Sun Set Days
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2002年02月17日(日) 数日間の話+『息子の部屋』+『オーシャンズ11』

 この数日間の話。

 14日の夜から17日の朝まで、上海の事務所から来た人の案内をしていた。
 やってきたのは中国人の女性2人(20代前半)で、案内担当は僕と同僚の2人。
 会話は日本語。
 かなりの才媛で、日本語がとても流暢なのだ。すごいマニアックな言葉(亭主関白とか奥さんの尻に敷かれるとか)もちゃんとわかる。
 一体、どんな会話をしていたんだよということはとりあえず脇へ置いておいて。

 大まかにスケジュールを書いてしまうと、

 14日:夕方から羽田空港に迎えに行き新宿のホテルまで送っていく(2人は数日前から日本に来ていて、他の地方での会議に出席していた。また、他の地域は他の人が案内していた。関東の案内担当が僕と同僚だったのだ)。
 15日:2人の唯一の休日。東京ディズニーランドへ。
 16日:関東にある店舗と物流センターの見学及び説明。仕事終了後、浅草と秋葉原へ。
 17日:午前8時台の飛行機に乗るために、羽田空港まで送り届ける。

 ということになる。

 正直なところ、最初はこの仕事を上司の上司から依頼されたときには、この時期に……とか一瞬思っていたのだけれど、実際に無事終了した後に思うのは、とても興味深い仕事だったということ。
 2人ともものすごく素直で明るく、前向きで、しかもかなりの努力家。
 結構なハードスケジュールだったにもかかわらず、決して「疲れた」と口にしなかったし。
 何よりも問題意識が非常に高いのだ。
 一緒に案内をしていた同僚とともに、帰りの電車の中で「すごいいい子たちだし、とにかくもうすごいね……」としみじみと語り合ってしまうくらいに。
 いろいろな意味で、感動してしまった。

 また、ディズニーランドは実は僕も生まれて初めてだったのだけれど(これを言うといつも驚かれていたよ)、一緒になってやたらとはしゃいでいた。
「スペース・マウンテン」だけは調整の都合なのか動いていなかったけれど、平日だったこともあって「スプラッシュ・マウンテン」も「ビッグサンダー・マウンテン」も、「ミクロ・アドベンチャー」も「プーさんのハニーハント」にも乗ることができた。「100周年記念パレード」も「エレクトリカル・パレード」も見たし。
 ディズニーってすごいって思った。楽しくて笑うことの効能というか、パワーについて考えさせられてしまった。

 また、秋葉原ではデジタルカメラやCDウォークマンを購入する際に、主に値切り交渉を担当する。
 結構下がった。言ってみるものだ。

 昨日の夜には新宿で飲んでいたのだけれど、上海に遊びに来るときには案内してくれると言われたりもして。
 同僚と一緒に、夏にでも行こうかなと話したりするのは楽しかった。

 個人的に笑ったのが、2日目に「いくつに見える?」という話になったときに、年下に見られていたこと。実際の年齢を言うと、かなり本気で驚かれてしまった。だって、もし僕が本当にそんな年齢なら新入社員じゃないという話をしたのだけれど。
 でも、他にもかわいいとか言われてしまい、27歳男としてそれはどうなのだろうとちょっとだけ心配になる。ほら、タフで優しいハードボイルドな渋さとかが欲しい年頃だし……(そう言われてても、実際にはかわいくないですよ。あと、その日はディズニーランドだったので私服だったのだけれど、私服もちょっと考えたほうがいいかなと思ったり。チノパンにグレーのチェックのボタンダウンのシャツ。その上から紺色のジップアップのカットソーだったのだけれど)。


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 とにかく、日本滞在を充実したものにしてもらいたいとは思っていた。
 仕事でも、休日でも。
 細かな案内のスケジュールは僕が立てたのだけれど、基本的には、朝8時にホテルのロビーに集まり、食事後の22〜23時に解散というスケジュール。
 ということで、僕自身は朝部屋を出るのは6時半くらいで、帰りは0時過ぎ。それから睡魔に打ち克っている間本来の仕事をしていたので、Daysはとても書けなかったのだ。
 でもまあ、楽しんでもらえたようではあるので、よかったのだけれど。
 喜んでもらえると、(ある程度は)疲れも飛んでしまうものだし。


