今日はクリスマスイヴだ。
日ごろの行いにより、当然のように今日は授業とバイトという何もない一日で過ぎ去ってゆくのだ。 唯一心休まるのは、今はなぜか二人いるメル友からのメールだけだ。
だが、携帯を通じてのコミュニケーションはたとえそこで会話が成立していても、そこにはボク一人しかいないのだ。ボクはただ液晶に表示された文字を見てニヤけているだけなのだ。 そこにあたかも可愛い女の子がいるかのように妄想しながら。 ウテナのサントラを聞きながら、一人悦に入っているのだ。 つまり、一人なのだ。 むしろ一人の方がいいのだ。 現実の女の子は面倒だから、たまになら相手にしてもいいけど、たまにしか相手にする気にならないのだ。 現実の女の子は現実だから、ボクが一方的に求めても拒絶されるかもしれないのだ。 だから機械を相手にしている方がいいのだ。 だからバイクをたくさん買うのかもしれない。
消費することはコミュニケーションである。 コミュニケーションの困難さから逃げ出した現代は、消費によってコミュニケーションを代替しようとしてきた。 消費さえしていれば、誰かとコミュニケーションを取りたいという欲求は満たされるのだ。 他人と嫌でも接触しなければならない場面を避け、好きなときに好きなように接することができるのだ。 そして、ボクのコミュニケーションの欲求は携帯メールを消費することで満たされる。
などと、クリスマスイヴに一人身でいる寂しさを小難しい言葉で分析してみました。 どーよ? どーせ、こんな日記がいいんだろ。 もっとグダグだな方がお気に召しますかな?
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