解放区

2013年03月27日(水) 京都市立芸術大学が京都駅近くに移転。

最近カツカツだった金銭状況が少し改善し始めたことや、呆けた親父が突然英語学習熱に目覚めたことなどいろいろ記録に残しておきたいことはあるのだが、今朝出会ったこのニュースが衝撃的過ぎたので、今日はこのニュースのことを記録しておくことにした。

以下引用

「京都市立芸術大、京都駅東へ 元崇仁小核に移転要望」


 京都市立芸術大(京都市西京区)が、下京区のJR京都駅東側の崇仁地域にキャンパスを全面移転する計画を立てていることが26日、市などへの取材で分かった。元崇仁小跡地を中心に4万平方メートル以上の用地を希望している。移転を求める要望書を28日に市へ提出する予定で、市も前向きに検討する見通し。実現すれば、大学の利便性が大きく向上するとともに、「京の玄関口」でありながら長年開発が停滞していた駅東側の整備が大きく動き出す。

 市芸大は洛西ニュータウンの西端にあり、学生と教員の計約1300人が通う。校舎の老朽化やアクセスが課題となっており、市中心部への移転を検討してきた。

 崇仁地域は1953年から住宅の改良が進み、多くの市営住宅が建てられた。しかし、住民の流出が止まらず高齢化も著しい。2010年には崇仁小が統廃合で閉校になったこともあり、再開発を望む声が高まっていた。

 こうした状況から、市芸大は京都駅に近く利便性が高い崇仁地域を移転先に選んだ。

 市芸大は公立大学法人で、市から独立して大学運営を行っているため、キャンパス移転の要望を市に出すことに決めた。

 市は要望を受け、新年度中に方針を決定する。同地域は市有地が多く買収費用が抑えられ、駅東側の活性化につながるため、市も住民の声を聞きながら移転を推進していくとみられる。

 市芸大は新キャンパス用地として4万平方メートル以上を希望しているが、元崇仁小の敷地は約1万平方メートルしかないため、残りの用地確保の方法をこれから検討する。市は4月から地元住民への説明を始める。

引用終わり。


京都の人間以外はこのニュースの衝撃度合いがわからないだろうと思うので、少し説明を加える。


京都駅のすぐ東の地域は、本来であれば「駅前一等地」であり、観光都市京都の玄関口である京都駅から歩いてすぐの場所である。

その場所に京都市の果てである西京区から大学が移転するというのは、東京で例えると、多摩地域から丸の内に移転するようなものだ。これだけでも、他の都市ではあり得ない話だということがわかるのではないだろうか。

つまり、そんな一等地に、大学のキャンパスが入るような土地が残っているような大都市は京都以外に存在しない。

では、なぜ京都にのみそのような土地が残っているのだろうか? ここが一つの大きなポイントだからである。この話は、実は巨大なタブーであった。

実際に京都駅から東に向かって歩いてみると、数分も歩かないうちに市営住宅がたくさん立ち並ぶのがわかる。その団地の間に、広大な空き地と、その中に点在する住宅がぽつぽつと存在する。空地には誰も入れないようにフェンスで囲いがなされている。

結構異様な光景である。京都駅のこんな近くに空地が山ほどあるのだ。なぜ誰も手を付けないのか、また、ぽつぽつと残る家はなんなのか。

通り沿いには靴屋が並んでいるので、関西の人であれば誰もが、ここが同和地区だということがわかる。

山のように存在する空地は、改良住宅を建てるために京都市が買い占めたため、というのが通説である。残っている家の方々は、京都市に自分の土地を売ることを拒否した方たちということである。

一方で、「バブルの時に再開発をもくろんだ集団がおり、地上げされた後である」という話も聞いたことがある。どちらが本当なのかはわからないが、おそらく両方入り混じっているというのが本当なのだと思う。

バブルのころまでは、本気で再開発の話はあったようだが、バブルが弾けた後は再開発の話も宙に浮いた。その後、そのまま誰も手が出せずに現在に至っている。

その間に住人も減少し、地域の小学校であった崇仁小学校も閉校した。このまま誰もがタブーとしたまま、住民が誰もいなくなるまでそっと放置するのかと正直思っていた。

そこへ今回の移転話である。


個人的には、ここに大学を移転するというのはかなり驚きの発想だった。住民は強く反対はしないだろうと思う。学生側(というか学生の親世代)も、時代が時代だったらこういった地域への移転は反対する者も出た可能性があるが、いまはすでに同和地域に対する差別は事実上なくなっている。これも問題とならずに話が進んでいくだろうと思う。


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