梅雨だというのに京都では全く雨が降る気配がない。雲行きは怪しいことも多いが、結局降らない。バイク乗りにとっては最も憂鬱な季節なので雨が降らないのは歓迎だが、農家の方々にとってはそれどころじゃないだろうなと思う。
てめえが医師になって2年目だった。今もそうだが、卒後研修必修になってから(つまり、てめえより後の年代)は2年目で「地域医療研修」がある。もちろん、てめえより前の年代にはない。
てめえの地域医療研修は離島だった。人口1000人ちょっとの、医師一人の離島。自分一人で何でもやらなければならない。そういう日が来ることはわかっていたので、1年目は全科をひたすらどん欲に勉強した。特に救急関連を、もう嫌になるほどに経験させていただいた。
内科や外科、小児科の処置はもちろんのこと、眼科や耳鼻科の救急も出来なければならない。なんせ、島にはたった一人の医師である。「専門じゃないので専門科に行ってね」とはいえない場所。
そんな離島研修はひたすら楽しかった。二つの離島に行った。それぞれの特徴もあり、ほとんどは内科管理、たまに小児科や外科処置もあり、中には眼に入った異物の除去や耳に入った虫を取り除く処置もあったが、日々は平穏だった。何でも出来なければならないとビビっていた自分がかわいく思えるほど、何もない日々が過ぎた。
そんなある日。診療を終える夕方近くに診療所に連絡が入った。「うちのおばあが畑仕事中に倒れて意識がないので診てほしい」と。
この電話の情報で、脳出血だろうなと考えた。脳梗塞かもしれないし、単なる熱中症かもしれない。あとは本人を診ないとわからない。
しばらくして家族が診療所に患者を運んできた。バビンスキー反射陽性、片側の反射も亢進しており、脳出血と矛盾しない。梗塞かもしれないが、これ以上はCTをとらないとわからない。CTのない時代には、両者まとめて「脳卒中」と片付けていたことを思い出す。
もちろんCTをとれる施設はこんな小さな島の中にはないので、本島に搬送する必要がある。日中であればフェリーでの搬送もあり得るが、夕方でありフェリーもなく、しかも結構緊急状態。こんな場合は自衛隊にお願いすることになってるのだ。
早速自衛隊のヘリを要請した。さすが軍人、詳しい話も聞かずにすぐに島に来てくれることとなった。
電話を切ってしばらくして、患者をヘリポートに搬送して自衛隊の到着を待った。遠くからヘリの音がする。それがどんどん近付いてくる。ようやくヘリが見えたかと思ったら、あっという間に近付いて爆音とともにヘリポートにヘリが降り立った。
ヘリが垂直に降りてくるとともに、爆風がてめえらを襲う。なんとか患者さんを爆風から守り、ようやくストレッチャーごと患者をヘリに乗せた。
ヘリの中には自衛隊員が数人乗っていた。みな一言も口をきかない。そりゃそうで、ヘリの中は爆音が凄くて会話なんて不可能。そもそも患者を搬送するためのヘリではなく、軍人を運ぶためのヘリである。てめえも所定の位置に座ると、きつくベルトを締められた。
島のヘリポートを飛び立ったヘリは、あっという間に那覇空港に着いた。空港内ではすでに救急車が待機しており、すぐに救急車に乗り換えて病院へと向かった。
問題はここからで、渋滞で有名な那覇市内は救急車といえどもラッシュ時に重なっており、徐行しながら病院に向かった。離島から空港に達するよりも、空港からすぐの病院への時間の方が長かった。
無事病院に患者を送り届けた。すぐにCTを撮った結果、てめえの見立て通り脳出血だった。
|