Sun Set Days
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ある冬に、何度か早朝の電車に乗る機会があった。 30分ほどかけて駅まで歩いて、路線図を見上げて目的の駅までの切符を買う。それから、今度は別方向にある時刻表を見上げる。ファストフードの店も開いていない午前5時台の駅の構内には始発電車を待つ人たちがまばらにいるばかりで、まるで間違い探しのゲームをしているように見えた。さて、あの柱に寄りかかっていた人はさっきとどこが違うでしょうというように。 正面入り口近くの売店では、おばちゃんたちがプラスチックのケースに入ったパンなどの入荷品を並べていた。電車で一時間ほどかかるので、チョコレートやヨーグルなどの車内で食べることのできるちょっとしたお菓子を購入する。 やがて、ぱたぱたと回る時刻表が改札がはじまったことを告げ、待っていた人たちが改札口へと向かう。切符を差し出して、スタンプを押してもらう。すぐ目の前のホームに乗るべき電車がやってくることになっていて、今度は駅のホームの思い思いの場所に立ち並ぶ。 空気の色はまだ夜のもので、吐く息が白い。つめたい冬の朝は眠気をどこか遠くへと忘れさせてしまう。ポケットの中に手を入れたまま、ホームの天井からぶらさがっている照明の明かりをぼんやりと眺めている人がいる。手袋をしているのに手を擦り合わせている人がいる。知り合いどうしで、小さな声で話している人たちがいる。時間の早すぎる駅や深夜の駅は、どうしてか随分と遠くまできてしまったという気持ちを抱かせる。それがどうしてなのかはわからなくても、そんな光景を見ていると、なんだかもう取り返しのつかない場所まで来てしまったような気がするのだった。 ただ、朝早くおきてちょっと遠くの町まででかけるだけなのに。
やがて電車がホームに滑り込んでくる。一瞬の間の後で扉が音を立てて開き、短い列をつくっていた乗客たちが、ほとんど乗客のいない電車に乗り込む。座席は窓際に長いすが続いているタイプで、通勤電車によく見かけるタイプのものだ。窓の上には様々な広告が掲載されていて、それを見ていると少しの時間をつぶすことができる。 ただ、何と言っても最も時間を費やすことができるのは窓の外の景色だった。冬の午前6時前はまだ夜と同じように暗く、窓の外の光景も外灯の明かりや線路と平行に続く道路を走る自動車のヘッドライトの明かりくらいしか見えなかった。森や畑が多いせいか、周囲の闇は幾層にも重なってさらに暗く見える。 電車は何度か途中の駅で停まり、そのたびに少しの人が降りて、それよりも多くの人が乗り込んでくる。誰もが一様に厚着をしていて、中には冬眠しそこなったくまのようにまるまると着込んでいる人もいる。口が聞けなくなるのろいをかけられたかのように、マフラーにあごをうずめている制服姿の少女もいる。北国の朝の冷え込みは厳しく、窓の外はまだ暗い。 電車はゆっくりと進んでいく。
それでも、目的の駅までの半分くらいを過ぎた頃に、ようやく東の空が明るく白みはじめる。その時間の景色には胸をぐっと掴まれるような一瞬一瞬の変化があって、境目の時間はどうしてこんなに人を惹きつけるのだろうとこれまでも何度も思ってきたことをやっぱりぼんやりと思う。電車の中に暖房が聞いているせいかそのうちに結構眠たくなってくる。けれども眼前で起こっている夜から朝への変化を見逃すのは惜しいような気がして、がんばって起きていようと思ってしまう。けれども気がつくと眠ってしまっていることも多かった。わずかな時間、心地よく意識を失ってしまうのだ。 そんなときには、気がつくと夜は大分姿を消して、朝の空気が世界を覆っていた。わずかな時間しか経っていないはずなのに、世界のあまりにもかろやかな変化に参ったような気持ちになる。淡い後悔と、こんなふうに短い時間タイムスリップしたかのような感覚を味わうことができたことを喜ぶ気持ちとが入り混じっている。 それから、気を取り直して窓の外の朝の風景を見つめる。雪に覆われた野原が広がり、山々の稜線は遠く近くしばらくの間続き、それからぽつぽつと家並みが点のように現れ、それらのすべての景色がどんどん背後へと追いやられていく。
電車が街へ近づくにつれて、白い野原や森は遠ざかり、家々が密集してくる。ときどき中型のビルが目に入り、それらがやがてより大型のものへと変わっていく。 電車の中も随分と混み合うようになり、冬用のコートを着たビジネスマンの姿が目立つようになる。 そうして、いよいよ終着駅が近づいてきたところで、どこか郷愁を抱かせる音楽が流れ、電車が終点へ到着することを告げる放送が続く。 車内がざわついて、それから電車は細長いホームへと入っていく。
人の列にまぎれて、扉からホームに下りる。冷たい空気を一度吸い込む。 1時間くらいの電車での移動でしかないのに、遠くまできたものだとなんとなく思う。 階段に向かう人たちに紛れながら、すっかり朝になってしまった空を見る。
電車に乗ると、ときどき妙に懐かしいような、忘れられない体験をしているのだと思うときがある。 それがどうしてなのかはわからないのだけれど、移動する乗り物にはそう思わせる不思議な力があるのだろうか。 それとも、それぞれの場所で電車に乗ってきたことが、記憶の中でのいくつかの場所を区別するためのサインのようになっているからなのかもしれない。
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お知らせ
北国の電車の中には、自分でボタンを押さないと扉が開かないものもあるのです(はじめて乗ったときには最高に驚きました)。
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