Sun Set Days
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2001年11月27日(火) 札幌出張+『ポスターを盗んでください』

 24日から26日まで、2泊3日で札幌に出張に行ってきた。
 途中、25日(日)は休日で。
 そのときの(仕事以外の)出来事を。


 11月24日(土)


 最寄駅に到着したのは、午前6時少し過ぎ。
 まだ暗い、まだ寒い。
 おなじみのキャリーバック(祖母の家にあるやかんと同じくらい頑丈なんじゃないかと最近は思いはじめている)をがらがら引きながら、ホームに降り立つ。
 横浜駅→京急蒲田→羽田空港と乗り換えていく。

 今度はちゃんと忘れずにJALの機内誌を手に入れることができた。
「フランス特集」
 機内誌っていつもそうなのだけれど、美しい写真がたくさん収められている。
 思わず旅に出たくなるような。


 日中は仕事。
 

 夜は仕事の後10人でお酒を飲みに行って、その後で若いメンバー(一応僕も若いメンバーに入れてもらう)だけでボーリングに行ってきた。
 ちゃんと会うのは初めての人もいたのだけれど、やっぱり電話では知っているせいか楽しい時間を過ごすことができた。
 ボーリングは2ゲームやって、130台と110台。あんまり上手じゃないのだ。
 帰りは、先輩に車で送ってもらう。
 その先輩は車の中で最近離婚したばかりだということを教えてくれて、そのおそらくは表面的な理由について説明してくれた(本当の理由はもちろん教えてもらえるはずがない)。
 身近な人が離婚したのってはじめてきいたから、どうしてかいろいろ考えてしまう。
 なるほど、と思わされるような話だった。
 実際に結婚したことがあるわけでもないので、あくまでも漠然としたイメージのようなものだけれど。
 実家の近くにあるセブンイレブンの前で降ろしてもらったときには午前0時を過ぎていた。
 小学校の頃からずっと利用していたそのセブンイレブンは、なんだか思いがけない場所で再会した旧友みたいに妙に懐かしく感じられるのだった。
 缶コーヒーを買ってコートのポケットにしまった。
 離婚するのってどういう気持ちになるのだろうって、キャリーバックをがらがらと引きながら、人気のほとんどない静かな路地を歩いて実家に帰る途中考えていた。


 11月25日(日)


 日曜日は、午前中眠っていて、午後からお見舞いに行ってきた。
 日曜日の午後の病院。
 近くの駅の側にある総合病院で、曜日のせいか、随分と見舞いの人たちが多かった。
 ベッドの横にパイプ椅子を用意して、1時間くらい、いろいろ話し込んでしまった。

 そのときは小雨が降っていた。
 実家の玄関にあった、家族の誰のものかもわからない青い傘を持って外に出ていた。

 病院から帰る途中、僕の通っていた小学校のグランドの横を通った。
 雨に濡れる母校のグランドは、どうしてか随分と小さく見えた。
 天気のせいか、日曜日なのにそこには誰の姿もなくて。
 半分だけ地中から顔を出しているたくさんのタイヤや、冬になるとスキ―授業の練習の舞台になる小山、人が乗れるようになっている木の遊具。そして僕が通っていた頃にはまだなかったプール。
 ネットが取り外されたサッカーゴールが、律儀に飼い主を待つ犬みたいに向かい合って佇んでいた。
 その小学校に転校してきたときから、もう20年が過ぎた。
 高校生だったときからは、もう10年が過ぎている。
 青い傘を差して、小学校のグランドを金網越しにぼんやりと見やりながら、そんなふうに思ったりした。
 すごい、と思った。
 20年なんていう時間の幅を、そんなふうにリアルに感じられたのははじめてのことだった。
 小学生の頃の記憶はそれほど鮮明ではないかもしれないけれどちゃんとある。
 そのときから、もう20年も経っているのだ。
 転校してきた日に、そのときクラスの誰と最初に言葉を交わしたかも覚えているのに。
 20年だ。
 ちょっと、いやかなり長い年月。
 簡単には語り尽くせないはずのスパン。
 あの頃のままの部分と、変わってしまった部分のどちらもが僕の中にはあって、そういうすべてが自分の選択の結果なんだよなとなんとなく思った。
 あの頃のクラスメイトたちは、いまどうしているのだろうって、もう名前もほとんど思い出せないのだけれど、どうしてかそんなことを思った。


 夕方には、約1年ぶりに会う先輩とご飯を食べに行った。
 琴似。
 居酒屋に二人で行ったのだけれど、なんだかんだで3時間以上話していた。
 その先輩にはいつもいろいろなことを教えてもらうのだけれど、今回も実際に会うのは約1年ぶりで、やっぱりいろいろな話を聞くことができた。すごいよなって、いつも思う。
 何についての話なのかはいつも変わるのだけれど(話題が豊富な人なのだ)、その先輩の話は自分でちゃんと考えることが重要なんだっていうことを、題材を変えていろいろな角度から話しているだけのような気もする。
 先輩と別れてから、22時過ぎの列車に乗った。
 その夜はとても寒くて、ホームでは吐く息が白かった。
 息が白くなると、意味もなくはあーってしたくなる。

