日常妄想
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2001年09月11日(火) |
『物憂い午後』のこと。 |
+ああ、すっかり晴れた。風も涼しくなって、平和が戻った感じだ。これからは、ますます秋が深まるのだろうか。今年は残暑が厳しいと、6月ごろ長期予報で聞いた気がするのだが、結果的には、7月が異様に暑く、8月に入ると、以外と涼しい日が多かったように感じる。わたしがそとにあまり出ていないからなのかな。
+今日(?)は、寝たのが朝六時、眠ることができたのは半過ぎになってから。そんな状態だったが、前回の台風の時のように、風雨の打ち付ける窓がうるさくて、半端な時間に起こされた。あまりに凄い風なのでビビる。風のせいで、換気扇が壊れた…プロペラが外れて落ちたのだ。デンジャー。
+寝直したかったけど、水が漏れてくるので部屋の窓枠のところにタオルを詰めなきゃならなかったりで、諦める。睡眠時間としては、数えると5時間は寝ているわけだから、取り立てて少なくはないのだが、眠りの波を考えると、タイミングがよくなかった感じ。90分単位で寝るといいというのを、テレビの特集とかで何度か聞いたことがある。3時間、4時間半、六時間、7時間半…この説は、実感できる気がするので、わたしは、これを守って眠るようにしている(笑)
+これを考えると、今回のわたしの眠りの波は、ちょうどまた深いところへ向かうところだった、と言えなくもない。二日三日、首はイタイわ胃は悪いわで(苦笑)、それもあってか、だるさがいつまでも抜けない。一時間ほどウトウトし、親が仕事から帰ったので起きた。働いていないわたしが、仕事をしてきた親を差し置いて、昼間(まぁ夕方っちゃ夕方だけど)寝ているというのは、とても気が引ける…
+眠いなぁ(泣) やることいっぱいあるのにな。ふう。ガタガタいう窓の音に起きだしたのは11時半ごろ。テレビをつけて台風情報を見ると、台風が、ちょうど都心をすぎたところだった。どうりでひどいはずだ。
+そしていまは、ところどころに残る厚い雲を、洗われた大気に眩しく光る夕日が照らしている。雨は嫌いじゃないが、そのときの気分によっては気が滅入る。だけど、いまのように、激しい雨のあがったあとの空を見ると、悪くない、これも必要なことなんだと思えたりする。 『雨降って地固まる』じゃないが、なんだか人生の縮図のようだ。 デジカメ…デジカメがほしい…(働けよ)
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+今日、辞めた会社で知り合ったNさんからメールをいただいた。Nさんは印刷会社の社員ではなく、下のもんじゃ屋の店員さんなので、直接的なことはわからないだろうけど(社長はソトヅラだけはいいんで、うまいこと言うだろうし)、レスで、それとなく「会社はどうですか」と聞いてみた。社業の心配をしているわけではないのだが、やはり気になるのだ。今でも。いいように使ったあげく、わたしを追い出した会社でも。
+気になるのはたぶん、自分の必要性…重要性を、確認したいからなんだろうけど。『あなたが居ないと、やっぱり駄目だよ』『こんなことなら、居てもらえばよかったよ』とかなんとか、言ってほしい気持ちがまだある。未練がましい。自分を捨てた恋人が、本当はまだ自分に想いを残していると信じて、帰ってくるのを待ち続けてるフィーリング。恋愛ならいざしらず、仕事なんて、ヨリが戻るわけなかろう。哀れだね。
+またあの職場で働きたいわけではないんで、復縁を迫るようなことはしてないんだけどね(笑) ただ、何年もわたしが懸命にしてきたことを、カケラも認めてもらえないのが悔しく、心の籠った労いの言葉ひとつ無かったことが、結構な傷になっているのだ。
+もともと、わたしは『自分の居場所』というのについて、いつも不安を持ち、不信感や、寂しさなどを抱えている傾向がある。わたしはここに居ていいのか。必要としてくれているひとは居るのか。 職場については、長い間、それなりに頑張ってきたことで、人間に対する不信感はあったものの(笑)、安定した自分の砦…イヤイヤながらも、生活の礎になっていたのだ。そこから、突然つまみ出されてしまったので、安定を信じて疑わなかったところがあったぶん、わたしという人間の存在価値が否定されたという『疎外感』が強く感じられて、結果、余計にショックを受けているのだった。 安寧に焦がれて、常に孤独感や不信感に苛まれているのと、信じて凭れていたものに突き放されるのとでは、どちらが受ける傷が大きい?
+やー。いつまでも鬱になってるわけにはいかないんだけどね。失業保険にも、貯金にも限りがあるし(あううう)。過ぎたことをウダウダ気に病んでても苦しいだけ。現状のままではなにも解決しない。わたしの性格はそもそも『内向的・後ろ向き』要素が強いので、こういうウダウダは、はじめてのことじゃない。だから、ハラ立つほどよくわかってるだけに、脱力する…(苦笑)
+誰か、わたしを愛してくれないかな(苦笑) わたしの不信感は、殆どが、自分に対する自信の無さからくるものだ。だから、わたし自身にも、これを解くのは難しいのだけれど、わたしを愛してくれているということを、すっかり信じさせてくれるようなひとを見つけることができたら、わたしの抱えている問題は、かなり幅広く解決するのだ。なぜか? 心が満たされることで、癒されるものがあり、精神的に安定を見るから。余裕も出て、バイタリティー値もあがる。元気に輝いているひとは、心も元気だ。ヘコんでも、浮上するのがはやい。耐性や回復力がある。
+ちと、他力本願気味だが。病に薬や治療が必要なように、自分ではどうにもならないことというのもあって(苦笑) 当然、自分でもさまざまな努力や勉強を怠ってはならないのだけど、自分を見るにしても、自分で見ているだけでは、決まった角度でしか見ることができないし、ひとりで考えていても、視野が狭くなって、どうしても行き詰まっちゃうもので。 だから、客観的な視点やキッカケや…薬が欲しい、ということもあるのだ。甘えてるなどと、どうか頭ごなしに言わないでほしい。
まぁ。馬鹿に効く薬は無い、とは言いますが( ̄▽ ̄;) それならいっそ、馬鹿になりきれたら楽なのに。
(20:25UP)
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