Sun Set Days
DiaryINDEXpastwill


2001年11月28日(水) 『夢で会いましょう』

『夢で会いましょう』読了。村上春樹、糸井重里共著。講談社文庫。
 出張の帰りで3分の2ほど読んで、今日残りを読み終える。
 村上春樹の本はほとんど読んできたつもりだったけれど、実はこの本は読んだことがなくって、それで手にとってみたのだ。
 これは著者の2人が、カタカナ文字の外来語をテーマに、ショートショートを競作した作品集だ。
 ア行の「アイゼンハワー」、「アシスタント」から、ワ行の「ワム!」「ワン(バウワウ)」まで、様々な種類のカタカタ文字がテーマに挙げられている。

 そして、この本はそれぞれのショートショートの最後に○に囲まれた「i」と「m」が書かれていて、それが糸井重里と村上春樹のどちらの手によるものなのかということを示している。
 それなので、僕はそのショートショートを読みながら、どちらが書いたのかを文章だけで当ててみようと読んでいた。
 全部読み終わった結果としては、大体95%くらいの確率で当てることができ、5%くらいは間違ってしまった。

 改めて思うのは、村上春樹の比喩の巧さだ。ある種脈絡のない言葉を繋げながら、ひとつのイメージを抱かせることに関しては、本当に巧いよなあとため息をついてしまう。とりわけ、本書はショートショートなので、そういう比喩なんかがよりわかりやすく拡大されて見えているようなところがあるし。

 面白いなあと思ったのは、たとえばこういう文章。


 ひとくちで言ってしまえば、彼女は1967年の夏を一人で引き受けたような女の子だった。彼女の部屋の戸棚には1967年の夏に関するすべてが、整理された下着みたいにきちんと収められているんじゃないか、という気がした。(62ページ)

 そして僕は不親切な公認会計士みたいな味のするパンを口の中に放り込んだ。(94ページ)

 朝の五時に女の子が僕の部屋のドアをノックした。外には細かい雨が降っているらしく、彼女は壊れたスチーム・アイロンみたいにぐしょ濡れになっていた。(168-167ページ)


 どれも、懐かしいような村上春樹の文章(比喩)で、やっぱりいいと思う。
 たとえば、「1967年の夏を一人で引き受けたような女の子」だなんて、奇麗だなんてどこにも書いていないのに、ものすごく魅力的だということがそれだけでイメージできてしまう。また、「不親切な公認会計士みたいな味」のパンは不味いんだろうなとなぜか味を想像することができるし、「壊れたスチーム・アイロン」みたいならさぞぐしょ濡れだろうとも容易に思える。
 こういう比喩を目の当たりにする度に、比喩の力なら信じられると改めて思う。

 高校生のときにはじめて『ノルウェイの森』を読んで、それこそ森中の木が倒れてしまうくらいの衝撃を受けて、それから『風の歌を聴け』から年代順に読みまくった。
 そして現在まで新刊が出ればほとんどすべて買うようにしてきた。
 同時代に生きていて、まだ新刊を読むことができるなんてと思うともちろん嬉しくなる。

 また、共著者でもある糸井重里のショートショートも面白かった。シュールな視点なんか、結構(ハルキ氏と)似ているようなところもあるし(こちらは、より具体的な風俗や固有名詞が多めだけれど)。

 村上春樹の文章って、個人的には久しぶりに読むと、(比喩的な意味で)いつも自分の作っているパズルにこういう文章が欠けていたんだって思わされる。
 早く長編、出ないだろうか。


―――――――――

 出張のとき、帰りに乗った飛行機でのちょっとした出来事。
 薄暗い機内は、照明が弱めになっており、周囲には眠っているサラリーマンや、機内誌を開いている人、それから音楽を聴いている人たちがいた。20時台の飛行機なだけあって、どことなくけだるい疲労感のようなものが周囲にそこはかとなく漂っている。
 そのコンソメスープは、飲み物を配ったあとにやってきた。
 今度は希望者にのみにということで、仰々しいワゴンではなくて、小さなトレーの上に、コンソメスープの入った半透明のポットと、逆さに重ねられた紙コップが置かれているのを、スチュワーデスが持って歩いていた。希望者にだけ、注いでくれるのだ。
 僕は片手を挙げてそれを頼んだのだけれど、入れてもらうときに飛行機が少し揺れたのか、手元にコンソメスープがこぼれてしまった。

 こういうときのスチュワーデスの動きは早い。

 まず謝る。

「申し訳ございません!! やけどなどは大丈夫でしょうか?」
「ああ、全然大丈夫です」

 本当に大丈夫だったのだ。全然熱くなんかなくて。
 それを確認すると、すぐにその場から去り、かわりのコンソメスープと拭くものを持ってきてくれる。無駄のない動き。まるで申し訳なさそうな表情も訓練されているみたいに。

 そして、もう一度謝る。

「本当に申し訳ございませんでした」
「大丈夫です。全然」

 それで、終わりだと思っていた。別に怒っているわけではないし、正直な話なんとも思っていなかったし。
 飛行機は揺れるものだし。
 さすがに、スチュワーデスの人って、こういうところはきちんとしているのだなと思った。

 でも、それで終わりというわけではなかったのだ。

 まず、10分ほど後に他の用で僕の横を通るときに、さらにもう一度謝る。

「先ほどは申し訳ございませんでした」
「あ、いえいえ。全然」

 それからしばらくすると、先輩風のやや年配のスチュワーデスが僕のところまでわざわざやってきて、やっぱり恐縮したように謝る。

「先程、スープをこぼしてしまったということを聞きまして……誠に申し訳ございませんでした」
「……ぜ、全然大丈夫ですよ?」

 飛行機が羽田空港に着いて、帰り際にも、スープをこぼしてしまったスチュワーデスが、

「先程は申し訳ございませんでした」
 とやっぱり謝る。

 って、何回目だ!(5回目)

 とはもちろん言わなかったのだけれど。
 それにしても、ああいうふうに何度もきちんと謝られてしまうと、逆にどこか恐縮してしまう。
 しかも、こちらのほうでは、それほど迷惑を被ったと思っているわけでもなかったから、なおさら。
 もしこれが精神的及び肉体的に多大なるダメージを受けたことであるのなら、もちろん何度も謝ってもらうことも当然だと思うのかもしれない。けれど、全然そんなふうには思えないことだったから、逆に丁寧すぎるよなあと思えたりもして。
 まあ、それだけ社員教育が徹底されているということでもあるのだろうけど。
 ちょっと、びっくりしたのだ。
 マニュアルとかあるのだろうか?


―――――――――

 お知らせ

 最近、庭にクリスマスの照明をしている家が増えてきましたね。
 散歩していても、楽しく思えます。
 電気代は、すごそうですが。


Sun Set |MAILHomePage

My追加