Sun Set Days
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2004年03月15日(月) |
here and there |
今日は春を感じさせる陽気で、やけに長い歩道橋を渡っている間に吹きつけてくる風も、ずいぶんと暖かなものだった。 その歩道橋はこげ茶色で、新興住宅地の初期の頃にできたと思われるショッピングセンターへと続くものだった。周囲には郊外特有のまっすぐで幅の広い道路がいくつも走り、駐車場が多く、その分空がやけに広く近く見えていた。 これから散歩にはぴったりというような気持ちのよい日が増えてくると思うのだけれど、今日もそんな一日だったのだ。音楽を聴きながら、用事を済ますために訪れた郊外の新興住宅地の片隅を歩きながら、そんなことをぼんやりと考えていた。
今日は休日で、気がつくと結構長い距離を歩いていた。5月には転勤するので車を購入しようと思っているのだけれど、それまでは公共交通機関と徒歩が足になる。千葉に住んでいたときには車を持っていたのだけれど、そのときにはやっぱり車中心の日々になっていた。散歩はもちろん好きだったし、近くのコンビニに行くときなどにはもちろん徒歩だったけれど、それでも普段はやっぱり車に乗るようになってしまう。つまりは、歩く距離は確実に減ってしまうのだ。 だからというわけではないけれど、最近は結構歩いている。バスに乗る距離を歩くとか、そういったことが多いのだけれど、それでも歩くことはいつもいつもそう思っているわけではないけれど、あらためて考えてみるとやっぱり気持ちがいいことだと思う。
そして、歩くことについて考えるといつも思い出すのが、昔読んだ文章にあった「目的地へ向かうためではなく歩いたことが最近あったか」というような問いかけだ。そう言われてみると、結構歩いているつもりでも、なかなかないものだなと衝撃を受けたことがあった。 だからときどき、いまでも自分に問いかけてみるのだ。
「目的地へ向かうためではなく、歩いたことが最近あっただろうか?」というように。
これは個人的には心の健康を推し量るひとつのものさしのようなものになっている。つまり、「ない」と答えてしまうときには、個人的にはちょっとローなときで、元気で気持ちが充実しているときには「ある」とすぐに答えることができてしまうということだ。目的地のないような散歩というのは、日々の生活の中ではちょっとした余裕の中から生まれてくるとか、あるいはエクストラな部分に属している。そのため、そういうことについてすぐに「ある」と言うことができるというのは、ひとつの状態を表しているのだ。
だから、僕は時々そういう質問を自分にしてみるし、もししていないという答えがでてくるときには、無理矢理に散歩に出かけてみるのだ。そうすると、視野が狭くなっていたり些細なことに拘っていたことに情けないよなあと気がつかされたりもしたりするのだ。いずれにしても、自分の状態を図るものさしを持っていて、それで認識できた状態についてあまりよくないものだったら、どうしたらそこを抜け出すことができるのかという方向性をわかっていること、そういったことが大切なことなのだと思う。
また、そろそろ新入社員が入ってくる時期だけれど、よく社会人になったら心の健康を管理することがとても大切なことだと言われていて、そういった自分の気持ちの体温のようなものを測ることのできる基準を持っておくことは重要なことだと思う。
久しぶりのDays更新。Daysの更新がない間は忙しく働いていたり、夜ご飯を食べに行ったり、働いていたり、飲みに行ったり、働いていたり、夜ご飯を食べに行ったりしていた。 大体いつも食事に行くと、メンバーと0時過ぎ午前1時過ぎまで喋ってしまっていた。そして仕事が忙しい時期でもあったので、帰ってきてからそのまま眠るようにしていたのだ。また、休日も先輩のところへ遊びに行ったりしていたので、なんだかんだで結構慌しかった。ということで、今日は久しぶりに、用事を済ませて15時過ぎに帰ってきてから、ずっと予定がなくて部屋でのんびりすることができる日だった。 忙しいような感じが続いていたので余裕はなかったかもしれないけれど、気持ち的には全然ローではなく、むしろやる気に溢れていたので個人的にはいい感じだった。ちょっと書いたように、上司の上司から5月に店長になることはほぼ確定だからそのつもりでいるようにと言われたこともあって、そういうのってやっぱり頑張ろうと思えるし。 あとは、神奈川県を離れるので、いまのうちに見ておきたいところは回っておきたいなと考えてみたり。
いずれにしても、少しだけ慌しくなりそうで、そういうのってやっぱり楽しみだよなと思う。
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お知らせ
最近ひさしぶりにユニコーンをよく聴いています。「自転車泥棒」とか「Maybe Blue」とか、「おかしな二人」とか懐かしいのです。
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