Sun Set Days
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2002年01月02日(水) |
My sweet time bomb+『小説作法』 |
社会人一年目のある夏の休日、僕は函館の街を散歩していた。 やけに暑い一日で、北海道の夏は短いのだけれど、そのせいか青空は随分と眩しく輝く。坂道が多い街だからついつい見上げることが多くなるのだけれど、坂を越えた先に緑の山々が目に入り、その上に純度の高そうな青色が広がっているのが見えた。 夏になると、たくさんの色が鮮やかに輝くような気がする。空気がその物本来の色をさえぎったりしないようなところがあるのかもしれない。冬になると空気に一枚の透明な薄い膜のようなものがかかって、その膜は透明なのにどこか色のピントを損なってしまうような気がするからなおさらだった。
確か随分前のDaysでも少し書いたけれど、函館は学生時代に当時の恋人と旅行で訪れたことのある街だったから、その場所で自分が暮らしているというのは不思議な感じだった。たとえば、その日見て回っていた観光地のほとんどは数年前にも訪れたことのある場所だったし、やっぱりそうすると当時のことを思い出してしまうのだ。 ひとつの場所からは、たくさんの記憶を引っ張り出すことができる。 夕方にロープウェイで函館山の展望台に登り、雲が結構ひどくてなかなかに夜景を見ることができなかったこととか、朝に食べたいかそうめんがとてもおいしかったこととか。あるいは、五稜郭タワーから、小雨に降られた五稜郭公園が見えたこととか。 観光地の集積するエリアを歩きながら、そういう他愛のないことを一人思い出しては感傷的な気持ちになっていたのだ。
もちろん、そういう思い出は函館にいるのにせっかくの観光地を巡らない理由にはならなかった。 僕は函館に住んでいた数ヶ月の間に昼の函館山にも夜の函館山にもロープウェイや先輩の車で何度も上った。他にも、よく晴れた初夏の五稜郭公園を散歩もしたし、港のレンガ倉庫周辺だって何度か歩いた。1泊2日の観光客では発見できないような場所にもたくさん行ったし、当時は知らなかった女の子と裏夜景を観に行ったりもした(街を挟んで函館山と正反対の山々から見る夜景のことを地元の人たちは「裏夜景」と呼んでいた。別に特別な展望台などがあるわけではないのだけれど。早朝近くまで、その細い路地のいたるところに、夜景を見るカップルたちの車がたくさん続いているのはなんだか滑稽だったけれど)。 だから、僕は函館で新しい時間を過ごしながら、時間はちゃんと流れるのだなと、改めて思っていた。
その日はたまたま函館山に行く途中で、同じく休日だった会社の先輩(男)とばったり会った。なんだか見覚えのある人がいるなと思っていたら、先輩だったのだ。その月に函館に着任したばかりだった先輩は、せっかくだからと1人で観光地を巡っていたのだった。 狭い街というわけじゃないのに、その偶然に僕はなんだか笑ってしまった。声をかけると先輩も僕に気付いて、「おお」と言った。 「○○君もそうなの?」 そう訊かれて、「そうなんですよ」とこたえる。「散歩日和だし」 そして、僕はその日の長い午後をその先輩と一緒に観光地を巡って過ごすことにした。「せっかくだから、一緒に回りましょうよ」と持ちかけたのだ。 誰かと一緒だと、あんまり感傷に浸ってもいられなくて、その日を楽しく過ごすことになった。