Sun Set Days
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2002年01月19日(土) 名古屋の夜+『グリーティング』

 今日は休日だったのに、気がつくと13時から18時まで職場にいました。
 明日も仕事をしている予感でいっぱいの27歳です☆

























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 言葉の最後に☆マークをつけると、なんだかペコちゃんみたいに舌を出して「てへ」とか言っているような感じになりませんか?
 僕だけか……(敗北感)。


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 昨日は一昨日が最終日だった同僚の送別会だった。
 21時過ぎにスタート。
 0時半くらいまで飲んでいたのだけれど(僕はもちろんビール1杯)、とてもとても盛り上がった。
 10人で飲んでいたのだけれど、昔のブームの話になって、同年代が多いのでかなりネタがかぶる。
 何年生のときにビックリマンチョコレートが流行ったかから、キン肉マンやガンダムなどのアニメ、現れては消えていったジュース、おニャん子クラブ、シブガキ隊などのアイドルに、テレビドラマ「毎度お騒がせします」……
 遠い昔の、もう思い出すこともなかったような話題が、かなり連なって出てくる。
 たとえば、毎度お騒がせしますの話をしていたらCCBの話になり、CCBってココナッツボーイズの略なんだよという話になり、電子ドラムとインカムに憧れたよなーとか、そういう話になっていく。
 懐かしかったし、面白おかしく話すメンバーが数人いるので、かなり笑う。一度は、みんなして涙が出るくらい笑ったし。
 まあ、居酒屋の個室だったので、騒ぎ放題だったということもあるのだけれど。


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 16日の話。
 その日、名古屋に日帰り出張に出ていた僕は、仕事で昔同じ部署で働いていた先輩(男)とばったり再会した。そして、本当は部屋に帰って仕事をしたかったので早く横浜に帰る予定だったのだけれど、あんまりにも久しぶりでお互いに色々と話したかったので、帰りの新幹線を遅らせて一緒にご飯を食べることにした。
 本当はミーハー丸出しでタワーズのなかのレストラン街で何か食べましょうという話になっていたのに、結局栄と名古屋駅のちょうど間くらいの路地にある、魚介類中心の居酒屋に入った。いかにも穴場的な店が結構あって、結局そういう店のひとつに入ることにしたのだ。その店はまるで隠れ家みたいな間接照明に照らされた個室がたくさんあるところで、結果としては当たり。
 店に入る前、路地から見上げると、遠くに双塔のタワーズが不穏な感じに輝いているのが見えていた。

 先輩は僕のひとつ上の期で、僕が入社2年目、先輩が3年目の頃に一緒に働いていた。味のある人で、当時は連日かなり遅くまで働いた後、よく0時過ぎにファミレスにご飯を食べに行っていた(あの頃は、人生で最もガストに行っていたと思う)。当時のメンバーにはいまだに連絡を取り合っている人が何人かいるのだけれど、その先輩とは1年半ぶりくらいに会った。

 そして、先輩は来月にも籍を入れるのだという話をしてくれた。結婚式はしないのだけれど、結婚するのだと。
 しかも、その奥さんになる人との付き合うきっかけというのが、またかなり珍しいのだ。
 ちょっとここには書けないのだけれど、その話を聞いて僕は「な、なんだかマンガみたいですね……」と言ってしまったくらい。
 先輩は、「ドラマみたいって言ってくれよ、ドラマ」と照れたように言っていたのだけれど。
 それにしてもドラマチックな話だった。そういうのって本当にあるんだ、と思ったし。

 男の人が照れたように奥さんや恋人のことを話すときには、普段そういう話をあんまりしない人であればあるほど、かわいらしく見えてしまう。と言うか、の、のろけられてる!! とか思ってみたり。
 でも本当におめでとうございますだったので、その店のお勘定は結婚祝ということでおごらせてもらった。
 君のときにはおごるよって言われたけど、もうずっと好きな人もいなくて砂漠なみに乾いてますよ、ちぇ。

 それにしても、知っている人の結婚の話を聞くたびに、もうそういうのが当たり前の年齢なんだよなと思う。学生時代の友人の赤ちゃんはいつの間にか歩けるようになっていたりするし、もう2年もすれば遊びに行ったとしたら「おじちゃん」とか呼ばれるのだろうなとか思ったりもする。「お兄さんだろう」と言い聞かせようとは思うのだけれど。
 いつも幼く見られるのでたぶん大丈夫だと思うけど、たぶん。


