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| 2004年02月04日(水) |
中華街+『ラブストーリー』+『なぜ高くても買ってしまうのか』 |
『なぜ高くても買ってしまうのか 売れる贅沢品は「4つの感情スペース」を満たす』読了。マイケルJ.シルバースタイン+ニール・フィスク+ジョン・プットマン著。杉田浩章監訳。ボストンコンサルティンググループ訳。ダイヤモンド社。
帯にはこうかかれている。
BMWで100円ショップに行く… もはや平均的な消費者はいない!
この本は、たぶん多くの人に当てはまる個人の消費の二極化について書かれている。たとえば、普段はドラッグストアで格安のヘルスケア商品を買いながら、ルイ・ヴィトンの7万円もするようなバックを購入するような消費者心理について言及しているのだ。そのような例は現在ではたくさんある。もちろん、帯にあるようにBMWに乗りながら100円ショップやディスクカウントストアを頻繁に利用するというような消費者についてもそうだ。
本書ではこのような行動の対象となる商品やサービスを「ニューラグジュアリー」と名付けている。定義は「同じカテゴリー内のほかの商品より高品質で、センスもよく、魅力的であるにもかかわらず、手が届かないほど高額ではない商品・サービス」というものになる。通常は「価格が高いほど販売数量は少なくなる」ものだが、この「ニューラグジュアリー」の範囲に入る商品やサービスについては、そのような需要供給曲線の外側に位置し、多くの数が売れるのだという。 そして、そのような「ニューラグジュアリー」の商品が台頭し、受け入れられるようになってきたのはどのような理由によるものなのかについての分析を行い、またいくつかのカテゴリーでの代表的な「ニューラグジュアリー」の商品や企業について具体的に説明を加えている(たとえば、「ヴィクトリアズ・シークレット」や「クレート&バレル」、「パネラ・ブレッド」など)。
これらの「ニューラグジュアリー」商品が大きくシェアを広げてきた背景には、状況的には可処分所得の多い世代の増加(晩婚化、少子化、裕福な年金生活者の台頭、女性の社会進出etc)があり、精神的な部分では副題にもあるように、現代人の4つの感情スペースに直接訴えかける要素を持っていることがある。その4つの感情スペースとは、
「自分を大切にする」(自分へのごほうび消費など。家庭用グルメ食品、スパ、パーソナル・ケア商品など) 「人とのつながり」(話題のレストランでのディナー、高級ワインなど) 「探求する」(旅行、車など) 「独特のスタイル」(衣料品、宝飾品、自動車など)
というものだ。つまるところ「ニューラグジュアリー」消費の背景にあるのは「自己実現」であり、それを持っていることによって、あるいは利用していることによって、「自分は知的で見る目がある」という自己満足と他者からの評価を得られやすくするというものなのだ。本書で書かれている言葉を引用すると、「ニューラグジュアリー商品は、通常の商品(従来型洗濯機、バドワイザー・ビールなど)や、持ち主より目を引くような従来型ラグジュアリー商品(グッチのバックなど)と比べても、より複雑で、興味深く、多様性と機微に富んでいる。洗練され目の肥えた消費者にとってニューラグジュアリーは、ひとことも発することなく相手に語りかけられる豊かで幅広い語彙を与えてくれるものなのだ。(99ページ)」 判りやすく言うと、ある人物がBMWを購入することによって、BMWに乗っている自分ということについての自己満足と他者からのある種の確立されたイメージを持たれることが重要なことであるということだ。
そして、興味深いのは、いわゆるディスカウントストア(たとえばウォルマート)などの興隆が、そのような「ニューラグジュアリー」商品への支出を増大させているという点だ。これは一見矛盾することのように見えて、密接に関連している。ディスカウントストアの努力によって実用品や日用品が以前と比べて驚くほど安値で購入できるようになり、それによっても消費者の可処分所得が増加しているのだ。生きていくためにかかるお金が減った分、自分の精神的な面を満足させてくれるそのような「ニューラグジュアリー商品」へと手が伸びているのだ。 そのような流れのために、現在では消費の二極分化が生じていると書かれている。