世界は不自由で理不尽に満ちている。 人間が物理的な存在である以上、物理的な限界があって、つまりその点では非常に不自由なわけだ。
では、自由とは何か? もっと実際的な命題を設定すると、「僕はどうしてこんなにも自由を感じているのか?」というテーマになるだろう。
言うまでもなく僕は自由であるが、それは無職で遊びまわっているという客観的状態に根拠を置かない。 メロブで働いていた時も僕は自由だった。 不自由を感じたのは辞めようと決意した時から辞める時までの間、時にそれを感じる瞬間があったくらいだ。 では、何を根拠に僕は自由だと主張しているかと言うと、それは僕が自由だと感じている感覚を基にしている。
問題はより焦点を絞られる。 つまり、僕はどういった時に自由を感じるのかがポイントとなる。
まさか自分が万能だなんて思っていない。 努力すれば全てが上手くいくなどと思えるほどおめでたい考えも持てない。 世界はどこまでも不自由で理不尽に満ちている。 その中で唯一自在になるものが存在する。 それは「自己」だ。
やや時間が押し迫っているので、簡潔に結論に向かう。 つまり僕は自己が自己のロジックに従って世界に働きかける事が出来る状況において自由を感じる。 逆に自己のロジックに従えない状況に不自由を感じる。 もちろん、実際に身体的な行動は受動的に動いていても、思考だけでも自己のロジックを駆動させる事が出来ればそこには自由が発生する。 つまりマニュアルどおりに労働に従事していても、そこから得られる情報(視覚、聴覚、嗅覚など身体的感覚を通じて得られる情報)に対して能動的に思考を働かす事が出来る状態であれば自由を感じるというわけだ。
ゆえに考える。 僕は考える事で自由になるのだ。
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