Sun Set Days
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2001年12月02日(日) |
my wrist watch+left-handed person |
腕時計って、どちらの手につけるものなのだろう? 僕は左利きなのだけれど、腕時計も左手につけている。 以前、それでやんわりと驚かれたことがある。 左利きなのに左手に腕時計つけるんだ? って。 その意見から推測すると、利き腕と反対の腕に時計をつけるということになる。
つまり、
右利きの人は左手に 左利きの人は右手に
つけるのが普通ということになるわけだ。
いま自分の部屋でDaysを書いているので、他の人がどうかを確かめることはできないのだけれど、どうなんだろう。 まあ、そういうのは人それぞれで、自分にとってしっくりくるほうで全然問題ないことなんだけれども。
ちなみに、僕がいまよくつけている腕時計は1万円くらいのシルバーのやつ。 ALBAの「WIRED」シリーズの初代(今度4代目がでる)。 これは昨年の初夏、出張中に西鉄福岡の駅ビルで衝動買いしてしまったものなのだけれど、デジタルがとてもきれいなのだ。 説明すると、普通のデジタル時計って「8」のパターンになっている。「8」のある部分が消えることによって、他の数字を表現するというわけだ。 ただ、この時計は、どういう仕組みなのかはよくわからないのだけれど、デジタルがフォントになっていて、数字ごとに異なる場所にきれいなフォントであらわれてくるのだ。デジタル時計なんだけれども、文字がとてもきれい、なめらか。そこに一目ぼれして買ってしまった。 それ以来気に入ってずっとつけている。
腕時計はあと2つ持っている。高くないやつ。高いのはもちろん質がいいのだろうけど、なんだか気後れしてしまう(出せたとしてもいまの心境だと3〜4万円くらい?)。 デザインと実用性が気に入って価格がそれなりなら、それで満足してしまうのだ。 しかも、一度買うと結構長く使うことができるし。それなので、あんまりころころ変えなくてもいい。 ちなみに、ひとつは大学に入学するときに親が買ってくれたセイコーのやっぱり2万円くらいのやつ(これはアナログ。文字盤がとてもシンプル。シンプル推奨)。 もう一つはやっぱり大学生のときに買ったアニエスの限定のデジタル時計。これはボタンを押すと、デジタルが赤いバックライトで照らされるのだ。ベルトと電池を何度も交換しながら、いまだにちゃんと使っている。これは確か2万5千円だった。 あとは、スウォッチをいくつか持っていたのだけれど、いつの間にか壊れたりなくなったりしてしまった。 時計ってたまにものすごく欲しくなるときがある。 百貨店なんかの時計コーナーを見ていると、本当によくこんなの考えるよなっていうくらいたくさんの腕時計があってみているだけで楽しいし飽きない。 これからもそんなハイペースではなくても、腕時計を買っていくのだろうけど、そのときもいま使っているやつも一緒に使っていきたいとは思う。
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僕は何でも左の左利きなので、食事も、文字を書くのも、ボールを投げるのも左だ。 小学生の頃には、一時期センセイに言われていわゆる矯正をさせられそうになったけれど、いつの間にかうやむやにしてしまった。 はさみを使うときや他のもろもろのときに、ちょっとだけ不便かな? と感じるときはあるけれど、別にそれで生活に支障があるわけじゃない(書道だけは右でやったけれど)。それにいまでは、左利き専用グッズなんかもたとえば東急ハンズに行けば売っているし、通信販売のフェリシモでもそれなりにアイテムを扱っていると聞いたこともある。 いずれにしろ、無理に右で何かしようとすると戸惑ってしまうことが多いので、左のままの方が気楽だ。 でもまあ、現代に生まれていてよかったと思う。
たとえば、ライアン・ワトソンの『アースワークス』(筑摩書房)にはこう書かれている。
中世のヨーロッパでは、左手で食べたり書いたりすると、黒魔術か妖術使いの嫌疑をかけられるのに十分だったし、家とか神聖な社のまわりを逆時計方向、つまり右から左向きに歩いたりするだけでも大変なことだった。(239ページ)
少なくとも、現代では黒魔術を使うなんていう疑いをかけられることはないし。左利きであることを理由に迫害されたりすることなんかはないわけだし。
ちょっと想像してみる。 中世ヨーロッパの石畳の街並み。 その一角に住んでいる僕。両親と食事をしている。
激しい音。 ドアが突然開けられる。 僕は左手にスプーンを持っている。