 夜遅くには、叔母も実家にやってきて、久しぶりに会った。
 いろいろ話を聞いた。
 よく話を聞く日だ。


 11月26日(月)


 土曜日に送ってもらった先輩に、今度は朝拾ってもらう。
 午前8時。
 とにかくやたらと寒い朝で、あんまり寒いとついつい笑うしかないよなって思うのだけれど、まさにそんな朝。
 声に出さずに(さーむーいーっ)って思いながら、キャリーバックをがらがら引いてセブンイレブンまで歩く。
 セブンイレブンで飲み物を買う。
 レジのところに店主の奥さんがいて、「あら?」と気が付いてくれる。
「こっちに帰ってきてたの?」
「いえ。いま神奈川に住んでいるんですけど、出張でこっちに来てるんです」
「へえ。元気そうね」
「おかげさまで。元気でやってます」
 そして店を出る。
 小学生の頃から利用している店なので、顔を覚えてもらっているのだ。
 小学生の頃には、月曜日の朝になると、週刊少年ジャンプが入荷するのを雑誌コーナーでずっと待っていた。
 そして、朝読めるところまで読んでから学校に通っていた。
 当時はキン肉マンとかキャプテン翼とか、ドラゴンボールとか、ジャンプの全盛期だったのだ。
(そしてキン肉マンもキャプテン翼もいまでは違う雑誌に続編が掲載されていて、なんだか不思議な気がする)


 日中は仕事。
 

 夕方、駅のホームでマネジャーと一緒に新千歳空港行きの列車を待っている間、ずっと雪が降っていた。
 激しい雪ではなくて、北海道特有の水っぽいちらちらと舞うような雪だ。
 朝から冷え込みが厳しくて、いかにも雪が降りそうな空模様だった。
 そして、すっかり日が暮れた頃に、我慢しきれなくなってしまったかのように雪が降り始めたというわけだ。
 周囲はすっかり暗くなっていて、その中を白い雪がゆっくりと降り続ける。
 実際、昔から慣れ親しんでいる光景だし、別段珍しい光景でさえないようなただの雪。
 けれど、やっぱり目の当たりにするのは久しぶりではあって。
 なんとなく、本当にこれはちゃんとした理由があるわけではないのだけれど、雪が降っているのをみることができてよかったなとは思った。
 三日間のうちに、雪を見ることができるだろうかって、ちょっと願をかけているようなところもあったし。
 どうしてか安心することができた。

 ホームにある自動販売機で缶コーヒーを買って、カイロのように頬に当ててみたり両手で持ってみたりする。
 マネジャーは喫煙コーナーで煙草を吸っている。
 雪の夜には、煙草の煙は随分と孤独そうに見える。
 まるで、この世界に一人きりで立ち向かわなければならないみたいに。

 新千歳空港に着いて(空港の中でラーメンを食べた)、20時台のJALで羽田に向かった。
 22時過ぎに羽田に到着して、新横浜まではバス。
 新横浜からの帰りの電車で最近聞きなれた駅名のアナウンスを聞きながら、自分の居場所に帰ってきたのだという気持ちを抱く。
 北海道は故郷ではあるけれど、いまでは自分の場所というわけではなくて。
 自分の部屋のある場所が、居場所なんだよなと思った。
 自分の選んだ本やCDやもろもろがある場所。
 今回の出張では、どうしてか時間の流れのようなものについて思うことが多かった。
 仕事はほぼ予定通りに終了し、家族にも会うことができて、何かと慌しくはあったけれどよい3日間だったように思う。

 そうそう。
 高校生の頃に使っていたパイプベッドは、相変わらず起きた後身体の節々が痛くなって困ったのだけれど。


―――――――――

『ポスターを盗んでください』読了。原研哉。新潮社。
 再読。
 まだ学生だった頃、一時期原田宗典にはまっていて、ほとんどの著作を読んでいたことがある。
 この本は、その当時に存在を知って手にとったものだった。
 というのも、この本の著者は原田宗典の高校時代からの親友であり、何かの中でこの本の紹介がされていたのだ。
 実際、この本の前書きも原田宗典が書いているし、そもそも「編集者に紹介するお節介まで焼いてしまった。」のも彼だったりする。
 そういうきっかけで知った本だったのだけれど、とても面白いエッセイ集だったという記憶があって、今回、出張中の移動の間に読み返そうと思って本棚から抜き取ったのだった。

 原研哉はデザイナーであり、数々の商業デザインやポスター、あるいは本の装丁(新潮文庫の原田宗典や、姫野カオルコの作品など)を手がけている。詳しくは分からないのだけれど、第一線級のデザイナーであり、略歴を見るとデザインフォーラムの金賞や東京アートデジレクターズクラブADC賞などを受賞している。これらの賞がどういうものなのかはよくわからないのだけれど、現在ではさらに活動が多岐に渡っているのだろう。
 この本はそんなデザインの現場で活躍をしている原研哉が、小説新潮に91年から95年まで連載していたものをまとめあげたものであり、「デザイナーとしての経験もまた、放っておくと(……)堆積してくるわけで、(……)言葉を持ち出してこの状況を整理してみたい気持ちに駆られはじめた。」ものでもある。

