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みかんのつぶつぶ DiaryINDEX|past|will
駅のホームへ立ったとき、とても切なくなるのが癖になった。 がんセンターへ行くには上りホーム。 お墓へ行くには下りホーム。 どちらへ行っても彼が待っていることには変わりないと思い。 私を必要としなければならなかった彼が悲しかった。 他人に世話をかけず後指をさされず過ごしてきた彼が、他人の手を借りなければならないことをどんなにか無念に思い苦しんでいたかを噛み締めながら、電車に揺られ。もう一度、骨壷を抱かせてもらえないだろうかと願った。重みを感じたいという欲求にかられる。私を必要とする彼は、子どもに帰ったような愛らしさを持っていた。病がそうさせていたとはいえ、どんどんと純粋になる彼の姿は、私を落胆させるどころか、守らなければという責任感を強く抱かせた。と同時に、私のなかで後悔という文字が私の動きを鈍く鈍くさせた。 それは、死を迎えるという過程に関わっているということへの現実逃避だった。 寺の門をくぐると、梅の香り。弘法大師の静かな顔。 墓石のまわりには、枯葉が散り落ち。暖かそうに布団に包まれ静かに眠る彼の姿を描いているようだった。息子の受験のことや、娘のバイトのこと、みんな元気でいるから安心するようにと報告をする。煙草に火をつけ、線香と一緒に煙が立ち昇る様子をただただ見つめた。 二年前の今日は、病室にチョコレートを持っていった。前日の13日に再入院をし、少しでも笑顔が見たくて。 「もしかしたら、孫の顔が見られないんじゃないかなあ・・・」 入院する前日に、うつむきながら呟いた姿と声が悲しいよ。 なんであのときに、もっと優しい言葉をかけてあげられなかったのだろうか。 なに馬鹿なこと言ってるの、なんて、月並み過ぎる自分の言葉が心の底に釘を刺す。 いまだから、泣いてもいいんだよね? この世に神さまはいない。 神さまは空の上にいる。
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