すっごく久しぶりに三軒茶屋に足を踏み入れました。 そんな状態なので、世田谷パブリックシアターは初めて。 そんなに広くなく、駅からも近く(駅から地下道で繋がっている)、雰囲気も結構いいカンジな劇場でした……あともう少しトイレが多ければね。
既成のハムレットとは大きく異なる、新たなるハムレット像を見ることができたと思う。 それは、萬斎氏の本職が狂言師であるということは関係がない。 (本職がどうであれ、演じるからには皆、役者としてしか括らない。ただ、本人の資質という点では別問題だから、心の中ではいろいろな括りがあるが…) いくら、下敷きにした訳が従来のQ版でなく、F版だからといってもこうまで積極的に物事をかき回すハムレットというのは初めてだ。 四季版では、芥川、下村、石丸の3人のハムレットを観た。 蜷川版では市村ハムレットだった。 しかし、そのどれもが『自分が望まないながら、運命に翻弄され、悩み、葛藤しながら道を往く…』そんな人物像を思い描かせたものだ。 しかし、萬斎ハムレットは一味もふた味も違った。 積極的に流れに巻き込まれ、なおかつひっかき回すという…今までのハムレット像からは程遠いバイタリティを感じさせてくれた(笑)。 どうかすると、その流れに巻き込まれた感のあるクローディアスの方が気の毒に思える場もあった。
…贔屓と言うなかれ!
萬斎ハムレットはそういう破天荒なキャラクターを前面に押し出していたように思うのだ。 そして、クローディアスは悪役を演るにはちと毒気が足りないせいで、ハムレットが一人で場を引きずり回しているような感が拭えない。 今回のハムレットは…思い悩むということをしないハムレットだった。 悩むより前に行動に起こしていたようなアクティブさが印象に残る。
ジョナサン………本当にそれでいいんですか? そんな元気いっぱいなハムレットを創りだしたかったんですか?
…私は、もっと繊細なハムレットが見たかったようにも思う。 しかも、パセティック…(^^;;;
地がハイパーアクティブでバイタリティのある人だからしょうがないのかもしれないけど…もうちょっと物静かなハムレットであってもよかったのではないだろうか。 有名な「尼寺に行けー!」の台詞では、思いきり芝のぶちゃんを舞台に叩きつけて ました。女の人じゃないからこそ遠慮はないのかもしれないけど、こう…びたんびたん、とものすごい音がするくらい叩きつけることはないんじゃないかと…思わずにはいられない。 実際にはそんなに力を入れてなくても、思い切りやっているように見えるというのは演技力の問題になるが…あの音は絶対に違う!! その場でも、もう少し前後に『静』の部分があれば、その激昂する様子との対比が巧く醸しだせたのではないだろうか。 そういったことをもう少し練っていただきたいものである。
まあ、私の今回最大の楽しみは、出演者全員が男性であるということだった。 ガートルード王妃は言うに及ばず、あの可憐なオフィーリアも男性が演じるということに興味を隠せなかった。私がこよなく気に入っていたのは、野村玲子さんのそれはそれは可憐なオフィーリアだった。 篠原涼子ちゃんのオフィーリアはちょい落ちだったので、ここではなかったものとしたい。 しかし、あの可憐でいて、相応の実力がないと非常につらい役どころを男の人が違和感なくやれるだろうか…ということも疑問だった。 まあ、それも芝のぶちゃんの姿を一目見た瞬間から、杞憂だったと考えを改めることになるのだが…。 確かに、素の状態でも可愛いのだし、歌舞伎でも女を演じることは慣れているのだから、違和感があるなどとは失礼だったのかもしれない。 しかし、舞台で見るにはメリハリの乏しい顔立ちだからとか、いくら可愛くても所詮は男の人なんだから声までは…とか、いろいろなことでどうなんだろうかと思ったことも事実だった。 だが、舞台上にいたのは紛れもなく可憐なオフィーリアだった。 バレンタインの歌まであの声をキープできるのか興味深々だったが、本当に、最後まであの声をキープしていた。 地声も男の人にしては高めとはいえ、プロというものはこういうものなのだと教えられる。 素顔を損なうことのないメーキャップで、ごく自然にオフィーリアとして存在していた。 その姿を見、そして声を聞き、あまりの違和感のなさに出演者は本当に男ばかりだったのかと確かめた人も多いと聞く。
ガートルード王妃も同様だ。 篠井さんの場合は、常々、男の格好をしているときの方がなんとなく違和感を感じていただけに、ごく自然に王妃として受け入れていた。 ただ、絶対に胸は作ってるんだろうと思っていたのに、なかった(笑)。 それは芝のぶちゃんも同様だった。それが残念といえば残念ではある。 男の人でも、集めれば○カップくらいにはなるのだそうだ。 何で、そんなことを知っているのかとか、誰に聞いたんだとかの突っ込みはよしてもらいたいものであるが。