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 歳時記ってなんだか好きだ。
 歳時記に書かれている単語をぼんやりと眺めているだけで、日本語って美しいよなと思う。
 もちろん、外国で生まれ育った人も、自国の言葉にそういう感情を抱いているのだと思うのだけれど、自分が日本人なので僕の場合は日本語についてそう思う。そして、判官びいきのようなものなのかもしれないけれど、他の言語よりも、きっと日本語はよりそういう美しさが際立っている言葉なんじゃないかなと漠然と思う。

 僕はそういう歳時記に出てくるような言葉にそう詳しいわけではないということも、より惹かれてしまう理由の一つなんじゃないかなと思う。よくわからないのだけれど、すごく憧れてしまうのだ。そういう言葉などに。
 それなので、たとえば雨が降っている三が日に誰かと一緒に歩いているときに、「御下だね」とか言われたら、それだけでその人をまじまじと見た後で心の中で「うわ!」って思ってしまうと思う。
 単純だから。

 だから、山本容子の個人的な歳時記である『グリーティング』(講談社)も、興味深く読むことができた。
 これは、「ホテルニューオータニ大阪の広報誌”Greeting”に1993年から1999年にかけて掲載された銅版画とエッセイに季語をつけ、加筆・改稿して構成した」本なのだけれど、右側に季語についての短いエッセイ、そして左側にその季語を表現した銅版画(遠い背景に必ず城が見えている)が掲載されているのだ。
 たとえば、「春」の項では、

 水温む
 花衣
 山笑う
 風光る
 春興
 夏近し

 という言葉について触れられ、それをモチーフにした銅版画が描かれている(城はたぶん大阪城なのだと思う)。それぞれの言葉がある種のイメージや記憶を再現させるのに加えて、エッセイの内容にも面白い一文があったりする。銅版画も思わず見入ってしまう。すごく薄い本なのに1600円もするのだけれど、それこそプレゼントにも良いかもしれない(昨年の12月に出ているので、もしかしたらクリスマスプレゼントにした人も多かったかもしれない)。
 
 こういう本を読むと、いわゆる季語で表現されるような情景などに、日々の中で遠ざかっているよなと思う。
 もちろん、いまの生活で日々そういうことを感じ入ってばかりはいられないところもあると思うのだけれど、だからと言ってそういうのを思い出すことのできる瞬間まではなくさないようにしたいなとは思う。

 余裕がなくなればなくなるだけ、季節の変化を愉しみことなんかが難しくなるというのももちろんわかるのだけれど。
 それなので、Daysに書き残しておくのだと繰り返しになるのだけれどやっぱり思う。
 そういう余裕のないときに過去のDaysを読み返してみて、ある種の感じを思い出せたりすると期待しているのだ。
 そのときに、「あのときは余裕があったからだよ」とか自分で思わないようになりたいなとは願ってはいるのだけれど。


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 お知らせ・1

 今日はいま僕の所属する部署で大ブームのドラマ「プリティ・ガール」のビデオを借りたので見た。
 一気に2話。
 おもしろいー、というか、稲森いずみがかなり可愛い。
 米倉涼子がドジでネクラな役で出ているのはおいおいと思うのだけれど、それでもこういうハートフル・コメディってたんじゅんにツボだ。
 米倉涼子と長谷川京子が同じドラマに出ているなんて、なんだか不思議な感じもするのだけれど。
 昨日の飲み会でも、各メンバーが「プリティ・ガール」にはまっていることをカミング・アウトし、誰が一番いいとかそういう話をしていたり。男って、もう男の子という年齢じゃなくなっても、ときたま(?)こういう話になるのだ。
 あ、あとモーニング娘。で誰が好きかとか。
 でも、それって、日本中でものすごい数の男たちが交わしてきた話題なのだろうなと思う。
 ちなみに、僕の部署(男ばっかり10人)では、吉澤と石川となっちと加護(←これは1人だけ)の名前が挙がったのでした。

 お知らせ・2

 今日聴いているCDに「that's where you take me」という曲が入っていて、その歌詞の一部分に「you're my melody」という部分があった。なんだか、このフレーズってすごくかっこいいとか、1人でそういうことを考えたりしてしまう今日この頃。でも恋人がいたときには、そういう日々の中で思う他愛もないことをよく喋っていたような気がする。友人にはわざわざ言うようなことではないのだけれど、というレベルの日々の中でふと思うことを。
 1人のときにはそういうことを思っても伝える相手がいなくてすぐに忘れていってしまうのだけれど、いまはDaysを書いているので、そのかわりにはちゃんとなっているんだと思ってみたり。
 ささやかないくつものちょっとしたことを書き留めるということ。
 読んでくれている人がいるというのは、おもしろいなとあらためて思う。


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