いま、ワールドカップを見ている。 そして、思うのはサッカーを知らない人がこれを見て深夜に、明日も仕事があるのにバカ騒ぎしているのは何がしたいのだろうかと考え込んでしまう。から、日記を書いてしまう。
ある程度サッカーを知っている人とか、僕も日本代表が普通にいい試合をしているので驚くし、見ていて楽しい。だけど、サッカーを知らない人はこれがどういう試合なのかは分からないだろうし、そうなるとただ騒ぎたいだけなのだろうか?
スポーツバーとかスポーツカフェでバカ騒ぎで男女問わず入り乱れての乱交で盛り上がってビッチ的な感じが楽しいのだろうか?いや、そう考えるとクラブとかライブとかフェスとか行く奴は基本的にビッチって事になってしまうなぁ。
まあ、心も体も解き放って自由になろうぜ!的な感じだと思えば、それも納得できるのだけど、じゃあその先に何があるの?
まさに意味という病に侵されているのは、まぎれもない僕だ。その「意味」とやらの強迫観念に押しつぶされて大事なものをなくそうとしているのは、再犯の僕だ。
そうなのだ。悪いのは僕なのだ。三十路が見えてきたのに、仕事で役職ももらえない僕。年収も300万に満たない僕。給料が上がる見込みもない僕。転職に役立つキャリアもない、どこに行っても販売員という社畜の道しか残されていない僕。このままの生活を続けても何のプロにもなれない僕。
さて、転換しよう。 僕には将来の目標とかやりたい事とかはない。 常にその時々で面白そうだ、自分にも出来そうだと思った事を"やってみる"というスタンスでやってきた。
今のところは毎回が敗戦だけど、それでも残る物はあったと思うし、残す努力もある程度はしてきた。ぬか喜びと自己嫌悪の繰り返しでも、少しでも前に進めてきた気がする。
自己満足的には充実した人生だった。けれど、それはやっぱり自己満足だったのだろうか。クーガーのように生きようと思って、それをやってみた。その結果が現状なので、恨むべきは自分なのだけど、しかし、それにしても今の僕から彼女を抜くと何も無くなる。
もちろん、仕事も収入も速いバイクもあるのだけど、生きる基準が無くなるのが最たる問題だ。別れたとして、さて何をしたものか?と途方に暮れてしまう。
やりたい事も将来の夢も目標も無い。 そう、僕にはするべき事がないのだ。 まあ、だからいつまで経ってもたいして成長しないのもしょうがいなのかな、と諦めが忍び込んできている。 とても危険な状況。
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