「隊長っ! 左利きを発見しましたっ!」 「すぐさまひっとらえろ!」 「はっ!」
左利き狩りだ。
「早くっ! 逃げるのよSun Set」 「ワシたちのことは気にするな! 早く! 行け!」 衛兵の前に立ちはだかってくれる両親、僕は彼らに取り押さえられる2人を尻目に裏口から逃げ出す。 追っ手はすぐにやってくる。街の鐘楼が激しく鳴らされる。
「左利きが逃げたぞー」
路地という路地を逃げ続けながら、いつしかへとへとに疲れ果てる僕。 家と家の間の細い路地で立ち止まり、両手を両膝につけるようにして呼吸をととのえる。
「あっ、いたぞ! 左利きだ!」
左側に衛兵が立ちはだかる。右に逃げようとすると、そこにも衛兵の姿が。両方を挟まれてしまった。逃げ場を探して天を仰ぐが、手摺りすらない。 万事休す――。 そして、はりつけにされている僕。 どんな言い分も聞き入れてもらえずに、黒魔術を用いて人心を誑かそうとしたという嫌疑をかけられてしまう。 そこは街の広場で、街の人たちが遠巻きにひそひそと囁きあっている。
燃やされるか首をはねられるか。 いずれにしてもハッピーエンドじゃない。 そして、最後の瞬間。
「何か最後に申すことはないか。なんでも良いぞ」 偉そうなおじいさんがそう言ってくる。 沈黙。 街中の人たちが見守っている。
「……わ」
「ん? なんじゃ? もっと大きな声で言わぬと聞こえぬぞ」
「……わたしは左利きじゃない、サウスポ……うわあーっ!」
最後まで言わせてもくれない。
……って、いやだなあこういうのりやすい性格。
冗談はさておき、昔から左利きや左的なものには、「不浄」の烙印のようなものが押されていたのは事実みたいだ。 しかもそれがある特定の宗教だけのことではなく、キリスト教や古代中国の陰陽、あるいはイスラム教でもそうみたいだし。オールスターキャストかいって、思わずつっこみたくなる。どれでも、あんまり肯定的な意味で出てきてはいないみたいだし。 うーん。 そういうのって、ちょっとだけ困ってしまうけれど、まあ気にしなければいいやとも思う(実際全然気にしていないのだけれど)。 みんな顔や髪型が違うように、利き腕が違うだけのことだし。
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昨日、ワールドカップの抽選日だと思って、インターネットTVガイドで抽選会のテレビでの放映時間を調べていたら、『トリュフォーの思春期』の文字が。
えええっ!
と反応する。19時から、テレビで放映することになっている。 そのときは16時過ぎ。 土曜日の19時なんていう時間にそんなおちゃめなことをするテレビ局はどこだっ! と見てみると
MXテレビ
の文字が。 東京(とある程度の関東圏)でのみ見ることのできるテレビ局だ。 すぐさま、僕の部屋のテレビでMXテレビを見ることができるかどうか確認する。
OK。
やったっ! といわんばかりに近くのコンビニに行ってビデオテープを買ってくる。 普段テレビを見ないし(1週間に2時間くらい)、ビデオに撮る習慣もないので、必要ないのだ。 でもでもこれはぜひ録画しなければっ! とやたらと無駄にテンションが高くなる。
(一応、今日のDaysではテンションの高さを表現するために、「!」を多用しています)
そして録画開始。 Gコード予約をしていたのだけれど、設定が間違っていたのかなぜか予約が始まらず、19時1分から慌てて手動で録画スタート。
フランソワ・トリュフォーって、大好きな映画監督の一人だ。キェシロフスキとトリュフォーは間違いなく個人的なベスト5に入る。 そのトリュフォーの作品の中でも、この『トリュフォーの思春期』はとりわけ大好きなものの一つだ。 愛と優しさの映像作家とも呼ばれているトリュフォーの、まさにそういう側面が遺憾なく発揮され、なおかつ考えさせられる群像劇。 フランスの夏休みの子供たちの様々なシーン、たくさんの微笑ましかったりおかしかったり切なかったりするエピソード。 詳しくは時間ができたらMy favoriteに書こうと思うのだけれど、まだ録画したものは見ていないのだけれど、楽しみだ。 来週はまた出張でいろいろと部屋を離れることが多くなるので、その後でゆっくりとみたいなと思う。
楽しみが待っているのってやっぱりいいかもと思う。
ちなみに、来週の同じ時間は、ベネックスの『ディーバ』を放映するそうです。 よいラインナップかも。
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お知らせ
もういい年なんだから、あんまりふざけないようにしたいなとは思ってはいるのです。
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