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 そして今日は羽田空港に送っていく日だったので、後輩が車を出してくれる。約束は午前6時。待ち合わせのコンビニの駐車場は、まだ随分と暗かった。遠くの空がちょっとだけ薄いオレンジ色に見えていて。
 後輩の車を待っている間栄養ドリンクを買って、コンビニの前でそれを飲んだ。吐く息が随分と白かった。
 坂道の向こう側に車が見え、拾ってもらい、それから同僚を含めた3人で新宿のホテルに向う。2人とは7時にロビーで合流。
 一路空港へ。
 ちょうどブッシュ大統領が来日する日だったから、警察が空港へ向かう道路を封鎖して、チェックをしていた。
 また、途中朝の東京タワーも見えて、やっぱり夜の方がきれいだなと思う。
 日曜日の朝だけあって道路は空いていた。
 空港に到着し、搭乗手続きを済ませた後、ゲートのところで握手をして、別れた。
 短い間だったけれど、そんなふうに知り合いになることができてよかったなと思った。

 それが大体今日の午前8時過ぎくらい。
 帰りの車の中では、まだ日曜日の午前中だよーと後輩が言い、こんな時間にすでに一仕事終えているなんて! と続けて言う。
 僕は笑いながら、今日一日がまだまだたっぷり残っているのはいいかもしれないと思っていた。
 空港から横浜方面に向かっていたので、途中でベイブリッジを渡る。
 レインボーブリッジとベイブリッジの外観で大きく違うところは、橋の柱が飛び出しているかどうかだという話を聞いてなるほどと思う。
 途中、窓からは薄い雲はかかっていたけれど、気持ちよく晴れているのが見えていた(午後から雨が降り出したけれど、朝には晴れていたのだ)。

 それから、地元に戻りジョナサンで朝食をとった後、僕だけシネマ・コンプレックスの前で下ろしてもらう。
 2人はこのまま部屋に帰って眠ると言っていたのだけれど、せっかく早い時間から活動しているのだから映画を見ようと思ったのだ。

 それで結局、2本観て来た。
『息子の部屋』と『オーシャンズ11』だ。


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『息子の部屋』の方は淡々と胸に迫る作品だった。カンヌ映画祭のパルム・ドール(大賞)を受賞しているイタリア映画で、息子の死によって家族がどうなり、どうなっていこうとするのかについてのリアリティ溢れるストーリー。
 10時台の回だったこともあって空いていたのだけれど、結果としては、空いていてよかった。
 途中はもう、号泣だったので。
 もう我慢しようと思っても次から次へと涙が止まらなかったのだ。
 僕は基本的に涙もろいので「感動作」というふれこみだけでたぶん泣いてしまうのだろうなとは思っていたのだけれど、それでもここ最近に見た映画の中で間違いなく最大級に号泣してしまった。
 2つ席をあけて座っていた主婦っぽい人(この人も1人で見ていた)もやっぱり同じように号泣していた。

 号泣したといっても、別に息子の死をドラマティックにお涙頂戴的に描いているわけではないのだ。
 逆に父親や母親、そして姉の様子があんまりにも切実で、その深い悲しみや苦悩が、リアルに感じられてしまうのだ。そして、そういう淡々としたやり方で物語をたどっているだけに、より深く強く感情を揺さぶられてしまう。
 家族の死という、あまりにも大きすぎるショックをどのように受け入れていくのかということについて、いろいろと考えさせられる映画だった。

