Sun Set Days
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2004年02月23日(月) |
『蜜』+何度でも忘れて何度でも思い出す |
月曜日が休日だということもあって、日曜日の夜には仕事が終わった後5人でファミリーレストランに入り、午前1時過ぎまで粘っていた。 部屋に帰ってきてからは、そのまま明け方近くまで起きていた(相変わらず夜更かしだ)。 月曜日は昼前に起きて、それから部屋の机で持ち帰り仕事をしていた。 夕方後輩から買い物に行こうという誘いが入り、待ち合わせて出かけてくる。 みなとみらい近辺で数時間を過ごし、夜ご飯にはまわる寿司を食べて、21時過ぎに帰ってきた。 のんびりとした、ゆっくりと時間の流れている休日だった。
そしていまは24日の午前1時過ぎ。 最近はCharaと柴咲コウのアルバムを繰り返し繰り返し聴いている。 結果として、Charaはいうまでもないのだけれど、柴咲コウはものすごくツボにはまるアルバムとなっている。 それまで柴咲コウのことを詳しくは知らなくて(もちろんあれだけ露出している人なので少しは知っていたけれど)、曲だってほとんど聴いたことがなかった。RUI名義で大ヒットした「月のしずく」だって、有線で流れるのを聴くくらいでしかなかったのだ。 それなのにどうしてアルバムを購入してしまったのかよくわからないのだけれど、Charaの『A Scenery Like Me』を買いに行ったときに、すぐ近くに置いてあって、ジャケットを手にとってみて、それでなんとなく一緒に買おうと思ってしまったのだ。本当に気まぐれに。 そしてやられてしまっている。 iTunesでは、1曲目の「Fantasista」の再生回数はすでに20回になっているし、2曲目の「浮雲」は21回だ。アルバムも通しで10回以上聴いている。もちろん(?)、通勤途中にも聴いている。
事前の情報がなくて、その分当然期待もしていなくて、それですごくいいなと思えてしまっている。通して聴いていてもよい曲が多いのだけれど、いまは特に1曲目と2曲目を繰り返し聴きたい時期になっていて、その時期が終わったら他の曲をよく聴く時期になるのだろうなという気がする。CDは結構たくさん購入するのですきなアーティストも少なくないのだけれど、久しぶりに新しいアーティストでやられたという気持ちになれて嬉しいなと思う。たくさんの音楽を聴くたびに、そういうのって本当は違うと思うのだけれど、これは〜みたいだなとか、こういう感じだとか、ちゃんと向かい合わないですぐに判断を下すようなところがあったことも事実だし。
よく、年齢とともに感受性が失われてきて云々というような話を聞くけれど、もちろん実際にそういったところもないとは言えないのだろうけれど、実際のところは様々なものを経験してきたことによるものなんじゃないかと思っている。それはつまり、ある音楽を聴いても、過去にすでに聴いたことのあるメロディーに似ているとか、ある種の傾向や枠に当てはめて捉えてしまうということで、新鮮さや衝動を感じ取ることができなくなってしまうということだ。そしてそれは何に対してもそうで、経験を積むことで判断をすぐに下すことができるようになってきて、本当にちゃんと向き合った方が得られるものが多いものに対しても、ちょっと触れただけである意味ステレオタイプな判断を下してしまうということだ。それはとても危険で、ただ様々なことにいちいち衝動を受けることを避けるためにも必要なことでもあって、微妙に難しいことではある。しかも、気持ちが疲れているときなんかは感情を守るためにその傾向がきっと強くなったりして、その繰り返しがいつの間にか音楽や物語に対しての感覚を磨耗させてしまうことに繋がってしまうのだろうと思う。
もちろん、すべてにおいてちゃんと向かい合って味わいつくしてというのは理想かもしれなくてもやっぱり難しいのも事実だ。ただ、だからといってすばらしい作品に出会ったときの感動を放棄するのももったいない。だから、ときどきはちゃんと思い出さないと駄目なのだと思う。感情が傷ついたり揺れ動いたりすることを避けるために、ついついルーティンワーク的に自分が体験することを簡単に枠にはめようとする傾向があることを。そしてその枠は白い紙に書いた線のように、一度書いてしまうとそれを当たり前のことだと疑念も抱かなくなってしまうことを。
だからたまにはちゃんと、向かい合うべきものに向かい合おうと意識しないといけないし、一度書いた線だって消しゴムや修正液で消すことができるということを思い出さないと駄目なのだ。感情や体調は波のように揺れ動くから、元気のよいときに意識できたり誓ったりしたことも、いつの間にか忘れてしまっていたりする。過去に「これからはこういうふうにしなければ、気をつけないとな」と思ったことも、気がつくとすっかり抜け落ちてしまっていたりする。もちろん、忘れてしまうことは当然のことだしある意味では健全なことだ。ただ、大切なのはちゃんと何度でも思い出すということで、自分にとって大切なことは、何度でも忘れて、何度でも思い出せばいいのだと思う。 都合はいいけど。 でも、人間はきっととても都合がよいようにできているのだ。本当にショックだったことも悲しみを癒すかのように忘れる力があるし、いつからでも何度でも何かを仕切りなおすことだってきっとできる。その都合のよさをちゃんと利用して、自分にとって大切だと思えることは、何度でも思い出していけばいいのだ。 思い出すきっかけは、世界中にいつでもどこにでも転がっているのだろうし。
でも、本当に久しぶりに新しく購入したアーティストのアルバムで、やられたって思ったのだ。そういう気持ちってしばらく忘れていて、どうして忘れていたのだろうって考えながら今日のDaysを書いたのだし、思い出すことができたのは幸福なことだなと改めて思った。
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お知らせ
歌詞カードの写真もいい感じです(Lake Tajo)。
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