2004年07月10日(土) |
わたしにとっては いい塩梅かも。 |
やっと 玄関先のパッキン(ダンボール)を畳んだ粗大ゴミが片付きました。 あと2パッキン。
ところがこれがどうにもこうにも なりまへんがな。
「え〜まだ片付いてないのぉ。 よくそれで 前の家に入ってたよねぇ」と人にいわれる始末。 いや ホンマどうして入ってたんだろ。
さて、 私は 自分の支配欲に向き合おうと思う。
なぜ 相手を手中に納めたいと思うか。 手中にないと 何が問題なのか。⇒不安 納めると どんなメリットがあるか。⇒安心
具体的に手中に納めるというのは どういうことか。 頻繁に連絡があり、私に話しかけれくれ 微笑んでくれる 相手の意識の矢印が 私に向いているということ。
なんと傲慢な。
そこには「相手のために」はなく、「自分のために」だけがある。 相手の気持ちや行為が側にないと、感じる不安は 私だけの気持ちや行為では 安心しない私がいる ということ。
私の主は 私である。 人の気持ちや行為に揺れる私は、人を主軸に人生を動かしている。 つまり 私の主が 人になっている。 それは いかん。
ところで、 かのひとのここ数日勉強会の成果の実験台として 私に白羽の矢がたった。
今日 電話でコーチングしてもらったんだが 私自身の成果も 驚くほどあった。
それ以上に、彼のコーチとしてのスタンスが ハイジだとシェアした。
クララが立ち上がろうとしているのを 思わず側によって 肩に腕を差し込むことをせず
あえて 相手より距離をとって さぁここまでおいでよって 離れるスタンス。
もどかしい。なぜもっと側にいてくれないの? なぜもっと助けてくれないの?
でも そこで腕を差し込めば それはクララだけの力で立ったことにはならない。 そうすると ハイジはずっと松葉杖であらねばならない。
かのひとはいう。
俺はクライアントに 本当に自立してほしいんだ。
もしかしたら
彼は 私にとって ものすごく意味のある人かもしれない。
男女ということではなく 私という 歪んだ姿勢の人間にとって 自立を促してくれる 人かもしれない。
そして そこが単なる友人なら うざいとおもえることも 彼だからこそ 耳を傾けてしまう私がいる。
友達以上 恋人未満
なーんて歌があったような気がするが まさに 未満だらけ。
未満な ふたり。 *************** 昨日の、社内講師へのコーチング勉強会は エクササイズを随所に折込み、 相手に喜んでもらえた。 あぁ よかったぁぁああ・・・・・
そこでの学びや反省も多々ある。 それを知らせてもらって ありがとうございました。
明日は お初のセミナーに受講生として参加。 インプロ(即興劇)だ。 これを どうコーチングに活かすか。 それを探って もっともっと私は アップしたい。 する!
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