Sun Set Days
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今日ぱらぱらと『江國香織ヴァラエティ』をめくっていたら、80ページで思わず手が止まった。 あれ? 目に留まったのは、右下にある1枚の写真。
「櫻子」と書かれた布が写っている。 キャプションはこう。
それぞれちょっとした用事があった。……私のは「櫻子」で蜜白玉を食べること。(流しのしたの骨/P138/新潮文庫) 19歳の主人公こと子と三人の姉弟、そして両親たち。奇妙で幸せな宮坂家の、穏やかな季節を静かに描いた「家族小説」。こと子が訪れたのが、成城学園前駅前のこの甘味屋。
この店、この間入ったよ……これには個人的に結構おどろいてしまった。 いろいろと忙しくてDaysの更新をしばらく滞っていた2月末から3月頭の間に、僕はこの「櫻子」という店を訪れていたのだ。 僕がこの店に入ったのは閉店間際で、その夜僕は1人で、重い荷物を抱えたままちょっとだけ途方にくれて(ものすごい睡眠不足だったのだ)、とりあえずはまずは夕食をとらなくちゃということでキャリーバックをがらがらとひきながら成城学園前のやけに暗い路地を歩いていたのだ。 まず、駅から降りて左手に歩いて、コープとうきょうのところで右折し、それから1ブロックだけ直進してローソンのある路地に入り、そこでまた少し直進した後で右折し元の通りにまで戻ってきたところで、この櫻子という店を見つけたのだった。 記憶がちょっと曖昧なのだけれど、そのときには僕は甘味ということに惹かれたわけではなかった。 そうではなくて、確か「きじ丼」のディスプレイに惹かれたのだった。
きじ丼。
そういうのって、食べたことがなかったし、なんだか睡眠不足で満身創痍なカラダには、ちょうどいいかもしれないって、そう思って小さなエレベーターに乗り込んだ。 店は確か3階にあった。僕の荷物はそれだけでその小さなエレベーターの半分を満たしてしまうほどで、そのそれほど大きくはない店の、奥の方の4人掛けの席に案内された。店内は趣味のよい感じで、雑誌が何種類か備え付けになっているのが、実用的ではあっても店内のイメージにあまり合わないかもなあとか思っていた。 お茶が出され、メニューを渡され、それを見る。 甘味が結構豊富だっていうことを知ったのは、そのときだった。 それまで僕の頭の中にはきじ丼のことしかなくて、というよりもきじ丼専門店なんじゃないかというくらいの認識で、それ以外の選択肢のことなんかちっとも考えていなかったのだ。 お店の人を呼ぶ。
「きじ丼ください」 「大盛りもできますけど?」と店の人。 「あ、じゃあ大盛りで」 「大盛りですね」 「あ……それから」
そう言ってやっぱり甘味も頼んだ。正確には覚えていないのだけれど、蜜をかけたような記憶があるからおそらくフルーツ蜜豆だったのではないかと思う。結局は誘惑に負けてしまったのだ。 記憶が定かであれば、食事を頼んだ人はいくらかの金額を追加するだけでミニ甘味を選んでつけることができるのだけれど、そういうセットものではなくて、ちゃんと甘味は別に頼んだ。それはメニューを見る限りその店が甘味に力を入れているように見えたからだったし、お腹がすいていたからでもあった。
きじ丼(大盛り)はおいしかった。お茶もおいしかったし、たまたまこういう店を見つけて入ってよかったなあとは思っていた。時間も時間だったし、あとはファストフードしかないだろうなと覚悟していたのだ。 食後に甘味が運ばれてきて、それもしっかりちゃんと食べた。またお茶が運ばれてきて、やっぱりそれも飲む。 閉店近い店内には、他に若い女性2人組や中年女性の3人組などがいて、ベテラン風の店員さんと、アルバイト風の若い店員さんがどこか落ち着いたペースで立ち働いていた。 そんな店の中に、スーツ姿のサラリーマンが1人というのは絵的にはあんまりふさわしくはなかったかもしれないけれど。スーパーの野菜売り場に、肉のパックがひとつだけ置かれているみたいに。
でもまさか、そのときの店が『流しのしたの骨』に出てきたお店だなんて思ってもみなかった。もしそれを知っていたら、もっとミーハー的に店内を見回してしまっていただろうし、きっと蜜白玉を頼んでいた。 感じのよい店だとは思っていたのだけれど、だから今回、そういう偶然を知ることができたのは、なんだかおかしな感じのすることではあった。
よく雑誌なんかで、名作を巡る旅というような企画が行われていて、文学作品や映画のモデルとなった場所を紹介しているものがあるけれど、そういう場所を自分が訪れてしまうというのは、嬉しい反面怖いことのような気がする。 それが好きな物語の好きなエピソードが展開された場所であれば、訪れたことはなくても思い入れは深いものになってしまっているだろうし。 そうしたら、実際の姿を見て、どこかではそれを裏切られるようなことを危惧してしまうだろうから。 けれども、今回のパターンのように、その場所がモデルになってしまっていたことを知らずにいて、そういうことはまったく関係なしに感じのよい店だなと感じていたということは随分と幸福なことだ。 これで、あんまりよくない印象を抱いていたら、同じく80ページで気が付いたとしても、やっぱりどこかではショックを受けるような部分があっただろうし。 「あ、この店って……がーん」というように。
それなのでよかったと思う。とても。
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お知らせ
それがどんなものであれ、偶然ってたのしいよなと思います。 人に言わせれば、この世に偶然なんかないそうですが。
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