Sun Set Days
DiaryINDEXpastwill


2002年04月28日(日) 『虹』

『虹』読了。吉本ばなな、幻冬舎。
 一見、分厚く見えるのは厚い紙を使っているからで、実際には原稿用紙枚数257枚とのことなので意外と短い時間で読み終えることができる(ちなみに、幻冬舎の本は最後に原稿用紙での換算枚数がわかるのでなんとなく得をした気分になる)。

『マリカの永い夜』なんかからはじまっている世界の旅シリーズの一冊のようで、今回取り上げられているのはタヒチ。シリーズ定番の原マスミのイラストに加え、巻末には山口昌弘による何枚かのタヒチの写真も収録されている。
 そういう意味では物語も絵も写真も楽しめて、お得な本なのかもしれない。

(ややネタバレを含みます。これから読む予定の方で知りたくない方はスクロールで飛ばしてください)

―――――――――

 昔から友だちにも親にも、あなたは鈍い、いろいろなことを自分で気づくのが遅い、と言われていたのは本当だったのだ、と思った。いつでもじっと見て観察することに一生懸命で、それを自分がどう思っているのかまで届くのに、とても時間がかかる。(38ページ)


 これは、主人公である瑛子がゆっくりと「自分がどう思っているのか」を認識するある旅の物語だ。瑛子は、まるでただ繰り返しては寄せる波のようにたんじゅんで力づよいことだけに注意を払って生きていくはずだったのに、いつの間にか否応なくある流れに巻き込まれてしまう。
 そして、どうするべきなのか、その流れに乗るべきなのか抗うべきなのかが自分でも分からずに、ある種の混乱のなかタヒチに旅立つ。
 状況としては主人公は最終的には不倫という道を選ぶことになりそうなのだけれど、そして2人の行く手にはおそらくはやっかいで煩雑なことが控えているのだけれど、それでも誰かが自分なりの紆余曲折を経てそう決めたことはあかるくつよい。
 そんなことをしんじられるような物語になっていると思う。

 かけあしであらすじを説明すると、

 主人公の瑛子は、タヒチ料理の店でホールのチーフをしている27歳の女性で、その仕事が自分の天職だと考えている。高校生までを小さな海辺の港町で過してきて、大地に足をちゃんとつけつつましやかに暮らす祖母と母親と3人で生きてきた。
 それが、雑誌で見たその「虹」という名前のタヒチ料理店に就職するようになり、東京に出てくる。それでも、基本的にはしっかりとした考えで運営されている店で働いていることもあって、瑛子はそのまま十年近くをその店で働いて過す。
 その間に祖母が、それから母が亡くなり、様々な雑務に追われるようになった瑛子は体調を崩し、店内で倒れ、一度ホールの仕事からはずされる。
 そのときに、復帰までの間臨時でオーナー夫妻の家の家政婦をして過すことになる。
 オーナーはタヒチが好きで好きで、それでそのままタヒチのレストランの支店を日本に開いてしまったような人なのだけれど、奥様はどこか現実的な野心家で、けれども瑛子には薄い人であるように感じられる。

 オーナーの家には犬や猫や植物がいて、それらは最初随分と弱っていた。
 本来のその育て主であるオーナーは妻と別居状態のようになっていて、ほとんどその家に帰っていなかったのだ。
 瑛子は生来の動物好きも手伝って、その面倒を見るようになる。
 そして、家政婦としての日々を過しているうちに、たまに自分の遣り残した動物や植物たちの世話を誰かがやってくれていることに気づくことになる。それはオーナーの仕事で、家に寄り付いたときにはそうしてくれているのだった。瑛子にはそれが見えない文通のようなものであるように思える。

 また、動物も植物も、瑛子が世話をしているつもりが、結局は逆にそれから元気をもらっていることに気づかされもする。

 そんな、ある種の安定した日々は、奥様が夫の飼い犬をペットショップに売ってしまうところから崩されてしまう。奥様は不倫相手の子を身ごもっており、動物はその子育てに不必要だと考えていたのだ。
 その事実を知った刹那、瑛子は家政婦でありながら、犬の売り手を調べ、自らその犬を買い戻す。
 そして、瑛子に少し遅れて犬を取り戻しに来たオーナーと急速に接近する。
 オーナーは瑛子に礼を言い、結局、犬はオーナーの仕事場で飼われることになる。

 犬に続いて売られてしまうかもしれなかった猫を瑛子が引き取ることになり、そのときにオーナーは瑛子にずっと惹かれていたことを告げる。
 瑛子もオーナーに惹かれていたが、それでも不倫だとかそういう複雑な関係は自分からは遠ざけたくて、拒絶する。

 その少し後にさらにもう1つ事件が起こり、結局糸のようなものがあればそれは複雑にからみあったまま、瑛子はタヒチに旅立つのだ。
 タヒチ料理のレストランに長年勤めていたにもかかわらず訪れたことのなかったタヒチに。

 それはもしかしたら当然のことなのかもしれないけれど、雄大な自然の中に身を置くことによって、結局は自分や自分たちがちっぽけな存在であるということを認識することは簡単にできるのだろうし、そうしているときに、様々な不安や状況さえも忘れてしまう瞬間は確かにあるのかもしれない。
 それでも、たいていの人は(現実的な意味で)永遠に旅を続けるわけにはいかないのだし、日常や現実の生活に戻らなければならない。
 けれども、そういう旅の最中に、ある種の瞬間がおとずれることは充分に起こりえることで、その偶然めいた必然のちからや気づきやきっかけのようなものが、人を前に進ませるのかもしれない。

 物語がツボにはまったとかはまらないとか以前に、「ああ、これはあるのだろうな」と思った。東京にはきっと「虹」に似ているタヒチレストランがあって、そこでは瑛子のようなウェイトレスが働いているのだろうなと。
 そして、控えめだけれどもまっすぐな強い意志を持って、自分の人生に向かっているのかもしれないって。
 そんなふうに思えることは、物語の持つある種の力が強いせいだ。
 最近では、初期の吉本ばななの作品の中にあった強い物語性のようなものはだんだん薄れてきて、より根源的な言葉にできないような感覚的な部分が増えてきたように思えるのだけれど、今回の『虹』もそんな作品だった。
 ある種濃密な空気のようなものが立ち込めていて、それが物語をゆっくりと押し進めていく。
 人間で言うと、それほど背が大きいわけではないのに、結構がっちりとした体型のひとのようだ。

 おもしろくたのしんで読むことができた。特別好きな物語というわけではないけれど、読んでいる間いろいろなイメージがわいておもしろかった。
 タヒチっていい場所なのだろうなって、月並みな感想すら抱けて。


―――――――――

「BOOK アサヒコム」の「月刊 BOOK asahi.com」に、茂木健一郎さんのインタビューが掲載されいて、その中の一文がなるほどという感じだった。
 脳が文字を処理する際には、情報を受け入れるとともに外に向けて発信していくことが前提になっているという部分で、たとえば読書をしているときには、受身でありながらも能動的に情景等を想像しているのだ、というような内容だった。
 映像ではどちらかと言うと受身のウェイトが多くを占めていて、そういう意味で受動的でありながらも能動的な想像力を発露させているという意味で、読書は必要だよなあとあらためて思った。
 とりわけ、個人的には最近はロードの繰り返しでちゃんと本を読んでいなかったので、なおさらそう実感させられてしまったり。
 受動であり能動でありというのは、あらためて考えてみると結構すごいことだ。


―――――――――

 お知らせ

「月刊 BOOK asahi.com」のアドレスはこちらです。

http://book.asahi.com/bac/20020428/index.html


Sun Set |MAILHomePage

My追加