 睡眠不足(3時間半)のせいなのか、息子が死んだシーンで泣いているときに、どうしてか自分が同じように突然の事故で死んでしまって、家族が悲しむだろうなという光景をイメージしてしまった。
 それでなんだかわからないけれど、さらに泣けてしまった。
 そしてその後、将来自分に息子ができて、その息子が自分よりも早く不慮の死を遂げたらという想像をしてしまってそれでもさらに泣けた。
 目の前の映像に、想像がおいうちをかけてしまっていたのだ。
 疲れているのだろうかと少しだけ思った。
 涙腺は緩みまくってしまっていた。

 そして、思ったこと。
 悲しみはもちろん最初は生々しくて、その痛みをなかったことにしたり、目をそむけたりすることはとても難しい。
 だから人は記憶や思い出をパッチワークみたいにしてその感情の傷の上にかぶせていく。
 あるいは冬の間何度も降る雪のように、幾つかの記憶を感情の傷の上にしんしんと積もらせていく。
 そうすることで、時間が経てばかさぶたが傷の生々しさを隠していくように、跡は残るけれど、悲しみは完全になくなったわけではないけれど、その痛みは弱められていくのではないだろうか。

 だから、映画の後半部分で、息子に実は恋人がいたことが明らかになり、家族が知らなかった息子の写真が現れる部分で、家族の誰にとっても停滞していた時間がほんの少しだけ動き始めるのだと思う。
 傷口にかぶせるための新しい言葉や表情を使い果たしてしまっていて堂々巡りになってしまっていた家族は、そこに新しい記憶の欠片を見つける。
 まだまだ生々しくて、手持ちの記憶では完全には覆うことのできない感情の傷口に、かぶせることのできる新しい記憶を発見するからだ。

 この映画はその息子の恋人と家族が会うのがラスト近いシーンなのだけれど、それによってすべてが大団円に向かうといった終わり方ではない。
 むしろ、随分とあっさりとしたこれで終わりなのというような終わり方になる。
 けれど、それが示唆しているのは、これからもそのような停滞した時間を動かす小さな出来事や気付きを何度も体験し、その後に少しずつそれぞれが家族の死を受け容れることができるようになっていくということなんじゃないかと思う。
 一瞬で、すべてが癒されてしまう瞬間なんてきっとなくて、一つ一つの記憶を編みこんでいくしかないのだ。
 それがずっと長く続くのだ。
 だからこそ、この映画はある種まだ途中であるかのようなシーンで終わってしまったのだと思う。
 ただ、一つ一つの記憶を編みこんでいくことによって、いつか必ず、傷は覆われるはずだという予感を感じさせながら。
 最後のシーンは、そういう予感めいたものが感じさせられる光景だった。

 それに、もう少し時間が経てば、いまは思い出すことのできない記憶を再発見することができるかもしれない。
 さらに時間が経てば、複数の記憶をつなぎ合わせて新しい記憶を作り出すことができるかもしれない。
 そんなふうにして、傷は覆われていくのだ。

 そんなことを思った。
 まだ自分でも、整理しきれていないのだけれど。


 そして『オーシャンズ11』。
 本当は『息子の部屋』を見て今日はもうこれで十分という感じだったのだけれど、チケットは朝最初に2作品分購入していたので、そのまま見る。
 これはちょっと期待はずれ。
 期待しすぎていたみたいだ。
 もちろん、豪華キャストの競演だし、面白いのだけれど、もっとスリリングな展開を想像していたので、その辺りがちょっと残念だった。
 ただ、ジュリア・ロバーツはやっぱりスクリーンで絵になる女優だ。美人というのではなく、存在感が。
 もちろん、11人にそれぞれちゃんと見せ場があるのはうまいなあと思ったしよかったのだけれど。
 繰り返しになってしまうけれど、期待しすぎていたのだ。

 そのシネコンでは4月から『アメリ』を公開する予定で、予告編を見た。
 あとはやっぱり『ロード・オブ・ザ・リング』。
 予告編だけでも、とにかく興味を抱いてしまう。
 『シッピング・ニュース』も看板が出ていた。もうすぐ公開だ。


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 お知らせ

 今年は、例年以上に「今年度アカデミー最有力」と書かれた作品が多いですね。


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