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2004年01月09日(金) 『文体とパスの精度』

『文体とパスの精度』読了。村上龍×中田英寿著。集英社。
 中田のボローニャ移籍のニュースをきっかけに、以前に購入して読んでいなかったこの本を引っ張り出してきて読んだ。1997年から2002年までの対談集なのでいまから考えると結構前の話になっているのだけれど、興味深く読むことができた。

 章立ては以下の通り。

 第1章 アルゼンチン相手に守備的に戦っても自分の力は試せない
 1997年12月4日/マルセイユにて
 第2章 ヒデは自分が天才だと思う?
 1999年8月29日/ペルージャにて
 第3章 これまでも、順風満帆なときなどなかった
 2000年12月18日/ローマにて
 第4章 日韓ワールドカップに向けて
 2002年4月9日/パルマにて
 あとがきに代えて『文体とパスの精度』
 2002年4月12日/ミラノにて


 もちろん、いまではワールドカップはすでに結構前の出来事へと遠ざかり、中田は背番号10だったパルマで出場機会にそれほど恵まれず、試合に出ることを求めて格下のクラブへの期限付き移籍に同意した。移籍初戦は怪我で欠場していたけれど、来週からは新しいチームでの中田を見ることができるようになるだろう(ボローニャの監督はペルージャ時代のマッツォーネなので、本来のポジションで出場することができるかもしれない)。
 本書を読んで感じたことは、中田の個人というものに対する意識の高さだ。もともとそういうキャラクターだというイメージがあったけれど、対談やe-mailのやり取りの文章というある程度生に近い言葉や文章に、なおさらそう思えたのだ。実力主義のサッカー界で、しかも世界最高峰のリーグであるセリエAで何チームも渡り歩き活躍し続けているのだからそれはもうすごいと思うのだけれど、どんな場所にいてもどこか冷静で自分を見失わないでいるように見えるのは、やっぱりそれだけの自分なりの哲学のようなものがあるのだなと感じることができた。
 それは日本人的な「和」を尊重する気風とは合わなくて、村上龍ともども日本的な体質を否定していたけれど、自らの技術と実力で勝負していかなければならない世界に身をおいているだけあって、説得力のある意見だった。プロとして、努力の過程ではなく、結果を出すことを常に求められているだけに、過程を重視しがちな日本のウェットな部分に違和感を感じているというようなことも書かれていた(もちろん、優れた結果が偶然によって導かれることはそれほど多くはなく、実際には不断の努力によるものであるのは当然のことなのだけれど。だからその努力を前面に見せてそこにスポットライトを当てるようなやり方ではなく、当たり前のことを当たり前のこととして行ってその上でしっかりと結果を出し続けていくということを淡々とこなしているのだと思う。そしてそういったことを当然と考えている人は、ウェットな部分にはやっぱり違和感を感じるのだろう)。

 ボローニャでのこれから数ヶ月が、前向きなものになればいいなと思う。


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 お知らせ

 今日、目の前を歩いていたおじいさんの着ているウインドブレーカーの背中に、「BAD BOY」と書かれていました。
 年はとっても、気持ちでは若い者に全然負けていません。


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