あと、女形として忘れられないのが、劇中劇の王妃を演じていた植本潤氏である。 彼は芝のぶちゃんとも篠井さんとも違って、坊主頭に楕円形の眼鏡の…人のよさげな小父さんといったイメージしかなかったものだから…ある意味、女形の中で一番驚いたかもしれない。 自分が観に行く前に得た予備知識では、誰もが芝のぶちゃんと篠井さんのことを上げていたが、私としては植本さんに注目したいと思う。 どの個性も稀有なものであることに違いはないが、一番変貌が激しかったのだから。 小柄な体が女形としての資質に有利であるとは思ってはいたが、よもや…あんな変貌を遂げるものだとは思ってもみなかった。 劇中劇の中で彼が披露した歌声のなんと美しかったことか。 その声が本当に植本氏から発せられているとは到底信じられず、我が耳を疑った。 音域が高いのはもとより、非常に広い!ときに高く、ときに低く…津嘉山さんの声に被っても邪魔になることなどはなく、むしろ、妖しくも美しいハーモニーを奏でていた。 セイレーンの声は想像するには難くないというが、それはこういう声だったのではないだろうか…私にはそう思えて仕方がない。 芝のぶちゃんの声も綺麗だったが、『艶』という点に於いては植本さんのほうが上だろうと思う。 その植本氏は、来年2月の再演時にオフィーリア役に決まっているという。 再演時にはきっと、誰もが成長を遂げていることだと思うが、ハムレットよりも、むしろオフィーリアの方が見物かもしれないと思わずにはいられないのだ。 …とはいえ、この時点では『次』も観に行くかどうかなんてことはわかりませ〜ん! (自分の首を絞めるのはいやだが、『行きません』と言っておいたくせに行くことになったら、それはそれで自分の首を絞めるんだろうな…)
そして、『ハムレット』において私がひそかに気に入っている役どころはクローディアスだ。 今回、吉田さんが演じると聞いてどういう凄みを出してくれるのかと楽しみにしていたのだが…なんだか…どうもしっくりこない。 彼は、クローディアスを演じるには“善い人”過ぎるのではないだろうか。 こう、もっと悪役ならではの美学とか、誰も信じられないといった感の昏い眼差しだとか、隙のなさそうなきつさだとか、常に何かを企んでいるような悪そうな笑顔だとかがあってもよかったんではないだろうか。 …どちらかといえば、クローディアスよりもハムレットの方が悪そう。 腹の底で何を考えているか全然掴めない(笑)。 クローディアスは王位のためにガートルードを娶ったというよりは、ガートルードのために王位についたというような愛情の濃やかさが見え隠れしていたし、ハムレットに対しても、甥の時はそれなりに可愛かったけれど、息子になったら邪魔でしかなく、自分のために体面上の為だけに留学先へ戻りたいというハムレットを引き止めるのではなく、本当に息子として心配してるからこそ、ハムレットを引き止めていた…ように見えて仕方がない。
しかし、そんなクローディアスは失格!
吉田さんはむしろハムパパ@亡霊をやった方がよかったのではないだろうか。 そして、津嘉山さんがクローディアス。 …どう考えてもその方が凄みのあるクローディアスを見れたようにも思う。 もしくは、ホレイシオ。 いずれにせよ、彼は悪役向きではない。 悪役を演じるには彼の性質はまっすぐで、そして正直でありすぎたと思う。 それだけに、場を引張らねばならない役どころであるのに、今ひとつ牽引力がなく ぱっとしないものになってしまったのではないか。 ハムレットに引っ掻き回された感が残るのはそういうことも要因になっているのだろう。
そして、忘れてはならないのがきぃ〜んしぃーんそぉ〜かん兄妹のレアティーズ! …やはり、今回も非常に仲良しな兄妹でした。 芝のぶちゃんと2人で出てきた場面(レアティーズがフランスに帰る場面)なんて、2人してベッドから出てきたような…えもいわれぬ気だるさが混じったとっても親密な空気を醸しだしていた。 本当に彼等は何もなかったんでしょうか…? しかし、とっても顔の怖いレアティーズでした。 あんなにきつい顔立ちの役者さんがレアティーズをやったのははじめて見ました。 (ハムレットのライバル的に描かれるから女受けのよさそうな役者さんが演じることが多かった役だ)
でも、まあ…それでもよかったんだけど、後半のハムレットとの決闘を過ぎて『時間がないから簡潔に許しあいましょう』的な展開はいただけないです。 あそこは物語としても後半としてもヤマなんだから、もうちょっと盛り上げていってくれー!!そんなにあっさりとされたんじゃあ…泣きそうなんですが。
また、彼に従いハムレットのお目付けにされるローゼンクランツとギルデンスターンは…この劇中で最も哀れな犠牲者に思えて仕方がない。 クローディアスに命じられたが故とはいえ、ハムレットに従い、『スポンジ君』と呼ばれてさえもその傍を離れようとしなかった。 そして、イギリスでハムレットの姦計によって処刑されてしまう。 一応、以前は友人であったはずなのに、ハムレットのその冷たい仕打ちはなんだろう。 しかも、彼等がクローディアスの命令を聞いたのがいけないとだけ詰って、後はなかったことにしている。 …本当にそれでいいのか? そんなハムレットが国民に本当に人気があるのか!? …どう考えたって、ハムレットのが悪役気質だし、ローゼンクランツとギルデンスターンは被害者に見えるのだが。
こんな、今までの『ハムレット』感が大きく覆されたのは初めてだ。 いい意味も悪い意味も含めたあらゆる意味で、今までのイメージが一新された。 なんて、恐ろしい才能があったのだろうか。 それは、ジョナサン・ケントの鬼才ぶりだけではなく、個性の激しい出演者たちがいてこその新イメージであるのだろう。
でも、ハムレットにヘラクレスのようになろうなんていうオソロシイ思考をもたせないでください。 たとえ、頭ががちがちだと罵られようと、私は正統派な悩む『ハムレット』が観たいです。 人生には、ロマンが必要不可欠なんです!
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