としょかん日記
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たまにはまじめに仕事の話なんぞ書いてみるか。 棚のお話です。 小説の棚がきつくて仕方ない。『理由』をとろうとすると、ちょっとはなれた『睡蓮の長いまどろみ』とか『楽毅・四』とかまで自己主張してくる。飽和状態にあるのである。特にひどいのが「て」〜「の」にあたりの棚。もう棚にはいるスペースないって言ってんのにそういうときに限って『永遠の仔』が上下巻で帰ってくる。ちなみにこの本はなんだか賞の批評でどこぞの偉い先生に「長すぎるのはどうかと思う」といわれた本である。つまり厚いのだ。はいんねっちゅうの。
ならばどうするか?いかにスペースを有効に使うか?答えを言ってしまえば単純明快、「本を抜く」である。古い本、貸出がなさそうな本、ぼろぼろな本、こいつらが残念ながら戦力外通告を受けるわけである。しかし、ここでちょっと考える。本当にこいつらを抜いていいのだろうか?ふらっと寄ったお客さんが探していた本をたまたま見つけるというのは図書館の醍醐味(ちょっと言い過ぎ?)だと思っている。その邂逅の可能性をなくしてしまっていいのだろうか。ついついそこまで考えてしまう。そう考えるといらない本なんてないような気がする。
まだ図書館に勤めてすぐのころ、違う館の館長が飲み会のときにわたしにこう言った。「図書館に本を入れるのは簡単だ。難しいのは本を抜くことだ」そのときこそ意味がわからなかったが今ではよくわかる。長年勤めている先輩は何気に要らない本を抜いている。しかし、自分にはできない。なにがいらないかがわからないからである。
今回はとりあえず平岩弓枝作品集(全15巻)を棚の上に置いてみた。10年間で貸出が約40回。可もなく不可もなくという感じである。しかしそれによって乃南アサや藤堂志津子が活きてくる。東野圭吾も余裕が出てくる。テリー伊藤もがんばっている。
本を抜くことができたとき、それが図書館員にとって一人前なんだろうね。さてわたしはいつそこまでたどり着けるでしょう?
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