僕にかろうじて長所があるとしたら、切り換えが早いことでもあるし。僕はその先輩の話すたくさんのエピソードにいちいち驚いたり、笑ったりした。 その先輩は観光情報誌のようなものをちゃんとチェックしていて(すごくマメな人だった)、一通り観光地をめぐった後で車がすれ違えないような細い道路の先にある喫茶店に行った。 その喫茶店は街から外れた海岸ぎりぎりのところに建てられていて、夕方になると沈む夕日が奇麗に見えるというのが売りだった。 僕らはその大きな窓の開け放たれた2階席で、軽食を食べてコーヒーを飲みながら、ゆっくりと沈んでいこうとしているきれいな夕日を見ていた。 おもしろいよなあってずっと思っていた。 その日偶然坂道の途中で先輩と出会っていなかったら、僕はその店のことをずっと知らなかっただろうし、そこから見える美しい夕日を見ることもなかったわけだ。 よく人生は不可逆の枝道の繰り返しで、選択をし続けていかなければいかないというたとえがあるけれど、だからどの枝道を選んでも、そのそれぞれにいいことも悪いことも分量の差こそあれちゃんと用意されているのだと思う。たとえば別れたときには最高に落ち込んでしまった恋人と離れてしまってもまた同じ街でそういう美しい景色に出会うことがあるし、また違う人と出会うこともある。 僕はこれからの自分の人生がどんなものになるのかなんて正直な話よくわからないのだけれど、ただ、いままでのことを思い出すと、どんな環境であれ起こるべきことは起こるし、ただ目の前の様々な出来事や風景に、ちゃんと感応できる心持だけは持っていたいよなと思う。 ノイズがクリアになる、自分の周波数をちゃんとわかっているということ。 それがとても大切なことだと思うのだ。 もちろん、そんなことが余裕のない時期にはとても難しいことだということもわかっているのだけれど、そういうときのためにもきっと日記は役に立つ。 余裕のないときに、余裕のあるときに書いた文章を読み返してみるのだ。 文章を書いているのは同じ自分なのだから、そのときの心持を読み返してみることによって、溢れてしまったノイズを、そうすることで少しは弱めることができるんじゃないかなと思う。
さて、今年はどんな1年になるのだろう? 前半は仕事が忙しくて余裕を失ってしまいそうなので、いまのうちにこうやって書いておこう。 日記も時限爆弾のように、数ヵ月後の自分に響くようなものがあってもいいのだろうし。 まあ、それなら誰も傷つけない優しい時限爆弾のようなものなのだろうけど。
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お正月の新聞のテレビ欄を見るのはとても楽しい。 実際に見ることはなくても、チャンネルを合わせればたくさんの芸能人が一堂に会した番組があり、豪華な出演者のスペシャルドラマがあり、様々なアーティストたちのライブもやっている。まさに盛り沢山だ。小学生や中学生だった頃には、年末年始にテレビを見るのは本当に楽しみだった。 いまはテレビはほとんど見ないのだけれど、それでもお正月のテレビ欄はまじまじと見てしまった。 そして、たくさん気になる番組があったのだけれど、とりわけ気になったのがこの番組。
1月1日(火)の午後3時からなんと2時間に渡ってテレビ東京でやっていた番組。
「徳光VSえなり!! ゴルフ真剣勝負 年の差40歳実力は互角▽徳光負けたら六甲おろし歌う▽豪華ゲスト珍プレー&美技▽なお美マジ誘惑えなり赤面」
……ねえ?
