みかんのつぶつぶ
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抗がん剤治療は諸刃の剣だった。だがやめるわけにはいかなかった。治療を中止するためには、彼に全てを告知しなければならない。不自由になった身体を受けいれようと過ごしている彼に、治療の効果はない、先は短いということを相談しなければならいのだ。それまでも再発、転移と告知されてきた彼に、死ぬまでこのまま過ごせと、誰が云えるだろう。闘病に付き添っていた私には、告知したあとの彼を支える自信がなかったし、精神的な苦痛を与える行為は避けたい気持ちでいっぱいいっぱいだった。
抗がん剤の効果が思わしくなく、最後の手段として全脊髄への放射線照射を試みた。効果はすぐに現われた。痛みも治まり、脱力した足に力が蘇えってきた。放射線科へ通う日々は、彼に希望を与えた。病室ばかりにいる日々のなかで、治療へ行くという光と目標だった。歩行の練習もした。だが、そんな日々は、まもなくままならなくなってしまった。
彼の精神が崩壊していった。外泊してきた自宅を認識できなくなっていた。ベッドの上で、静かに狂っていった彼の内面。ここは自分の家ではないと焦燥した彼の表情が、私と子ども達の心に影を落とした。私は打ちのめされた。そばにいて救うことができない自分の行為を悔いはじめていた。
彼が受け入れることができないこと、それは不自由な自分の身体。 あれはうちの時計だね、だけどここは家じゃないという彼を怖いと感じた。こんなところには居られない、出かけるから車の鍵を出せという必死な形相の彼に言葉が出なかった。 入院によるストレス、病状を受け入れるために葛藤する心、彼の精神バランスはギリギリだったのだ。時間的確立がない、と診断された。彼のなかで病院は職場になった。だからここへ居なければならないという理由を彼自身でつくった。その頃は夜11時頃まで私に電話をしてきた。どうして俺はここにいるのか教えてくれ、という叫びだった。ベッドの上から携帯でかけてくる彼。彼は正常なのだ。だけど異常なのだ。苦しい日々だった。 彼には精神薬セレネースが処方された。効果はすぐにあらわれた。夜もぐっすり眠れるようになり、それまでの苦悩していた姿がまぼろしだったかのように落ちついた。彼が彼に戻った。だが、病状は深刻になっていた。同時にそれまでの治療による副作用も彼の脳に現われていたのだった。
そのようななかで私を救ってくれたのは、医師が私の話しに耳を傾けてくれることだった。看護士さん達が私の状態までも気にかけて言葉をかけてくれることだった。 ご主人のためにどうしてそこまでできるのか、という質問を受けた。興味本位ではなく、私の内面に触れようとしてくれる問いかけだった。
彼が今を快適に楽しく過ごして欲しいから。 病気でいる日々でも、何かできることがあったらできるだけやってみよう、 不自由でも工夫して快適にしよう、 私にできることはそれしかないから。
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