結構長い付き合いのある患者さんにアルコール性肝障害の方がいる。
もともとその方と出合ったのは、アルコールともまったく関係のない、とある日の明け方だった。なんの病気で入院されていたのかも実は覚えていない。
その日てめえは当直だった。午前2時くらいまで患者対応をして、ぐったりと当直室で眠っていた。
明け方の6時くらいに電話が鳴った。
「病棟に入院中の患者さんが呼吸が苦しいと訴えておられるので、診察してもらえませんか」というものだった。
当直時の朝6時はつらい。本当につらい。鉛のように重くなった体を何とか起こして、当直着に白衣を羽織ってぐったりと歩き出した。窓の外は少し明るくなっていた。
普段であれば電話で病歴などの詳細を聞くのだが、その日は本当に疲れていたので「はいはい了解、すぐ行きます」と適当な会話だけしてすぐに電話を切ってしまっていた。すぐに体を起こそうとしてもなかなか言うことを聞かない。何とか起き上がって病棟に向かうまでの間に頭は徐々に覚醒し、もっと詳しく状況を聞いておけばよかったと悔いた。
病室に着くとその患者は異様なまでに苦悶していた。見たところ40歳くらいで、何の病気で入院しているのか知らないがこんな若い男性がこんな苦しんでいるといえば。苦しんでいる患者を前に、たちまちてめえの脳みそは覚醒した。
疾患は限られている。心臓か肺か。心疾患を患っているにしては若すぎる。この若さで考えうる肺疾患は。
気胸か。
一瞬でそこまで考えて、苦悶している患者の胸に聴診器をあてた。左の胸は正常な呼吸音が聞こえたが、右胸は全く音がしなかった。
気胸だ。しかもかなり重症だ。
傍でおろおろしている看護婦さんに「18ゲージのサーフロー針持ってきて、そのあとすぐにレントゲンを呼んで」と指示した。レントゲンの結果を待っていると命にかかわることがあるので、まず処置が必要だ。しかもてめえの勤務している病院は、この時間帯は放射線技師がいないので呼び出すところから始めなければならない。待っている時間はない。その間に患者の顔色はどんどん悪化していく。
サーフロー針を看護婦さんから受け取ると、てめえはためらわず患者の右胸の肋間に針を突き刺した。たちまちぷしゅーと脱気する音とともに、患者の顔色がもどっていく。
間に合った。
呼吸状態も安定したので、患者さんを落ち着かせるためも兼ねていろいろと話をした。おそらくどうでもいい話だったのだろう、全くその内容を覚えていない。
そうこうしているうちにレントゲン技師が到着した。レントゲンの結果はやはり気胸を示していた。
レントゲンを確認したのち、チェストチューブを入れサーフローは抜去した。明け方に主治医に申し送りをして、てめえはぐったりといつもの朝の業務に戻った。
気胸は改善して、無事退院されたことを当時の主治医からの報告で知ったが、そういったことはよくある話なのであっという間に忘れてしまった。不思議なことに、人間は成功体験はすぐに忘れるが、失敗した体験はいつまでも引きずるものだ。
それからしばらくたって、肝疾患の疑いで再度入院してこられた。その時どういう巡りあわせかてめえが主治医になった。
担当になった挨拶をするために病室を訪れた。
「あっ…。先日はお世話になりました」と先方に言われたが、その時点では全く心当たりがなかった。顔を見てもピンとこないのはまずいかと思うが、日常で多くの患者を対応しているのでそういういことはよくある。
あわてて傍らのカルテを見る。「ああ、気胸で…。その後いかがでしたか?」などと何とか話を繕った。
さて問題は肝障害である。原因を精査する必要があるが、その方の検査値は明らかに「アルコール性肝障害パターン」だった。一口に肝障害といっても、脂肪肝のパターン、アルコール性のパターンなどいろいろある。患者にははっきりとした結果が出るまで口にしないが。プロは大体数値を見ただけで推測できるものだ。
入院中に行った検査はアルコール性肝障害を裏付けるものばかりだった。一通り検査結果が出揃ったところで結果を説明した。
「現在はまだ肝障害のレベルですが、このまま飲酒を続けると肝硬変になります。断酒しましょう」と説明した。彼はゆっくりと頷いた。
アルコール性肝疾患の場合、断酒には精神科の協力が必要である。すぐに精神科のDrに相談し、一緒に診ていくこととなった。
退院の日、彼の表情は晴れやかだった。入院中は断酒してますし、今は飲みたいとも思いません。そう笑って、彼は家に帰って行った。
その後、定期的に通院されることになった。内科から薬を出すことはなかったが、彼は休むことなく通院した。体調不良でしばらく休んでいた仕事にも復帰したいと、彼は外来で熱く語った。お酒はほしいとも思いません、と毎回彼は強調した。その割には肝酵素の値はなかなかよくならなかったが、今までの肝障害の後遺症みたいなものだろうと考えていた。
お酒も飲んでいないということだし、外来の間隔も検査の間隔ももう少しあけてもいいのでは、と提案したが、しっかり治したいんですと頻回に来院された。数値的には完全回復に至っていなかったが、職場復帰も認め「ほぼ治癒状態」と診断書を書いた。
断酒したという彼をてめえは完全に信じていた。
とある当直の夜、やっと仕事を一息ついたころに外線電話が鳴った。「そちらに通院中の○○さんが、先ほど当院に救急搬送されました。ついてはそちらでの病歴の詳細をいただきたいのですが…」
その名前は紛れもなく彼であった。
「当院かかりつけの患者さまを見ていただいて申し訳ありません。ところで何の病気で搬送されましたでしょうか?」てめえはつとめて事務的に聞いた。
「食道静脈瘤破裂です」
てめえの目の前は真っ暗になった。食道静脈瘤破裂は、肝硬変患者にしか生じない。飲酒していたのか!
すぐに病歴をFAXした。その一方でいろいろ自問自答する。断酒されていると信じて、静脈瘤の検査は退院後していなかった。しておくべきだったか? その検査をするということ自体、彼に疑念を抱かせることになったはずで、それで良かったのか? 適当な理由を作ってでも検査しておくべきだったか?
数日後、食道静脈瘤の治療に成功したという連絡があった。今後の治療はこちらで引き継ぎますとも言われ、てめえはよろしくお願いしますとこうべを垂れた。先方の連絡には「なんでこんなになるまで放置したのか」という非難が暗に込められていた。
それから約半年後、彼はてめえの外来に突然現れた。
クレームだろうか、とふと思った。これまたよくある話である。てめえにも全く落ち度がないわけではないし、救急搬送時の「やってしまった!」という印象は強く残っていたので、正直何を非難されてもしょうがないかという気持ちだった。
久しぶりに診察室に入ってきた彼は突然土下座した。すんません、ずっと嘘をついていました。ずっと飲酒していました。その後搬送された病院に通院していましたが、担当医はただ自分を非難するだけで、まあ自分が悪いのはその通りですが話も聞いてくれず、どうにもしんどくなって恥ずかしながらこちらに戻ってきました、本当は顔見世できないのですがまた診てもらえませんか、と彼は泣いた。
今日もてめえの外来に彼はやってきた。検査結果は少し改善していた。
お酒減らしました? ちょっと良くなってますよ。でも本当は断酒しないと解決になりませんけどね、とてめえは笑った。「わかりますか、飲酒量減ったんですよ。断酒はなかなか難しいですね」と彼も笑った。
今日の胃カメラでは、静脈瘤の再発はなかった。とはいえ断酒しない限り再発の危険はあるが、通院されなくなるとおしまいなのでゆっくりやっていこうと思う今日この頃。
|