創造と想像のマニア
日記というよりもコラムかも…

2004年02月01日(日) 萌え。

正直私は萌える事が出来ない。
そりゃ、子供の頃に漫画やアニメを見て誰が好き、○○派というのはあったけれど、だからと言ってその人の物(グッズ?)なら何でも欲しいという気持ちになったり、その人で何か自分で物語を書こうという気持ちにもならない。
「活字倶楽部」の春号で五條瑛さんのインタビューを読んで驚いたのは彼女の作品には2通りのファンがいて、殆ど中年男性の読者らしく、その人たちはストーリー重視で読み、彼らの謀略が好きらしい。そして、少しいる女性読者たちは登場人物に萌えているらしい。私は謀略が好きというわけではないのだけれど、登場人物に萌える事はない。彼らがどういう動きをするのか、どういう罠に嵌るのか、そしてどうおとしまえ(?)をつけるのかが楽しみなのです。だから読み方としては中年男性たちと同じって事になるわけだが(汗)
よく小説の中の登場人物の絵を描く人がいますが、私はどうしても描けない事にも気付いた。いや、描いた事あるし、描いてみたいなと思う事もあるんだけれど、絵が浮かばないのです。無理矢理描いて「これは○○です」と描かないと解って貰えないような無理矢理な絵にしかならない。沢山描いていけば、すんなりと描けるようになるのだろうかとも思った時期があるんだけれど、それは無理なんだという事が解った。所詮私の描く絵でしかないのかもしれない。挿絵がある小説なのであれば、それを真似て描く事は出来るんだけどね。
描けないのは萌えていないからなのかもしれない。
でも、絵を見るのはとても楽しいので「活字倶楽部」での読者の葉書は楽しく拝見しているのですが、私は描けないなぁ。オリジナルの絵なのであれば、色々浮かぶし描く事は出来るんだけどね。あとは… 漫画だったりアニメなら描こうと思えば描けるだろう。
話がそれましたが、萌えですよ。萌えについて。
小説でも漫画でもアニメでも映画でも何でも、話があるからこそ登場人物が活きてくるし、どういう言動をし、どう物語に絡んでゆくのかを楽しみに見ているのですが、その中の誰かに萌えるというのがちょっと解らない。
「ああ、私はこの人好きだな」
というのはもうすでに萌えているのだろうか。
いや、違うと思うんだよね。
じゃぁ、何処までがそうじゃなくて、どこからが萌えなのか。
それを狙った話というのはあるけれど、殆どがそれを狙っていない話なわけだから、萌えられても作者たちは困るんだろうな(笑)
そして、五條さんのように極端にファンが分かれているというのも複雑な心境になりそうだわ。でも、私の読み方が中年男性たちと同じだというのに、私も複雑な心境になったりするわけですよ(笑)
文章の示す意味、何を描かれているのかという全体像を読み取るのが好きで、細かな部分の意味を汲み取って行くのが楽しいんですよ。決してパズルをするように読むのが好きなのではなく、初読し、再読からの楽しみを持てる本が好きだからミステリィが苦手なのかもしれない。だから、文学が好きなのかもしれない。
でも、五條作品は文学ではない。文学ではないけれど、ミステリィでもない。答えのない世界であがく人たちがその人ならではの答えをどう導き出すのかが楽しいのかもしれない。
自分でもよく解らなくなってきた(笑)
シリーズ物だったりすると、次はどんな事をしでかしてくれるのだろう。という楽しみはあるんだけどね。それは萌えているって事なのかな。


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未森

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