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2004年01月05日(月) 『ウォルマートの時代』+『「水戸黄門」放送1000回記念特別展』

『ウォルマートの時代』読了。ロバート・スレーター著。日本経済新聞社。
 ウォルマートについて書かれた本や雑誌を何冊か読んできたけれど、そのほとんどは創業者であるサム・ウォルトンや、彼の手による成長物語的なものだった。もちろん、サム・ウォルトンなくしてウォルマートを語ることはできないし、どんな意味においてもウォルマートにとって重要な人物であることは疑いない。けれども、サム・ウォルトンが1992年4月5日に亡くなった後も、ウォルマートは驚異的とも言える成長を続け、当時438億ドルだった売上高は2001年には2198億ドルと約5倍にも伸びているのだ。
 この本は、原題である『THE WAL-MART DECADE』が示すように、サム・ウォルトン後の10年について書かれたものだ。サム・ウォルトンの後継者となったデビッド・グラスや、その後を継いだ物流出身のリー・スコットが、どのようなビジョンの元に、名実ともに世界一の小売業であり、フォーチュン500の首位でもある巨大企業の舵取りを行っていったのか。その中で得たものと、失ってしまったものは何なのか、ということについて書かれているのだ。

 大まかな捉え方で言うのなら、この10年間にウォルマートが成長していったベースには、よく言われるような情報技術への積極的かつ多大な投資があり、フォーマットで言うのなら、ディスカウント・ストアからスーパーセンターへの転換があり、展開で言うのならカナダ、メキシコ、イギリス、そしてアジアへの国際展開があった。それらがウォルマート流の前向きな変化として勢いよく、けれども緻密に着実に進められ、その結果見事に相乗効果を見せてきたのだと言うことができる。
 もちろん、成長し肥大化していく中で、必ず生じてくる官僚主義がはびこりはじめ、またメディアからの非難や批判(海外工場からの搾取や、地域経済の破壊、労働組合を結成させないことetc…)はより激しく大規模なものとなっていった。サム・ウォルトンがいた頃のように、ウォルマートが成長はしていてもまだ小さく、また自分たちも田舎の小売業であると言っていればよかった時代とは異なり、現在の経営陣はそれらの降りかかる火の粉(しかも半端ではない)を払いながら進んでいかなければならなかったのだ。

 けれども、本書を読んで感じたことは、規模が拡大しても、企業の文化を絶やさずに繰り返し説き続ける必要があるということの重要性だった。もちろん、IT投資や国際展開など具体的な行動や戦略は非常に重要だけれど、企業の中を流れる血液のような、企業文化のようなものをしっかりと維持し続けることが最も重要であり、成長への原動力となるのだ。

 ウォルマートの企業文化の根本にあるものは非常にシンプルだ。それは「顧客のためになることをする」というものである。店舗を訪れてくれる客が商品の安さに満足し、愉しい買い物をすることができるためになんでもするということ。ウォールストリートやメディアではなく、顧客の方を向いているのだということ。たったそれだけなのだ。そして、サム・ウォルトンが体現していたその原則が、企業が大きくなっていく中で少しずつベクトルをずらしはじめてしまう。それを絶えずかつてサムが指し示した、死してなお指し示し続けている方向に修正していくのが現経営陣の重要な職務のひとつとなっているのだ。そのためにたとえば、店舗での作業を5日間で集中して教え込んでいた新人研修用プログラムを、作業の習得は徐々にと変更し、最初にウォルマートとは何を目指している企業なのかという企業文化を伝えるように変更するといったアクションがなされている(そうすることによって、現にパートタイマーの90日以内の離職率が減ってきている)。従業員をアソシエートと呼び、親密な帰属意識を持たせることを重要視していたかつてのウォルマートの姿勢を保ち続けようとしているのだ。

 本書の中でも、この企業文化の熟成のためになされたことや、その重要性について繰り返し説明されている。様々な企業の中で、言葉は古いかもしれないけれど愛社精神のようなもの、自らの所属する企業に対しての親密感や気持ちの距離が近いと胸を張ることのできる企業はどれほどあるだろう。多かれ少なかれ、従業員が自らの所属する企業を誇りに思っていないということは起こりえる話だ。
 そして、そういう従業員ばかりの企業が、これからますます厳しく激しくなる競争時代の荒波をどうやって乗り切っていくことができるのだろう?
 そういったことを考えると、ウォルマートが具体的かつ先進的な取り組みに力を入れる一方、その類まれな企業文化を保持し維持し続けることに注力する姿にも納得することができる。自分たちが何を目的としている企業なのかというこということを、みながシンプルな形で理解していること。それが浸透し、行動レベルで実施されていること。こうやって書いてしまうと簡単だけれど、それを徹底し実行し続けることは並大抵のことではないし、だからこそウォルマートは一社しかないのだ。

