解放区

2014年07月09日(水) 沖縄の人たちは、大丈夫。ブラジル歴史的大敗。

沖縄の人たちは、大丈夫。

ものすごい台風が沖縄を通り過ぎて行った。強風で特別警報が出て、いったん解除されたにも関らず、その次には50年に一度という大雨で、なんと二度目の特別警報がその日のうちに出た。

てめえも職場では「沖縄が大変なことになっていますね」とか「沖縄の友人さんとか大丈夫?」と聞かれたりしたが、沖縄の人は大丈夫。てめえはそのことを良く知っているので、実は全く心配していない。

沖縄の人はある意味「緩い」し、「テーゲー(適当)」である。南国らしく深く考えず、その緩さがこれまた何とも言えない良い空気を作っているのだが、この人々はこと「台風」となると全く別人のようになる。

台風が来る数日前から食料を買い貯め、家に不安があればあらかじめ直しておく。そして一度台風がやってきたら、絶対に家から出ない。絶対に。田んぼも見に行かないし船が流されようが見に行かない。そんなことをすれば、たちまち命に関わるということを知っているからだ。

船は流されても最悪また買えば良いが、命は戻ってこない。停電しても、たとえ食料が尽きても(そんなことはまずないが)絶対に家から出ない。これは沖縄人のDNAに深く刻み込まれているのだ。

今回避難勧告が大々的に出ていたが、ほとんどの人は避難しなかった。多良間のようにあえて避難勧告を出さなかった自治体もある。そう、「台風の時は家から出てはいけない」のだ。そもそも沖縄では台風に耐えられない家は建てないし、仮に建てたとしても台風が来ると淘汰される。無機質にすら見える沖縄のコンクリート建築は、実は台風に備えた「要塞」なのだ。

具合が悪くなっても救急車も呼ばない。呼べば救急車自体が危険に晒されるし、その車に乗って行く自分も危険に晒される。そんな危険な賭けは誰もしない。救急車の中で死ぬのなら、自宅で死んだ方が良い。

もちろんコンビニも閉まる。県内は全て出勤禁止である。例外は医療機関と警察くらい。

医療機関も「出勤」しない。台風番を決めて、あらかじめ泊まり込む。看護婦さんも3交代分泊まり込むので、臨時の「ナース宿泊所」が院内に作られる。そして台風が行ってしまうまで誰も病院に出入りしない。

てめえの同期は、台風の時に非番だったのだが、病院の様子が気になってなんとか出勤しようとした。彼の家から病院まで、直線で100メートルもなかった。

まず彼は沖縄以外で見るように、傘をさして外に出ようとしたが、傘は全く役に立たないばかりか、傘を閉じても暴風のため立つこともままならない。

合羽を着込んで匍匐前進でなんとか前進しようとしたが、暴風だけではなく雨も凄く、視界を遮られていったいどこを進んでいるのかもわからない。

ガレージまで行けばクルマに乗って出勤できるかもと思ったが、そもそもほんのわずかの距離しかないガレージまでたどり着けなかった。

どこまでも律儀な日本人である彼は、仕方なくいったん仕切り直しをし、家に帰ってタクシーを呼んだ。ようやくつながった電話の向こうからは「本日は台風のため、業務を停止しております」という録音された声が流れてきて、ようやく彼は出勤をあきらめた。

このように、沖縄の人は台風に関しては本当に徹底している。だから、彼らは大丈夫。


数年前にも大きな台風がやってきた。沖縄では一人の死者も出さなかったが、そのあと上陸した九州では死者を出し、進路を変えて上がって行った朝鮮半島では100人以上の死者が出たらしい(北朝鮮国内での正確な死者数は不明)。

勢いが弱くなるにつれて被害者が増えるのは。これは本当に、備えに対する意識の違いだと思う。最も勢力の強い沖縄では誰も死なない。しかし、他のところでは「様子を見に行く余裕がある」だけ、犠牲者が出てしまうのだろうと思う。だって、沖縄の台風は本当に外出できないからね。



今日のブラジル戦は衝撃映像だった。ほんまに言葉を失ってしまった。

試合前に、ブラジル代表メンバーが、ネイマールのユニフォームを抱きしめ国歌を歌っていたところでは不覚にも泣いてしまったが、その後の試合展開でも涙が止まらなかった。ていうかなんだこの「悲惨な戦い」は。あまりにも酷いものを見てしまった。

途中で見るのを止めようかと思うほど、ブラジルにとっては惨めな戦いだった。しかし、てめえは最後まで観てよかったと思う。後半は少し希望が見えたし、それは3位決定戦に生きるだろうと思う。観客も悪態をつくだけではなく、あれだけ容赦なく叩きのめされたドイツ代表にもちゃんと敬意を払っていた。これを観ててめえはサッカーファンで良かったと心の底から思ったぜ。





なぎら健壱「悲惨な戦い」


 < 過去  INDEX  未来 >


い・よんひー [MAIL]

My追加