あんまり人から怒られたことがない。 成績は中の上。平均よりはわずかに上くらい。特に問題行動があるわけでも目立つわけでもなく、平々凡々な生活態度。ほどよく真面目で先生の受けも良い。まあ、そんな扱いやすい生徒。それが俺。 別に不良を気取るつもりも無理して優等生を演じるつもりもないので、無闇に大人にむかついたりすることもなく過ごしてきたのだけど、そんな俺が今日始めて担任にむかついた。
進路希望調査。 白紙で出したらふざけるなと怒られた。でも、本当に希望する進路なんてないんですと答えたら、今度は一転して柔和な態度だ。どうやら僕のことを悩める青少年だと勘違いして優しい大人を演じ始めたらしい。 33歳、そこそこ美人だけど生真面目すぎてお嫁にいけない女教師。諭すように猫なで声を出すのがむかついた。 なので、彼女の話は真剣に聞いてるふりをしながら、おざなりにしか聞いてなかった。先生の説教(本人は相談に乗っているつもりだろうが、俺にはそうとしか思えない)の間中、俺は自分の将来ってやつに思いを馳せてみたのだ。 でも――、わからんもんはわからん。 来週には提出するように約束させられて、ようやく生徒指導室から開放されたときには、びっくりするくらいきれいな夕焼けがグラウンドをまるごと包み込んでいて、マジでびっくりした。 何となく家に帰りたくない気分になった俺は、友達と飯を食って帰ると家に電話を入れて、でも一人で街をぶらぶらと歩いた。スーツ姿で歩くサラリーマンが見たかったんだ。
市街地の方へ行くとちょうど帰宅時間に当たって、お目当てのサラリーマンがわんさか駅を目指して歩いているところだった。着崩したスーツ姿で一様に駅を目指す姿は、なんだか下校時間の校門みたいで気味が悪かった。 結局、学校を卒業しても何が変わるもんでもないんだろうか。でも、ホントのところどうなのかは俺にはわからない。自分がその群れに中に埋もれている姿さえ、今の俺には想像できなかった。 将来の自分。いちばんありえそうな未来の自分の姿を実際に目の当たりにしても、結局はなんの実感もわかなかった。
さて、困った。 独身サラリーマン風の男達に混じって吉野家で牛丼を食ってみたけど、やっぱり今ひとつピンとこない。 これじゃあ進路希望調査票の空白を埋められそうもない。困った顔をして悩む担任の顔を想像すると、気分は重くなる一方だ。牛丼をかきこんで熱くなった腹から息を吐きつつ、とぼとぼと歩き出した。
特に行くところもないので家に向かって歩く。でも、ゆっくり。散歩してるおじいちゃんくらいゆっくり。 原因は家に帰って母親と顔を合わせるのが憂鬱だから。母親が学校で進路希望調査があったことを知るのも時間の問題だろう。俺が言わなくてもおばちゃんネットワークを通じて情報を仕入れるだろうし、下手すりゃ担任が親切に息子さんのお悩みをご報告してくれる可能性もある。 そうなったらうちの母親も担任同様に真剣に悩んでくださるだろう。ああもう想像しただけで鬱陶しいったらありゃしない。これ見よがしに優しい顔をせずに、頼むからそっとしておいてくれ。 息子さんは世の無常に浸りたい気分なのだ。
進路なんて何を選んでも結局は同じじゃないのか?なんて思ったりしてる。学校を卒業しても、みんな同じような服を着て、同じようなサイクルで通学…、じゃなかった通勤して。みんな揃って同じことするんなら、結局は学校行ってるのとあんま変わんないじゃん。そう思うわけ。 じゃあ、そのレールから外れてみるか? 手っ取り早く思いつくのはミュージシャンとか芸術家とかか?ああ、それから漫画家とかもありかも。でも、俺、美術平均点だし。音楽の成績も平均点だし…。 ふむ、なるほど。 レールを踏み外すには、普通の人にはない才能が何か必要なわけか。俺みたいな普通の人は普通にレールに沿って走るしかないのかもしれない。 ・・・・・・、なんだかなぁ。 無力感というか、脱力感というか、とにかくやる気が体からだだ漏れしていく気分だ。ガンジーは無抵抗、無服従をモットーにしていたらしいが、今の俺はまさに無気力、無抵抗だ。荒れ狂う社会の波に逆らう気概なんてありません。
住宅街の中を流れる用水路にかかった橋の上で、欄干に肘を付いてぼうっと暗い流れを眺めた。そんな世捨て人になろうと言い出しかねない俺の心持に夜の風は心地良かったりするわけで。 情緒豊かな主人公だったら涙の一つも流すか、名台詞を残す場面かもしれない。あいにく俺はそんな気の利いた登場人物ではない。 でも、落ち着く。 繁華街はそれなにり騒がしいけど、住宅街までくれば喧騒は遠いし、ほどよく静かだ。時々通り過ぎる車の音がアクセントになるだけど、歩いてる人もほとんどいない。 夜の住宅街ってこんなに落ち着くものだったとは知らず、しばし新鮮な発見に浸ることにした。
