みかんのつぶつぶ
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2002年10月26日(土) 履歴

がんセンターへ転院をすることは、私には術前の面談で医師から告げられていたことであった。治療は手詰まり状態であるということ、腫瘍の成長によっては2、3ヶ月で逝ってしまうかも知れない状況であるということ。それら全ては彼に伝えないでいた。最期まで。

がんセンターへ転院して間もなく、左腕と左足の脱力が始まった。頚髄の腫瘍が大きくなり、神経を圧迫しはじめたため。それでもまだ左手の指先だけは動いていて、握力は弱いものの掴める範囲ではあった。左足はひきずるようにでも歩ける状態であったが、抗がん剤他の点滴をひいて歩くためとても危険だった。彼がそのような状態をどれだけ把握できていただろう。どうしても自由に動きたい気持ちが強く、とうとうナースステーションの前へ病室を変更し監視されるようになった。点滴には大きな鈴がつき、ベッドの下、足を下ろす床面にはセンサーマットを敷かれて安全策をとっていた。

抗がん剤投与1クール、2クールと回数を重ねるたびに投与後の副作用が大きくなり、白血球の減少も増えた。彼の場合、抗がん剤投与中は比較的副作用が出ることはなく、身体のだるさはあるものの、吐き気や悪心もなく加熱食も残さず食べている状態だった。もともと点滴嫌いであったため、拘束されているという感が強く出て、投与中はますます病室に居ることを嫌い落ち着きがなくなる状態で、これには私も随分と悩まされた。抗がん剤を投与すると身体のだるさが強く、脱力が増してベッドから車椅子へ移る作業が困難になるからだ。そして点滴機材の設置も車椅子へ設置しなおさなければならないからだ。
しかし今思えば、そんな苦労は彼が生きていた尊い証しだった。一緒に生きた時間だったのだ。

抗がん剤投与後は、必ず彼は昏睡に陥った。2日、3日と食事もせず眠ったままになってしまう。その時期を過ぎるとまた体力が回復し、左半身の脱力感も少しは緩和されて自力で立っていられるほどになる。だが左腕は、全て機能しなくなっていた。幸か不幸か、この時点で脳腫瘍の影響はなく、頭脳は明瞭だった。酷な日々だった。動かない左腕をもどかしそうにしている姿に、かける言葉がなかった。

彼の脊髄には、首の部分と腰の部分に腫瘍があった。首が頚髄、腰が腰髄。腰髄の腫瘍が神経を圧迫すると、排泄のコントロールができなくなる。便意が弱くなれば定期的に浣腸をし、尿意が弱いのでウロサックを装着することになる。

腫瘍による痛みを抑えるために、MSコンチンを服用していた。モルヒネだ。この薬を服用すると副作用として代表的なのは便秘である。このため、彼はしばしば長時間トイレで時間を過ごすことで苦労をしたものだった。

脳腫瘍患者にモルヒネを投与することはめったにない、副作用による脳への影響が大だからだ。だが、彼には脊髄に腫瘍があるための疼痛に処方されていた。医師や看護士さんらの管理のおかげで、痛みのコントロールは順調にできていて、元気がよければとても快適に過ごすことができた。入浴も毎日できていたし、食べたい物を食べ、喫煙に行ったり喫茶室でお茶を飲んだりと過ごしていた。




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