マスの商品は圧倒的な安価を実現することが生き残りの条件であり、そうでなければニューラグジュアリーの商品へと軸足を移さなければならない。いずれにしても中途半端な価格帯の商品やサービスが急速に売れなくなってきているというのだ。 それは確かにそうかもしれない。こだわらない消費者はとにかく安いものを購入しようとするから、大手のディスカウントストアやチェーンストアが発達するし、こだわりたい消費者は少しだけ背伸びをしてニューラグジュアリー商品を購入する。その中間に位置する機能もそれなりだが特別な魅力に欠ける商品やサービスが急速に陳腐化していっているのだ。もちろん、消費者の目が肥えてきたということもあるのだろうが、その流れ自体には納得することができる人は多いのだと思う。自らの興味のない分野では消費を切り詰めるけれど、興味のある分野では突出型消費をいとわないというように。
読みやすく、具体的な企業のエピソードも多く盛り込まれ、面白く読むことができた。興味のある方はぜひ。
いくつかを引用。
ニューラグジュアリー商品であるためには、「ベネフィットの階段」の全三段階で消費者の心を捉える必要がある。 第一段階として必要なのは、デザイン面かテクノロジー面、またその両面での技術的な差異だ。(……) 第二段階として必要なのは、こうした技術的な差異が実際に性能の向上に役立っていることだ。(……) そして最後の段階として必要なのは、これら技術面と性能面でのベネフィット(および価値や企業理念などの諸要因)が合わさって、消費者に思い入れをいだかせることだ。(19〜20ページ)
典型的なアメリカ人家庭などというものも存在しない。母親と父親と子供が同じ屋根の下に暮らす伝統的なイメージの家族は、全世帯のわずか24%にすぎない。(……)女性と同様、男性の晩婚化も進んでいる。初婚年齢の中央値は、1970年には20.8歳だったのが、2000年には25.1歳に上がっている。 晩婚化の影響もあり、女性の初産年齢も上昇している。女性が第一子を出産する年齢の中央値は過去30年間に22.5歳から26.5歳に上がっている。また、過去30年間に、30歳以上で第一子を出産する女性の割合も18%から38%に上昇している。 出産の高齢化の結果、DINKs世帯が増えた。彼らは可処分所得が高く、自分たちのニーズやウォンツを満たすこと以外にたいした経済的義務を負っていないので、ニューラグジュアリー市場に大きく貢献している。(45〜46ページ)
一般消費者に影響力をもつオピニオン・リーダーたちが矢継ぎ早に次のようなメッセージを発信し始めるようになった。 「夢を追い求め、心を満たし、なりたいものになり、快楽を追求し、自己実現をめざしなさい。そして、おっと自分をいたわり、自分の利益を追求し、自分にごほうびを与え、自尊心を高めなさい」 商品やサービスは、常にこうしたメッセージに結びつけて考えられる。そのため、やがて人々は、消費が自己成長や人間関係づくりといった高尚な目的に役立つなら、以前よりほんの少し大胆に消費しても許されると考えるようになった。(52ページ)
引用はしないkれど、62ページのニューラグジュアリーの消費者の複雑さを説明した文章は大切。
ワンランク上の消費をする人々は、いくつかのきわめて強い心理的要因から行動を起こしている。こうした要因には、ポジティブなものもあれば、ネガティブなものもある。 彼らは孤独で、不安で、ストレスをかかえ、心の平和を強く求めている。同時に、希望に満ち、楽観的で、新しい物ごとを試す意欲も十分ある。(……)つまり、自分はおおむね幸せだと主張しているが、それはおそらくそう信じたいからであり、その実、時間に追われ、仕事にストレスを感じ、自分にとって大切な人々とのつながりを失っていると感じている姿だ。(64〜66ページ)
アメリカン・ガール人形の性能面での違いにアリソンが気づいたのは、弟がサマンサを窓から投げ捨て、人形の手足が取れてしまった時だった。アリソンの母親が同社に電話をかけると、「人形を当社の『病院』にお送りいただければ、アメリカン・ガールの『医師』による『治療』が受けられます」と告げた。そしてサマンサは、新品同様の姿で家に帰ってきたのだ。手首は患者名を示す腕輪まで巻かれていた。アリソンはそれを見て嬉し泣きしたという。「当社は人形に100%の保障を提供することができます」(146ページ)