結局は平凡なことに飽きてきているだけなのかもしれない。 別に平凡な進路しか選べないことが不満なわけじゃない。でも、とびきりの美少女に突然告白されるとか、宝くじで一等が当たるとか、そういうハチャメチャな人生にも憧れる。 例えば、この橋から飛び降りようとしている女の子がいたら…。颯爽と助けて、ついでに悩みの相談なんか受けちゃって。一緒にトラウマ解決、そして最後には……。 なんて、そんな普通じゃないことが少しくらいあってもいいよなあと思うのだ。 実際にはないけど。 「ちょっと、そこに居られると飛び降りれないんだけど?」 「へっ…?」 妄想を切り裂くように不機嫌な声が急に耳に飛び込んでくる。おどろいて声がした方に振り向くと、3メートルほど離れたところで一人の女の子が欄干に立っていた。 「ちょっと聞いてる?そこに居られると邪魔って言ってるの」 キリっとした切れ長の目が不機嫌そうに細められて俺を睨む。不意をつかれた俺はすっかり萎縮してしまって、「あ、ご、ごめんなさい」と腰を低くしつつその場を離れようと、もたれた欄干から体を起こす。 「え?ちょっと待って。き、きみ?なに、しようとしてるんですか?」 焦りまくって意味不明に敬語を使ってしまう。見たところ、僕より年下、たぶん中学生くらいだと思うけど。でも、俺は彼女の第一声で完全に主導権を握られてしまったのだ。 「見ればわかるでしょう。ここから飛び降りるのよ。あなた、邪魔するの?」 万引きを見つかって悪びれもせず逆ギレする女子高生のようにフテブテしい態度で言い放つ。ってか、なんで俺がキレられなきゃいけないんだ。 しかし、これは夢にまで見た非日常的シチュエーションではないのか? 飛び降りようとしているのになぜか威圧的な態度を取っているが、見れば彼女はなかなかの美少女じゃないか。勝気そうな瞳が性格そのまんまな感じだが、もしかしたら今流行のツンデレかもしれない。 飛び降りを止めて一緒に悩みを解決して行くうちにツン→デレに…!?そうなれば俺の残りの高校ライフは…!いやいや、待てよ。そもそも橋から飛び降りようなんて奴がまともな精神構造をしているわけなじゃないか。そこまで期待するのは若気の至りが過ぎるぞ。 でも、このまま放置して去るもの、それはそれで。ここは非日常的シチュエーション云々は抜きにして、人として助けるべきなんじゃないのか。その後のことは、彼女が飛び降りを諦めてから考えればいいわけだし、とりあえずここはまずとびおりを止める方向で動いてみてはどうだろう? 「ま、普通は即座に行動できないわよね」 「あっ、え?」 もしかして軽くワープしてました、俺って?自分では一瞬で思考して結論を導き出したつもりだったのに、欄干に立っているので短いスカートからギリギリ見えそうで見えないチラリズム全開の少女は、興醒めした風なつまらなそうな表情で言った。 「ふだんあーだこーだ言ってても、いざって時に即座に行動できる人間ってほとんどいないよね。ってゆうか、それだけ行動力ある人間だったら、普段から無駄口なんて叩かないよね。それくらいあんたもわかってんじゃないの?わかってるくせに夢見ちゃって。なに、あんた乙女ちっくな感じに浸りたいわけ?オタクって意外に乙女ちっくな妄想が好きって聞いてるから、別に止めないけど。そうやってぼーっとしてられんのも学生のうちだけだと思うし。まあ、とにかくあたしはもう帰るから。妄想に浸るんなら一人でやってね」 くるり、と猫のように鮮やかに欄干から飛び降りたかと思うと、彼女はやはり僕から3メートルほど離れたところに着地してスタスタと歩き始めた。かと思うと、すぐに止まって顔だけをこっちに向けて言った。 「こんな低いところから飛び降りて死ぬわけないじゃん。なに期待してたの?」 そして、今度は本当に歩き去ってしまった。
俺はもう一度欄干に肘を付いて川を眺める。水面までは、まあ3メートルって所か。水位は…、まあ50cmくらいだろう。小学生のころにここでフナやらザリガニやらを探して遊びまわっていた時のことを思い出す。 確かに飛び降りて死ねるような川じゃないよな。 はぁ、とため息をついて橋から離れた。もう夢に浸るような気分にもなれない。家に帰ることにした。
翌週。俺は担任との約束どおりに進路希望調査票を提出した。「よかったぁ、進路決まったのね。先生、安心したわ」と、やけにうわべだけで喜んでるっぽい担任の喋り方が気に触ったが、まあそれ以上は気にしないことにした。 むかついたからって、俺は何をするわけでもないのだから、それ以上は気にしてもしかたない。 俺はあれから家に帰って予備校が配っている大学案内の分厚いパンフレットを開いた。全国の大学の学部紹介や偏差値がのってるあれだ。 その中から今の自分の偏差値で無難なところを第二志望に。ちょっと頑張ればいけそうなところを第一志望に記入した。これで現実を見ながら努力も欠かさない良質な生徒の出来上がりだ。