 いままでよくわからなかったサム・ウォルトン後の10年について、わかりやすくまとめられている本だった。

 印象に残った点をいくつか。


 リー・スコットは、ウォールストリートやメディアがウォルマートの業績に興味を示しても、普通の買い物客が感心することはないと言う。「わが社がナンバーワンだからという理由で来店していただいたお客様には、お目にかかったことがありません。お店に来ていただけるのは、お客様に相応の価値を提供しているからなのです」(18ページ)


 買い物が負担になってはいけないという考え方を土台に、企業文化全体を築きあげた。
 販売員が顧客の手助けに熱意を持てば、そうした企業文化を築きやすくなる。店長と店員が力を合わせて、店内を清潔に保ち、職務を能率よくこなし、顧客サービスに努めれば、気持ちのいい企業文化をつくりだせる。従業員が創造性をフルに発揮し、老若男女の顧客を引きつけ、店内を楽しくぶらついてもらえれば、買い物は冒険ともなり、1時間か2時間の楽しい夕べともなるのだ。(63ページ)


「サムの哲学は実に基本的なものでした」と、デイヴィッド・グラスは言った。「誰かを仕事のパートナーにしたいなら、労使関係を結ぶよりサムのアプローチのほうがいいでしょう。相手を個人として尊重し、正しくてもまちがっていてもその話に絶えず耳を傾け、良い結果も悪い結果も、また利益をも分かちあう、つまり従業員を真のパートナーとすること。それがあらゆる人の望む関係であると、サムは信じていたのです」
 三つの文化的礎石――個人を尊重する、顧客に奉仕する、最高を目指す――のうち、最も重要なのは顧客に奉仕することだろう。(76ページ)


「文化を受け入れない人びとには、厳しく対処すべきです。こうした問題を放置してはなりません。店舗にとってもアソシエートにとっても有害です。地区担当マネジャーと地域担当副社長は、こうした問題に積極的に介入し、解決しなければならないのです」(154ページ)


 サム・ウォルトンの後継者のほとんどは冷静沈着で穏やかな人物だったが、トム・コフリンはちょっと違った。大柄で精力的なコフリンは、年をとったプロフットボール選手といった感じだった。1979年にウォルマートに入ったときの仕事が警備担当の副社長だったのには、それなりの理由があったわけだ。入社当時、彼の妻はもう一つ気分が浮かなかった。ベントンヴィルを初めて訪れたとき、彼女は夫に、なぜその町で働きたいのかをしつこくたずねた。その日発行された町の週刊新聞の見出しが「ベントンヴィルに初の信号機がおめみえ」だったからだ。また彼女は、サム・ウォルトンがコフリンに午前5時半に会いたいと頼んだと知り、いっそう気を滅入らせた。妻をなだめるため、コフリンは、ウォルマートにいるのは3年だけだと約束した。だが、彼は約束の期間を過ぎても会社を離れず、物事をなしとげる、大胆で強靭な意志を持つ人物という評判をとるようになった。(170ページ)


 2002年の中国のウォルマート・ストアは、この会社の最も先進的な部分を活用している。テルソン、リテイル・リンク、ラインラッシャーなどだ。無人レジをテストする実験も進められていた。リテイル・リンクとは、インターネットを利用して毎日更新される情報システムで、納入業者にウォルマートとの取引情報を十分に提供するためのものである。納入業者は注文書を直接ダウンロードできるし、送り状の処理状況をチェックできる。また、ウォルマート各店で前日に売れた商品の量を判断できる。ラインラシャーとは、レジ待ちの行列のスピードアップを図るプログラムで、顧客が列に並んでいる間に、ショッピング・カートの商品を読みとる装置が利用されている。(211ページ)


