解放区

2014年05月11日(日) 沖縄に癒される。

南の島で働き始めた、その年だったと思う。近くの島から急病での緊急搬送が入った。幸い日中だったので、フェリーで搬送するとのこと。これが夜間だと自衛隊のヘリコプターを依頼することになる。

てめえも自衛隊のヘリコプターに乗り込んだことがあるが、なかなか酷い体験だった。よく映画などで、ベトナム戦争などのヘリコプターシーンを見ることがある。とんでもない爆音と振動で会話などは到底無理、しかしスピードは素晴らしい。そりゃあそうで、基本的には患者搬送のための乗り物ではなく、屈強な兵士を乗せて戦場に向かうための乗り物なのだから。

ヘリに乗せた患者の体はぶるぶると振動し、気が付くと点滴の針が血管から外れていた。てめえはヘリの中で血管内再留置を試みたが、あれは絶対に無理。

まあそんなことはどうでもよい。


しばらくして、島の医者の紹介状と共に患者が到着した。紹介状の最後には「この方はウチナーグチ(沖縄言葉)しかしゃべれません。大変申し訳ありませんが、何卒宜しくお願いします」と書いてあった。

さすがにそれは言い過ぎやろ。この平成の世の中で、標準語が理解できない人が日本にいるはずがない。そう思ったてめえは甘かった。そう、理解できない人が日本にいたのだ。

その患者さんにはいくら病状を尋ねてもまったく埒が明かず、てめえはベテランの看護婦さんに通訳をお願いした。いつもてめえとは全く違和感のない標準語で話をしていたその看護婦さんは、少し恥ずかしそうに、しかしとても美しい沖縄の言葉で患者さんと会話をした。













沖縄の言葉を聞くと、その言葉しか話せず京都で死んだ祖母と、驚いたり怒ったときに言語が変わる母を思い出す。そして、そのイントネーションを聞くとまるで母の胎内にいたときのように安堵するのだ。




日本人が作って沖縄人が応えた名曲。夏川りみの歌声はどこまでも美しいと思う。



元の歌。この歌詞をしっかり読み砕いて、てめえはまた涙が止まらなかった。


今日はだらだら書く。

「沖縄戦」はよく知られている通り悲惨だった。今でも沖縄には、戦争の爪跡がたくさん残っている。しかしそこに住む人々は、それを全て忘れたかのように日々笑って暮らす。

しかし、忘れているわけではないのだ。ただどうしようもなかった。そして、加害者は明らかにアメリカである。日本ではない。そして戦争が終わった後も、加害者であるアメリカに占領され凌辱され続けた。沖縄が日本に戻ったのは1972年のことである。


明治維新以降、日本は三つの国と地域を日本に編入した(これはよく誤解されているが、植民地ではなく編入である)。

1879年(明治12年)、琉球王国は沖縄県として日本に編入された。
1895年(明治28年)、清は日清戦争に負けたことにより、台湾を日本に割譲した。
1910年(明治43年)、大韓帝国は日本との併合を選んだ。日本が戦争で無理やり植民地にしたわけではなく(日本は韓国と戦争したことはない)、韓国の首相自ら併合に調印した。

この三地域は、第二次世界大戦後に対照的な「その後」を歩む。ちなみにこの中で、形式的にでも望んで日本になったのは「大韓帝国」のみである。


戦争中に被害を受けた地域は、この中では沖縄だけである。朝鮮も台湾も戦禍に巻き込まれることはなかった。しかも両国とも戦争が終わる直前まで徴兵制はなかった。つまり、戦争が終わるまで両国とも平和だったのだ。日本が空襲を受けているその時も、両国ともに平和だった。

沖縄はそうではなく、むしろ戦争の最も悲惨な被害を受けた。沖縄戦によって、その人口の1/3は戦死した。てめえも彼の地で働いていたときに、家族歴に「戦死」が多かったことを忘れない。しつこいが、台湾と朝鮮はその地で戦死した人はほとんどいない。


戦争が終わり、三地域は対照的な「その後」を歩んだ。


「沖縄」は、アメリカ占領下になった。アメリカは、インフラ整備を行い教育制度を整えた日本とは異なり、沖縄に何もしなかった。というより、ほぼ略奪しかせず、本当の「植民地」扱いをした。なので、今でも沖縄人はアメリカが大嫌いであり、占領時代に最も反米であった沖縄大衆党や共産党が未だに強い。アメリカは、沖縄を「琉球」として独立させるつもりだったという話もある。しかし沖縄の人々は日本に戻ることを選択した。日本が祖国だという選択をしたのだ。

「朝鮮」は、日本ではなくなった。ただし元の国はない(てめえが望んで日本と合併した)のでほぼ無政府状態になり、結果として南北に分かれた。てめえから望んで日本に加えてもらい、日本にインフラ整備をしてもらい、戦争の時に徴兵もされず戦禍に巻き込まれることもなかったこの国が、日本を嫌う理由が一つも理解できない。理解できない理由がわからない人は沖縄を参照しなさい。沖縄戦のような悲惨な戦場が彼の地にあったのか? むしろてめえは、この三地域の中で唯一反日である理由が知りたいと思う。(てめえが思うに、単にプライドが高かっただけなのだろう)

「台湾」は中華民国に戻った。ただしその「中華民国」はすぐに共産党との内戦に敗れ、南京にあった政府が台北に逃げた。国民党政府は、日本が整備したインフラを破壊し教育をズタズタにした。結果として、元から台湾に住んでいる人々は、中国人が嫌いで日本人が好きである。至極まっとうな思考回路である。


沖縄には、今も悲惨な戦跡がたくさん残っている。しかしそんな戦跡は朝鮮や台湾にはない。もっとも悲惨な歴史を刻んだ沖縄が日本に残り、そうでない二国は反日国家と親日国家に分かれた。いろんな事情があるとは思うが、歴史がその後を証明してくれるだろうと思う。


 < 過去  INDEX  未来 >


い・よんひー [MAIL]

My追加