昨日のこの時間は映画を観に行っていたので見てはいないのだけれど、もし僕がこの番組の企画書を見せられたスポンサー企業の人だったら、ゴーサインを出すだろうかってちょっとだけ考えてしまった。ちょっとだけ。 もしこの番組を見た人がいたらぜひ感想を聞いてみたいものです。 徳光さんとえなりかずきのどちらが勝ったのか。G党の徳光さんが負けたら六甲おろしを歌うのは確かに屈辱だけれど、えなりかずきは負けたらどうするのか?(「渡る世間は鬼ばかり」を降板するとか?) なお美マジ誘惑のなお美って川島なお美なんだろうかとか、とにかくいろいろと想像してしまう。まあ、すべてどうでもいいと言えば最高にどうでもいいことなのだけれど。
でも、今年の夏くらいに、「年の差カップル発覚!!」とかいう見出しがスポーツ新聞を飾って、えなりかずきと川島なお美が付き合っていることがスクープされたらいやだな。
「きっかけは、そうですねえ……お正月の特番だったんですよ」
ってやけに大人びたえなりがレポーター陣に向かって語るのだ。
やれやれ。
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『小説作法』読了。スティーブン・キング著。池央耿訳。アーティスト・ハウス。 『ミザリー』や『グリーン・マイル』などでお馴染みのベストセラー作家スティーブン・キングが書いた帯によると「小説家として学んだすべてのことを伝えたい」という本。 と言っても、いわゆる堅苦しく権威ぶった文章論になっているわけではなくて、キング自身の言葉を借りれば「物書きなら、当然、心得ている文章技術の初歩の初歩でしかない。」というようなことをわかりやすくかつ共感できる形で書いている本だ。 その最たるものは、繰り返し語られる「よく読み、よく書く」ことだという部分だと思う。 キングは作家になりたいのであれば何を措いてもそれを怠ってはならないと述べている(ちなみに、自身は遅読と断った上で年に小説を70〜80冊ほど読むと書いている)。 また、「小説の役割は文法の手本を示すことではなく、物語を伝えて読者に喜んでもらうことである。小説を読んでいることさえ忘れてもらえるようなら、これに越したことはない。(154ページ)」というような、細かなことではなく本当に大切なことが何なのかについての説明も多い。本書に書かれている内容はよい文章を書くには「〜しなければならない」的なものではなく、直裁的に姿勢のようなものについて述べているところが多いのだ。それなので読んでいて気持ちがいい。 もちろん、そういう「考え」を述べている部分ばかりというわけではなく、具体的なポイントや技術に関する解説もあるにはある。たとえばそれは「副詞はできるだけ使わないこと」であったり、「受動態よりは能動態を用いた方がよい場合が多いこと」、あるいは構想を練ることをあまり推奨はしないということ。あるいは会話や比喩について他。それぞれについて、あくまでも個人的な考えであることを述べた上で、説明を続けているのだ。 そのため、この本は、一般的な文章読本というよりは、一人の作家の物語や書くことに対するスタンスを率直に述べている本という性格の方が色濃いような気がする。もちろん、その内容には普遍性が伴っているとも思うけれど、数々の文章の基本の中から、何を選択して語るのかはそれぞれの個性によるわけだし、本書の場合、その選び方にとりわけ強く色がついているような気がするのだ。 それなので、僕はキングの本をたくさん読んでいるわけではないけれど、それでもほとんどすべてを読んでいるファンにとっては(キングの熱心なファンはたくさんいる。大抵の場合ものすごく熱心な人が多い)、たまらない内容なんじゃないかなと思う。 敬愛する作家が自らの拠り立つスタンスについて自ら語っているのだ。それがファンにとって興味をひかないはずはない。
また、本書の最後の方では、ある短編の前半部分の初稿と第二稿を並べて提示し、どのように推敲を行っているのかも見せている。
訂正のほとんどは理由を説明するまでもない。初稿と推敲した原稿を比べれば、違いは一目瞭然だろう。なおよく読めば、プロの作家といえども、初稿はいかにお粗末か、おわかりと思う。(327ページ)
初稿と第二稿を読み比べてみると確かに大きく変わっていて(もちろんかなり読みやすくなっていて)、なるほどと思ってしまう。 (キングによると、ポイントは「無駄な言葉を省くこと」と、「第二稿=初稿―10%」の二つになるのだそうだ)
また、本書の前半ではキングの幼少期から作家として身を立てるまでの「生い立ち」が語られていて、その部分も面白く読むことができた。とりわけ、現在でも一番の読者であり批評家ともなっている妻タビサとのエピソードはこの作家にこの妻ありなんだと思えもしたし。
僕もこのDaysでほぼ毎日文章を書いているけれど、いわゆる文章読本のような本はほとんど読まないので、新鮮でなるほどと思わされることが多かった。 なるほど。すごい。
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お知らせ
今日のヘヴィ・ローテーションは昨日も書いたのだけれど、ホール&オーツの「One On One」。 もう最高。 気に入った曲はオールリピートで何度も何度も聴いてしまう。 でもやっぱり、オーツはマリオ(ルイージ)に似ていると思うのだ。
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