長い一日 - 2001年09月11日(火) 長いです。日記。 今日は長い一日でした。いろいろなことを話して、いろいろなことを考えて、いろいろな人を見ました。まだいろんなことを整理し切れていませんが、ちょっとづつ書いていこうと思います。 はじまりは、なんでこんな朝早くに電話がいたるところで鳴っているんだろう、と思いながらの目覚めでした。 シャワールームで身支度をしていると、入ってきた同じ会の住人が興奮したようすで話し掛けてきました "you know what?Pentagon and WTC has attacked! hijacked plane clashed and brew up!!!" "you kidding? it can't be!"シャワーを浴びていた女の子は言いましたが、彼女は真剣、私も聞き返しましたが、TVでやっているという。 本とか定かじゃないまま下に下りていくとTVがあるGreatHallに朝一番とは思えないほど人が集まってテレビに張り付いている。そこで初めて映像をみる。 呆然。 映画かと思った。だって、ペンタゴンだよ?アメリカの軍事の中心みたいなところだよ? とにかくショックであまり言葉が出てこない。それでも日常生活は続いているので、朝食をとりに行く。 早起き組みと話しながら朝食をとる。TOMはAnti-WTOだけど、このやり方は間違っているといっていた。みんな静か。この時点での総意は、it's really stupid, it only make Bush admin. be more agressive.といった感じだった。授業に行くまでもなんだかみんな落ち着かない雰囲気。 Spanishではそのニュースをスペイン語で読んだ。そのあとConflict Resolutionへ。この日初めて受けるPACS(Peace and Conflict Studies)の授業。どういう風になるのか。しかし、教授は交通機関が止まったせいでこれなくなりCancel.代わりにGandhinianの教授が短いDisをはじめる。私が思ったよりみんな冷静、いや冷静ではないんだが短絡的に復讐を求める人は少なかった。1人ニカラグアについて研究している子がいて、"we have to think why we American are hated so much"といいながら泣き出してしまった。授業の後そのこと1時間くらいカフェではなす。Democraticな国なんてあるのか、何をもって正義とするのか、私たちはどうしたらいいのか。彼女は次の授業があったのでまた話そうといって別れる。 そのあと寮に戻ろうという途中、SproulPlaza(FreeSpeechができる広場)で人だかりが、PACSの同じ授業をとっている子が何か呼びかけている。近寄って聞いてみると、安易に報復を考えないこと、暴力で暴力に報いるのは間違いであることなどを話していた。今夜8時からcandlelight virgil for Peaceという集会をして、OpenMikeで話したいひとが2分間それぞれ話すらしい。みんながどういった考え方をしているのかしりたかったのでいくと約束してわかれる。警官は生徒が集まることに警戒しているらしく、話しているとき見る間に消防車が3台Plazaを囲んだ。 こんなことがあっても宿題は出ていることに皮肉を覚えながら宿題をする。MiddleEastに行く前に、またGreatHallでCNNのニュースを見る。今度は朝と違ってかなりニュースに対して批判的に感じた。 イラクやユーゴスラビアやアフガニスタンでこの事件が起きる前も同じような恐怖を長い期間味わっていた、そして今も苦しんでいる人がいるということを、そしてその同じような苦しみの一端をアメリカ政府が担っているということはどこに行ったんだろう。アメリカ人だけが世界で唯一のvictimではない。同じことがUSに起こっただけとも言える、極端に言えば。もちろん犠牲者はなにもしていない、このような手段をとった集団はcondemnされるべき。でも同時に何が彼らをそこまで追い詰めたのか、何が彼らにアメリカを攻撃の的にさせたのかも考えるべきではないか? US under Attack.繰り返される被害者やその家族の映像、許されるべきではなという政治家、喜ぶパレスチナ人、これがPropagandaではないか?本当に全てのパレスチナ人がそのような態度を取っているのか?そして彼らがやったという証拠は?同様にアフガニスタンがやったという証拠もない。無責任な。 MiddleEastの授業ではまず、テロリストの定義をDisして、それから6人くらいのグループに分かれて続きをした。私たちは主にメディアの報道の仕方について話した。Ihouseに済んでいるイタリア人の女の子は本当にCNNニュースの報道の仕方を疑問していた。彼女は、TVが一言アフガニスタンがしたんじゃないかといったとたん、アフガニスタンがどこにあるかも知らない人が手近なアフガニスタン人もしくはそう見える人を襲うという可能性だってあるといっていた。アメリカ人の女の子は今まで自分はPeaceにCommitしていたと思っていたが、Newsを聞いたらすごく感情的になったといっていた。いままで私たちは自分が完全に安全と信じていてその上で平和を叫んでいたけれど、いざこのような事態になって本当に平和を叫べるのか。私にはやっぱりこの事件はちょっとはなれた出来事で観察している感じだ。 授業のあとDiscussionSecにいく。今日は私とFacilitatorしかいないらしい。 私にはありがたいのだが。1時間ほど私がこの事件をどういう風にみているのかや彼女の意見などを聞く。かなり英語で考えが整理できた。一回メディアが真珠湾と比較していることにどう思うかといわれて驚いた。そのことに何もかんじてなかったから。いまもどうも思えない。 8時からCandlight Virgil for Peaceに行く。ろうそくを燈して人々の話を聞く。歌を歌う人、詩を読む人、ラップを歌う人、そして沢山の人が演説をした。多くは暴力で暴力に報いるのはちがう、人種差別はするべきではない、といった論調だった。1人報復を!祖叫んだ人がいて、アメリカの国旗を掲げている人たちは拍手をしていたが他がすごい勢いでブーイングしていた。すごくいろんな見方があるのだ、そしてこういう場があるということはとてもいいと思った。 弟を無くした人や友達を亡くしたひと、様々な感情が入り混じった夜だった。 広場が人で埋まっていて、いろいろな意見を聞いた。いろいろな反応をみた。 ...
|
|