職員室に調査票を提出した帰り、校舎の端にある自販機コーナーに寄った。いつものようにミルミルを迷わず選ぶ。 パックにぷっすりとストローを差し込んでちゅぅ〜っと吸い込む。ねっとりとしたに絡みつく食感。この乳酸菌っぷりがたまらない。 それはともかく、正直なところ自分が何をしたいのかはまだわからない。オフィス街で見たサラリーマンの群れに入るのか、あるいはドロップアウトするのか。他に俺の知らない隠された選択肢があるかもしれない。もしかしたらもうすぐフラグが立って新しい選択肢が出現するかも。まあ、出現しない可能性が高いが…。 暴走妄想はともかく、一つだけ明確にわかったことがある。 俺は平凡な人間だ。降ってわいたように転がってきたチャンスをすかさずものに出来るようなマンガの主人公じゃない。だから、もうちょっとのんびり生きようと思うのだ。高校生活もあと1年以上あるし、大学までいれたら五年以上ある計算になる。 そのあいだにはもっと色んなことを知るだろうし、そうすれば自分のやりたいこともわかってくるかもしれない。だから、今は自分の将来と妄想を並べて落ち込んだりせずに、今は今のままでいいんだと思うことにするのだ。 「あんたって、自分が思ってるよりも平凡じゃないと思うけどな」 ミルミルで至福の時を過ごしていると、不意に後ろから声をかけられた。おどろいて声がした方に振り向くと、3メートルほど離れたところで一人の女の子が階段の手すりの上に立っていた。制服のスカートが短いので絶妙なチラリズム発動中だ。 しかも、斜めな階段の手すりに立っているせいで体のバランスまで危うい。もしかして、足を滑らせて転んだところでパンチラするつもりなのか。 それはともかく、そのチラリズムっぷりには覚えがあった。 「あっ!あのときの欄干飛び降りチラリズム少女(たぶんツンデレ)っ!」 「なによ?その長ったらしくて奇妙な覚え方は。やっぱあんたオタクなんじゃないの?」 いや、いくら罵られようともこの少女(おそらくツンデレ)があの時の子(きっとツンデレ)と同一人物であることは疑いようがなかった。そして、やはりツンデレであるに違いない。 「な、なんで俺をつけまわす!?」 「別に理由なんていいじゃない」 やはりツンデレなのか、わざとらしくソッポを向いてみせる。ツンデレとしてはなかなかオーソドックスな攻め方だな。 Q.俺は心の中で何回ツンデレと叫んだでしょう? 「何回叫んだかはともかく、あんたって自分が思ってるより平凡じゃないよ」 「そ、そうなのか?」 「あんがい神経太いっていうか、ん〜、鈍感ってわけじゃないけど…。かなり天然入ってるじゃん?」 「そうなのか?自分ではよくわからんけど。ってか、自分で気付かないから天然なのか?」 「ほら、そーいうところが天然っぽいってこと」 そう言って謎のツンデレ少女はひらりと手すりから舞い降りた。ふわりと広がったスカートがふたたびチラリズムを振りまく。パンチラをツカミに使うような安易なキャラではないらしい。 「あんたのそーいうとこ、嫌いじゃないな」 でも、別に好きでもないけどね、とツンデレらしいセリフを残して少女は消えてしまった。 中学生ぐらいだと思っていたが、高校生だったのか。そういう誤解を天然っぽいと言っているのだろうか?
それはともかく、どうやら彼女に言わせると俺は自分で思っている以上に平凡から逸脱しているらしい。でも、自分ではどうにもそんな実感はないんだけどな。 だいたい、平凡ってなんだよ? 冷静に考えれば、サラリーマンだってみんな同じように見えてもそれぞれ違う仕事してるわけだしな。サラリーマンになる=平凡って、根拠ないじゃん。 んー、そうなると余計に難しいな。 まあ、いいや。 時間はたっぷりあるんだ。 一銭にもならない無駄な作業かもしれないけど、今はこの高尚な悩みに時間を費やしてるのも悪い気はしない。 よし、と呟いて飲み干したミルミルの紙パックをゴミ箱に向かって投げた。パコンと軽い音を立ててパックはゴミ箱の端にはじかれて廊下に転がる。それを拾っておもむろにゴミ箱に投入して、「よし」とパックがゴミ箱に収まったのを確認して廊下を歩き出した。
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タイトル「ツンデレトビオリショウジョ」 容量:10.9kb(原稿用紙17枚分) 所要時間:1.5〜2時間 備考:推敲、査読なし。 参考文献:「敷居の住人」第四巻46,47ページ。
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