私はどうするかを考える。 例えば、危険地域であえて活動するNPOをネットなどで もっと知る努力をすること そして賛同できるグループがあったら 募金するなどで意思表示すること 最後に、この小さな覚書の中で自分の意見を発信して 読んでくれた誰かの心が1ミクロンでも考えるきっかけになったら幸いだ。
結果的には、彼らは解放されるらしい。 さて、その声明文はなんとも皮肉な、でもまさに真実もついていると思った。
わしらが解放を決定したのは、あんたらの日本政府が必ずしも 国民の意思を代表しているわけでないからや。 ブッシュやブレアにヘーコラしてるからやろ、せやから解放するわ。 でな、あんたら国民が、声出してーな。政府動かしてーな。
と。 そもそも 日本国民の中で「イラクの人を助けにいくべきだ!」 って叫んだ人 どれだけおるん? 本当に行きたくて行ったんと違って、まぁ言えば米英との近所付き合いと おこぼれの石油の件や 軍事産業の件があるわけで。 こういうこともあらたに考えさせるきっかけになった。
昨日の読書会の主催者は 「自衛隊がどうの、彼らが死のうが生きようが、そんなことより、 この事件で、自分がどう感じ、思うのか どう行動するのか それだけじゃないですか」と言った。(行動しない選択も、行動)
今回 発信せずとも「考えたり」、どんな意見であれ 「発信」した人は、それなりに問題意識をもった。
一番寒いのは、 この事件に何も感じない という魂があるかもしれないということか。
********* 政治的なことを書くのははじめてなので バッシングも覚悟、恐らく何人かは目口覚書お気に入り削除するだろうと 踏んでいた。読んでくれた方がいつもより多かっただけでなく 中には2人も(笑) 読んだよボタンを押してくれている。 バッシングがないのが、いいのか悪いのか(無関心?)だが 長い文を最後まで 読んで下さってありがとうございました。
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