Sun Set Days
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『N・P』再読。吉本ばなな。角川文庫。
読み終えて、「本書は、一九九○年十二月、当社刊行の単行本を文庫化したものです。」という文字を見たときに、まず驚いてしまった。 もうそんなになるんだ……と、なんだかしばらく力が抜けてしまったみたいに呆然としてしまった。 90年と言ったら僕はまだ16歳くらいだから、高校生だ。 その年の暮れ、確か単行本は12月に発売されたのだけれど、すぐに買って、一気に読んでしまったのだった。 そのせいか、年末に読んだというイメージがとても強い。 今回、ほぼ10年ぶりに通して再読をして、いろいろと思うところがあったのだけれど、やっぱり改めていいよなあと思った。吉本ばななの作品を5つ挙げろと言われたらおそらくその初期の作品に集中してしまうのだけれど、中でもこの作品はやっぱり入ってくると思う。 境目について語ることに関しては、僕がいままで読んできた小説家のなかでは、やっぱりこの人が一番だと思ってしまう。
手にとったのは、本当に偶然だった。 昨日、買物に出かけるときに、手ぶらで行きたくて、じゃあ文庫本を持っていこうかなと考えてみた。 本当は、年末年始用に買いためた本がまだ何冊もあるのだけれど、それらはすべてハードカバーだったので、現実的にコートのポケットには入らなかったのだ。 それで、文庫本の中から何かを選ぼうと思ったときに、目に入ったのがこの『N・P』だった。 どうして文庫本版を持っているのかはよくわからなかったのだけれど、おそらくもう1年以上前になる出張生活のときに買ったのだと思う。そのときには、恒常的な移動を続けていたのだけれど、昔好きだった小説を無性に読み返したくなる衝動に駆られることがよくあったのだ(『落下する夕方』の文庫本なんて、その衝動のために3冊も持っている。部屋にあるのがわかっていても、部屋に帰ることができるのがいつなのかがわからない日々だったからつい買ってしまっていたのだ)。 けれども、結局そのときにはすぐに衝動が収まってしまったのか、通読はしていなかった。 そして、ずっと、本棚(というか無地のカラーボックス)のなかにしまわれてあったのだ。
買物の行き帰りの電車の中で、50ページくらい読み進めた。眠る前にも読んだ。 そして今日帰ってきてから、続きが気になってしまってそのまま続きを読んだ。 読み終えたのは0時少し過ぎだ。 しばらく、なんだかぼんやりと余韻にひたってしまった。
印象に残る場面や、文章はたくさんある。 けれども、いくつかを挙げるとしたら、
父がいないのは淋しかったけれど、その生活は面白かった。3人でいると、年齢や役割が日に何度も入れかわる。ひとりが泣き、ひとりがなぐさめ、ひとりが弱音を吐き、ひとりがはげまし、ひとりが甘え、ひとりが優しく抱きしめ、ひとりが怒り、ひとりが誤りを正した。(13ページ)
夜は萃に似ている。(127ページ)
今思ってみても、そのときの屋上には悪い影はなかった。何かいいもの、子供時代の夢のようなものに包まれていた夜。(158ページ)
とか。 もちろん、他にもたくさんあるのだけれど、いろいろと思うところはMy Favoriteのほうにまわしておこう。なかなか更新していないMy Favoriteだけれど、この小説はやっぱりそっちの方に入れておきたいし。
あと、補足でちょっとだけふれるとしたら、吉本ばなな描く主人公の「私」たちは、根本的なところで(致命的にというべきかもしれないけれど)肝がすわっている。そして何ていうかこう……お酒が強そうだ、とても。
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仕事はじめの今日はまだ休日のところが多いためか、電話もほとんどなくスムーズに進む。新春ミーティングとか新春休憩とか、何かと新春をつけるのが自分のなかでは流行っている今日この頃。 同僚は連休中にパチスロに行き、1日で(しかも3〜4時間くらいで)13万円も勝ったと話していた。 僕はパチンコやパチスロはやらないので詳しいことはよくわからないのだけれど、ただ、数時間でそんなに勝ってしまうこともあるのだから(13万円なんて、すごい)、やめられないのだろうなとは思う。まあ、大勝ちするときもあれば大負けするときも少なくないという話だったけれど。個人的には、そういう話を聞いても、たぶんやらない。 お金をかけるなら、別のものにと思ってしまう。 宝くじは、購入したメンバーは全滅。
そして、今日は仕事が終わった後、同僚5人と奮発してステーキを食べに行く。 何かと言うと肉を食べさせておけばいいのはお約束だ。 おいしかったし、おもしろかった。
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asahi.comで、帰省ラッシュの渋滞に関するニュースがあって、その中にとあるジャンクションの渋滞の様子をRealplayerで見ることができるというものがあったので、ちょっと試しに見てみた。 ヘリコプターから撮っている映像で、ジャンクションに連なり続ける車の群れを上空から映し出していた。 料金所に収斂されている夥しい数の車の明かりを見ていると、なんだか世界の終わりを避けるために、とにかく遠くに脱出しようとする人たちの群れのように見えたりもする。画像がやや粗くて、それも何だか不穏な事態が起こっているのではと錯覚させる。 いずれにしても、インターネットで、渋滞の映像をダウンロードしてみるのって、なんだか随分と不思議な感じのすることだった。 意味を求めるようなものではないのだろうけれど、なんだか。
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今日はMAXWELLを聴いているのだけれど、最近購入したCDは当たりばかりで、聴く時間は限られているので嬉しい悲鳴だ。 気に入った曲は何度も聴きたいのでリピートしてかけるのだけれど、でもあっちのアルバムのあの曲も聴きたいしとか思って。 しばらくは、この贅沢な状態でいろいろと繰り返したくさんの曲を聴いていこう。 でも、高音の美しい歌声って、やっぱりいい。 甘く甘い声。 ちなみにMAXWELLは男なのだけれど、やたらとセクシーな声をしている。すごい。
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お知らせ
何だか本棚を見ると、同じ本が他にも何冊かあるのです……。
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