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 今日は休日だった。
 11時過ぎに部屋を出て、新聞や雑誌などで見ていて一度行ってみたかった新宿の伊勢丹メンズ館に行ってきた。
 これは、百貨店の中ではどちらかと言うと不遇を囲っていた紳士物だけの別館で、昨年の改装以来毎月予算を上回るペースで売り上げを上げているという評判の場所だったのだ。ちょうどバーゲンの時期だったし、会社に持っていくカバンが欲しいなと思っていたので覗いてくることにしたのだ。
 実際に行ってみると売れているのはなるほど、という感じの場所だった。
 紳士物に一館丸まるつかっている建物はいままでもなかったわけではないけれど、メンズ館が従来の同様の施設と異なるのは、ブランド毎の仕切りもある程度以上取り払ってしまっているところだ。従来であれば、それぞれのブランドが壁で区切られ、テリトリーと化していたものを、平場のような売り場にして、柱などにその周辺においてあるブランドは○○ですよというのがわかるだけにしてあるのだ。そうなっていることによって、客はブランドに囲い込まれることなく、よりスムーズに様々なブランドを見比べていくことができる。従来の売り場が売り手側のスタンスだとしたら、買い手側のスタンスになりつつあるという感じだ(もちろん、完全にというわけではないけれど)。
 内装も落ち着いたシンプルな男性向けの感じだし、全館紳士物だけあってショートタイムショッピングもできるだろうから、売れるだろうなというのが印象。
 けれども結局何も買わず、そのまま横浜に戻ってくる。
 カバンは横浜で買った。茶色の革のカバン。いままで使っていたのがナイロンのものだったので、別の素材の方が新鮮かなと思ったのだ。
 新しいカバンを買うと、小学生のときに新学期がはじまるときにノートを新調したときのように、なんだか一新されたような気分になる。別にカバンが変わったからと言って仕事がバリバリはかどるわけではないのだけれど(そういうカバンがあったらいいな……)、それでもなんとなく身の回りのものを新しくしたり、お気に入りのものを持っていたりすると、より頑張ることができるような気がする。
 単純だけど。


 そして、横浜そごうで開催中の『「水戸黄門」放送1000回記念特別展』を見てくる。17時くらいに入ったのだけれど、がらがらで、僕の他には60代くらいのご婦人が1人いるだけだった。
はたから見ると、一人で600円払って『「水戸黄門」放送1000回記念特別展』を見ている29歳男って怪しいよな……と思いつつ結構楽しく観ることができた。
 実際に収録に使われていた印籠や3人組(黄門様、助さん、格さん)の衣装、風車の弥七の風車(!)なんかが展示されていて、なんだか妙におかしくて熱心に見入ってしまった。これを投げていたのか……と思ってみたり。
また、パネル展のようなものもあって、名シーンを映したものが並べられていたのだけれど、そのパネルのテーマがファンには笑えてしまうものだったのだ。たとえば、1000回の中から「偽黄門様」登場の回をピックアップしたパネルであるとか(こんなにいたのかよとか思いつつ)、弥七の名シーン、お銀の入浴シーン(←本当にこういうテーマのパネルが集められているところがあった)、他にも飛猿の名シーンなどがあった。一番笑ったのが「うっかり八兵衛」の名シーンのパネルで、6枚のパネルのうち2枚のパネルが食べ物を食べているところ……しかも1枚は饅頭を一気に食べて喉を詰まらせているシーンで、これが名シーンなのか……とちょっとだけ八兵衛に同情してみたり。
 基本的に展示数が非常に少なく、もっと様々なものを展示してくれればいいのにという感じはあったのだけれど、それでも結構笑えたし懐かしくも思えた。

 これは地方によって違うのかもしれないけれど、僕が学生の頃、北海道では夕方17時から1時間水戸黄門や大岡越前などを再放送していて、小学生や中学生の頃に友人と遊んだりしない日には、家でよく見ていたものだった。よくDaysのユーモアでもうっかり八兵衛ネタなどを使うけれど、僕はかなり水戸黄門とかが好きで、かなり見ていたのだ(西村黄門様のイメージが一番強いかもしれない)。もちろん、ビデオに撮って見る程ではないのでいまは見ていないけれど、それでも子供の頃に集中して見ていたあの頃に、自分の中の日本人的なある種の部分は、影響を大きく受けているのだと思う。


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 お知らせ

 由美かおるが別の役名(疾風のお娟)で、いまもレギュラー出演しているのにはびっくりです(もちろん入浴シーン有で)。

 水戸黄門ホームページ

 http://www.tbs.co.jp/mito/


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