 収録されているのはそれほど分量の多くないエッセイが全部で50と少し。
 主に著者の仕事であるデザインを中心にしたものなのだけれど、そのエピソードの専門性に加え、それを切り取る切り口やユーモア、そして文章そのものにとても味があって、数年ぶりに再読してみてもやっぱり面白く感じることができた。

 たとえば、こういうことを書いている。


 デザインというのはその語源を辿るとラテン語で「整理する」という意味である。物の本質を考えながらあらゆる物の関係を整理することがデザインであるから、世に存在する「整理すべきもの」の多さを考えると、デザインの仕事も無限にあるという訳だ。従ってあれもデザインしなくては、いやこれもと、次から次へ様々な対象物が出現するものだから、僕の頭の中はちっとも整理されない。デザイナーというのはそういう矛盾を宿命的に抱え込んだ因果な職業なのである。(198-199ページ)


 また、「三省堂選書」の装丁を短期間に50冊ほど行ったときの思い出について書かれた文章はこのようなものになっている。


 しかし出てくる本の内容は本当に多岐にわたっていて呆れるほどだ。
「インド入門」「オフサイドはなぜ反則か」「古典の中の植物誌」「戦後学生の食生活事情」「さびの科学」「未刊の明治維新」「すみだ川気まま絵図」「中小都市空襲」「お母さんボク英語大嫌い」「伊能忠敬」「ポーランド入門」「埋蔵文化財のはなし」などなど……。
(……)
 混沌したといえばこれほど混沌したシリーズも珍しい。
 ヨガの達人を組み伏せたかと思うと、マッチョなラガーが現れ、それをやり過ごすと栄養失調気味の戦後学生がどやどやとやって来る。気骨の明治の将校が軍刀を振りかざす傍らで伊能忠敬が測量を行い、その隣でジャガ芋を食べているポーランド人の頭にB29から爆弾が降り注ぐ……。(185-186ページ)


 個人的には「お母さんボク英語大嫌い」を読んでみたい気はするのだけれど……それはともかく、こういうふうに、文章にそこはかとないユーモアが含まれているのだ。それなので時折くすりと笑ってしまう。

 また、ヴォーグに関するエッセイの中では、デザイナーの本領発揮なのか慧眼に溢れたこんな文章を書いている。


 ヴォーグの面白さはファッションを人間性の芸術として捉えている点である。焦点が人間に合っている。従ってモデルたちもそこで勝負している。
 ただ奇麗なだけではなくて、一度目を止めると、しばらく見つめざるを得ないような印象的なルックスを彼女たちは持っている。人が本来的に持っている罪深さや美しさ。人の本能の周辺に漂う危うい事件性。そんなものを瞳や唇でずばりと決定的に語り切るモデルがいる。それを写真家がレンズで増幅するものだから、そういうものに出会うと鳥肌が立つ。
 要するに小賢しいお洒落を提案していないのだ。
(……)
 一流のファッション・デザイナーの創造性を真正面からどんと受けとめることのできる人間の自信、才能、キャリア、そしてエネルギー。ファッションや社交というのはそういうものが織りなす芸術であるとヴォーグは語っているのだ。
 だからこの雑誌を眺めていると、お洒落になろうというよりも、存在感のある人間になろうと思うようになる。整ったルックスよりも、むしろ自分の持って生まれた歪みを把握しきることの中に強烈なファッション性が生まれてくるということを知るようになるからだ。
 まあそんなことを言っても、ふと鏡を覗くと、ファッションの「フ」の字にも至らないモノがそこにあるわけで、思わず「ヴ」と唇を噛んだりしているわけであるが。(119-120ページ)


 文章を書くことを生業にしていない人が書くエッセイには、その独自の世界が垣間見えることもあって興味深いものが少なくないけれど、この本もやっぱりそうだ。本職じゃないのにこれだけ読ませるのだからすごいと思わされてしまう。
 また、文章にすることによっても「整理」されるものはあるようで、あとがきではこのように書いている。


 この連載の幸福な副作用として、デザインに対する僕自身の考え方が柔らかく膨らんできたという事実もここに記しておきたい。感覚的なデザインの営みは得てして鋭角的な緊張感ばかりを気持ちの中に増殖させてしまうのであるが、言葉という形で陳列してみるとそれは意外にほのぼのとした逸話に変容する。こういう発見はデザイナーのキャリアとしても意義深い体験だったと思う。(260ページ)


 ちなみに、風変わりなタイトルは、ポスターのデザインを依頼するときによく言われるこの言葉。
「たくさんお客が入って、しかも盗まれるようなポスターにしてください」
 に由来しているとのこと。
 面白かったので少しだけ安心する。
 再読って、いつもハラハラしてしまう。
 昔はあんなに感動できたのに、ほとんど何にも感じないっていうことだって、もちろん充分有り得ることだから。


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 お知らせ

 新千歳空港では、やっぱりROYCE'のチョコレートを買う(じぶん用)。
 今回は生チョコレートの、オーレ味。
 いつも思うことだけれど、とてもおいしい。


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