Sun Set Days
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北海道生まれのせいか、冬がとても好きだ。もちろん夏も好きだし、春も秋もそれぞれによいところがあるとは思うのだけれど、冬にはやっぱり致命的に惹かれてしまう。寒いけど、とても寒いのだけれど、それでもやっぱり好きだという気持ちは抑えられない。 とりわけ、雪が降り出すようになって、根雪になったあとはなおさら素敵だ。 夜に、しんしんと雪の降るときに散歩をすることができるのは、北国に生まれた人間の特権だと思う。もちろん、そのかわりに凍てつく寒さと、某神話のごとく終わりのない雪かきを受け入れなければならないわけだけれど、それでもやっぱりあれは素晴らしいと思う。 電灯が不等間隔で続く道路、オレンジ色の淡い明かり、その明かりの範囲で照らされる雪と、そこから外れている雪、低い気温、まだ足跡もほとんどない道路。ときおり、通り過ぎていく車。雪には消音効果のようなものがあって、どうしてか随分と静かなことが多かったように思う。ブーツで一歩一歩踏みしめて歩くときの雪鳴りと独特の感触。コートにマフラー、そして手袋。時と場合によってはカイロ。 もう北海道から離れて何年も経つから、ああいう冬には帰省のときの数日しか出会うことができない。もしかしたら、だからこそより自分の中で冬が魅力的に見えるようになっている部分はあるのかもしれない。遠く離れると、何にだって慕情めいたものがうまれてしまう傾向はあるわけだから。 それでも、やっぱり冬は素敵だと思う。 散歩から帰ってきた後の、ストーブの前に手をかざすときにどうしてかかゆくなってしまうことや、暖かいコーヒーなんかを飲んで内側と外側からの両方から回復しているのだと思うこと。髪についていた雪がとけてそれが首にあたって、ふいにつめたいと感じること。 窓から外の景色を眺めること。 冬になると、僕の部屋の窓はたいてい凍ってしまい開けることができなくなってしまった。そして一面に雪が張り付いていることが多かったから、ほとんど外は見えない。だから二階の階段を上りきったところにある小さな窓からよく外を見ていた。その窓からは家の前の通りが見えた。路地だったから人気はほとんどない。幾分スピードを落とした車はやっぱり思い出したようにしか通らない。 中学生くらいの頃は、よくストーブの前に座ってずっと漫画を読んでいた。それは随分遠く幸福な記憶だ。あんまり近くにいると熱すぎて微妙に位置調整をしたりしながら、長い時間ずっと漫画を読んでいた。いまもそれなりには読むけれど、中学生くらいはとにかくやたらと読んでいたような気がする。「ジャンプ」が全盛の時期だったし。 いずれにしても、冬は暦の上ではあと数ヶ月だけれど、今年も僕は北国じゃないところで冬を迎える。 それはそれで慣れなくてはならないのだけれど。
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今日、同僚と夜ご飯を食べているときに『タイタニック』の話になった。 この間テレビ初放映をしていたやつ。 やっていることは知ってはいたのだけれど僕は見ていなくて、同僚は2日目だけを見たと話していた。 そして、そのときに話していたのが吹き替えのまずさ。 話自体は面白かったのかもしれないが、声が気になってあんまり集中することができなかったとのこと。 なるほど。 見ていないのでなんともコメントしようがないのだけれど(映画館では観た)、視聴率は30%オーバーだったという話もあるようだし、それなら同じように思った人はきっと多いんじゃないだろうか、どうだろう。 誰が吹き替えをやっていたのかはわからないままなのだけれど。
そして、吹き替えの話になった。 テレビの性質上どうしてもそうなってしまうのはわかるのだけれど、洋画はいわゆる字幕スーパーにしてほしいというところで意見の一致をみる。深夜の映画で一部そうなっているのはあるけれど、実際にはほとんどが日本語吹き替え版だ。声がマッチしているときももちろんたくさんあるのだけれど、そうじゃないときの失望はやっぱり大きい。場合によっては深い思い入れをもてたかもしれない映画でそうだったときのダメージには計り知れないものがある。 それに、吹き替えのときにはいわゆるステレオタイプな台詞が増えてくるような気もするし。 ただ、今後通信環境なんかが整備されてビデオ・オン・デマンドが日常化したとしたら、吹き替えか字幕というのは任意に選択することができるだろうし、気にならなくなってしまうとは思うのだけれど。 そんな時代もあったねということになるとは思うのだけれど。
そうそう、字幕といえば、戸田奈津子はいったい何人いるのだろうというのが素朴な疑問。 たとえば、ある時期に集中して映画を見て、その内の何本かの字幕が戸田奈津子であることは意外とよくあるような気がする。 だから僕は昔一時期、本気で戸田奈津子というのはある翻訳チームの名称なのだと思っていた。 藤子不二雄が二人からなりたっているように、戸田F奈津子、戸田奈津子Aとかの総称なのだと。 もちろん、そんなことはないのだけれど。
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