Sun Set Days
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2002年01月06日(日) あらためて思うこと

 今日は正午頃実家に到着し、昼食をとってから、1人で祖母の家に出掛けてきた。
 祖母は列車で1時間もかからないところに住んでいるので、それほど時間もかからず訪れることができるのだ。
 列車がホームに着くと、駅から海まではすぐなので、とりあえず海岸に出てみた。久しぶりの海。しかも冬の日本海。味覚と同じで、子供の頃に慣れ親しんだものの影響力は大きくて、いまだに海と思い浮かべると、まずは条件反射のように日本海が思い浮かんでしまう。その、日本海。
 今日はよく晴れた一日で、ただ波は随分と荒れていた。青空の下に白い波頭が繰り返し見えていた。晴れてはいても、どことなく波が重く感じられるのは日本海に影のように寄り添う特徴かもしれない。
 バックの中に入れていたデジタルカメラを取り出して何枚か写真を撮る。よく考えてみたら、何度も訪れている場所なのに、この町で風景を写真にとどめたのははじめてだ。そうすることが必ずしもいいことではないような気がするときもあるのだけれど、(写真を撮るときには、撮らずに記憶にとどめる方がいいんじゃないのか? と思ってしまうときがある。画面を覗くことに気をとられすぎて、実際にその景色をちゃんと自分で見ることがないがしろになってしまうんじゃないのかと、そんなふうに思うのだ。そして、それはとてももったいないことのように思えてしまう)それでもシャッターの丸いボタンを何度か押す。とどめること。そうすることで、様々なことを再現することができるとも信じているわけだし。
 それから、ゆっくりと懐かしさを確認するように歩きながら祖母の家に向かった。久しぶりの道筋でも、たとえば家族と一緒に歩いているときと、1人で歩いているときとでは感じ方見え方が違ってくる。1人のときのほうが、奇妙に感傷的になってしまうのだ。駅からの道路は、ちゃんと忘れていない。間違えずに、祖母の家に向かうことができる。
 祖母は今年77歳になるのだけれど、1人で暮らしている。子供の頃から何度も訪れている川の近くの家に住んでいる。
 祖母の家に到着したのは14時半くらいで、それから18時半まで、ずっとそこにいた。
 祖母と2人きりで、ずっと話をしていた。
 より正確に言うのなら、ほとんど話を聞いていたという方が正しかったのだけれど。
 普段は家族の誰かと一緒に行くことが多かったから、社会人になってから祖母の家を1人で訪れて、こんなに長い時間話をしていたのははじめてだったと思う。
 たくさんの話を聞いた。
 僕の生まれた頃の、子供時代の、あるいは僕が生まれるよりもはるか前の話。
 現在の祖母の日々や、もう何年も名前だけしか聞いていないような親戚の話。すでにいなくなってしまった人の話。
 そこには面白い話も面白いとは言えないような話もあったのだけれど、聞いている間、祖母の家に一人で行ってこようと決めてよかったと、そう思っていた。
 それだけは間違いなく言うことができる。
 たくさんの、何度目かになる、あるいは初めて聞く話を聞きながら、何度もそんなことを思っていたのだ。

 挨拶をし、18時半を過ぎて祖母の家を出た後では、帰り道はすっかり暗くなってしまっていた。周囲は雪に覆われている。真っ白というわけではない。実際に雪景色は排気ガスのために黒く汚れている部分も多い。でも、夜になるとそういう汚れは曖昧に隠されてしまい、頼りなげに伸びる街灯の明かりが周囲を淡く照らす。線路を渡るときに遮断機が下りて、遠くに駅のホームが見える。なんだかそこは随分と遠い場所のように見える。
 実際には、一時間もかからない場所にあるのに。
 途中、小さな橋から夜の海も見える。暗く、日中よりも逆に広く見えてしまう。波はやっぱり高かった。
 駅舎の中でしばらく待った後で、ゆっくりとホームに滑り込んでくる列車に乗る。最寄駅に着いた後、それから大型店に寄って話の中で祖母が欲しいと言っていたハロゲンヒーター(扇風機みたいな形状の暖房器具)を買って、祖母の家への発送手続きをした。あんまり孫らしいことをしをていないので、そういうふうにするくらいしかできない。
 僕は遠いところに住んでいるから、帰省の折にしか会うことはできない。
 そして、「親にだけは心配かけるようなことをするんじゃないよ」と何度も繰り返して言われたので、そうしたいなとはあらためて思った。たまにしか会えない分、そのときの言葉にはある種の重みが付与されてくるのだ。
 それなので、あらためて思うことの多い1日だった。
 とても。


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