外食とはまず「自分を大切にする」ことに関わるものだ。人々は外食することで「もてなされ」、「満たされ」、「安らぎを得」、「ストレスが緩和され」、「元気が出る」と感じている。 外食はまた「独特のスタイル」にも関わってくる。回答者は、優れたレストランに行くことで「達成感」を得られ、自分を「センスのよい」人間だと感じることができると答えている。(189ページ)
調査によると、仕事をもった独身女性は、ニューラグジュアリーのとりわけ積極的な購買層だ。若い独身女性は比較的少数のカテゴリーで突出型支出を行っているが、離婚した女性では最大30ものカテゴリーでそれが見られる。 離婚件数が増え続け、独身女性の晩婚化も進むなか、独身女性の総数は今後も増加が予想される。これにともなって、「人とのつながり」のためというよりも「つながれないこと」の寂しさを和らげるものや、離婚の苦痛を癒してくれるものへの支出欲求も高まると見られる。(272ページ)
昨今のペットブームや「癒し」「スローライフ」といった言葉の流行も、経済的には成熟しても何か満たされない日本人の心情を反映しているように思えてならない。本書で紹介された四つの感情スペースは、背景は異なるものの、そのまま日本人にも当てはまるだろう。(311ページ)
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今日は後輩2人一緒に10時に待ち合わせ買い物に行く。そして、13時過ぎにお腹が減ったという話になり、中華街に行ってきた。 あとちょうどお昼時ということと、先週開通したばかりのみなとみらい線の影響なのか、中華街は平日だというのにものすごい人手で混み合っていた。たくさんの店があるなかで、輩の一人が教えてくれた「梅蘭」という路地にある小さな店に入る。固焼きそばが有名な店なのだそうだ。店の前まで並んでいて、ちょっと期待してしまう。少し待ってから入店。 そこで、3人でテーブルがいっぱいになるほど注文して、とにかく食べまくった。座敷の席だったのだけれど、食べ終わる頃には3人とも無言で座っているだけになってしまうくらいに。 「こんな時間からこんなにおいしいものを食べてしまうなんて、なんだか悪いことをしているみたいだ」というような話にさえなった。 とてもおいしくて、満足度が高かった。名物の「梅蘭焼きそば」も特徴的な味だったし、エビチリ」を頼もうとしたら店の人に「こっちの方がオススメ」と薦められた「くるまえびのマヨネーズ和え」もとてもおいしかったし。
夕方には、関内で後輩たちと別れ、映画を観に行ってきた。観たのは『ラブストーリー』という韓国映画。『猟奇的な彼女』の監督の最新作で、観た人たちがみな絶賛していたので興味があったのだ。ある男は「最後の数十分はもうずっと泣いてました」と言い、ある女の子は「最後はもう泣いているというより嗚咽みたいになっちゃいました」と話していた。映画を観て泣くのは気持ちがいいので、それはぜひ観ないとと思ってシネマリンという小さな映画館に行ったのだ。 結論としては、泣けなかった。たぶん、期待がものすごく強くなってしまっていたのだと思う。泣く気満々で観ていたので、それがいけなかったのだと思う。やっぱり、どんなに期待していても、できるだけニュートラルな心持で観ないとなとあらためて実感させられた。 現代の娘の片思いが、母親の若い頃の初恋のエピソードと対照的に印象的に重ねられ、最後にはふたつの恋物語がリンクして……というベタな展開がたくさん起こる王道のラブストーリーなのだけれど、後半が少し駆け足だったかなと個人的には思う(すでに観た人はその後半部分の怒涛の展開がもうツボだったらしいのだけれど……)。 DVDになったら、今度は肩の力を抜いてもう一度見てみたいなと思う。
映画を観終わった後、伊勢崎町のスターバックスでコーヒーを飲みながら本を100ページほど読んだ。 そして20時過ぎに部屋に帰ってきて、少し眠って、夜中に起きて、本を読了してからDaysを書いている。 ということで、いまは5日の4:30頃だ。 Daysをアップしたら少しだけ眠ろう。
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お知らせ
『ラブストーリー』のホームページを見ていたら、『猟奇的な彼女2』の企画も進んでいると書かれていました(「彼女」と死んだ恋人とのエピソードらしい)。
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