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0813
2008年09月30日(火)




 自然から切り離されて芯の定まらないまま漂泊を続けている。夜から夜へ、寝床から寝床へ。淫蕩と放埒の果てに迎える朝は胸苦しく、気管に綿が詰まったような息切れが一層心と身体を重くする。朝が清々しいものだと最後に感じた日を思い出せない。狂騒と停滞の振幅が大きいほど哀しみも深く、激情に突き動かされて身の危うさを感じるが早いか、感情の空白地帯に右も左も分からぬまま取り残される。

 どうすれば満足する?二十歳の軽蔑が今となっては心地良く、明確な信念に貫かれた怒りにはある種の憧憬の念すら覚える。不意に彼の横顔にHっちやKちゃんの面影を見出し、踏み越えて行った人らを今改めて犯しているような気になるが、このもつれ合い絡み合った激情は痛痒すら感じることなく、淡々と処理を進めて絶頂に行き着くまでその手を緩めることがない。





 「もうやめた方が良いよ」シーツの赤い染みが目に入り、ようやく少し救われたような気がした。ひどい有り様に自分を追いやることで救済を得ようとするなんて甘えにもほどがあるが、酒に溺れて紛らわすよりかはきっとましに違いないと言い聞かせ、湿っぽくなるのをしばらくの間許した。

 ちっとも内容が頭に入らないものの活字で目を覆い、まったく心に届かないものの音楽で耳を塞ぎ、それほどまでに鉄壁に防御して守りたいものとは一体なんなのだろう。Tを訪問したついでに乗る関西の列車の牧歌的な雰囲気は、一触即発の気を身にまとって乗り込む都心の風情とあまりにかけ離れていた。そればかりか、抜き身の刃をぎらつかせているのがひどく無粋に思われ、張り詰めているものの内容の乏しさに拍子抜けし弛緩するに任せるのだった。

 空気の読めない(KY)人間を厭い、如才なさを強要する風潮が苦手なのだけれど、精神の寛ぎが自然に伝播する場合において僕はこれを容認する。同時に、拡大する一方の孤独を優しく押し止め、自然とのつながりを回復しようとする試みに淡い希望を抱きもしている。





 「塩辛かったですか?」と、申し訳なさそうに女性(夫が厨房で立ち働き、夫婦で営んでいるのだろう)に尋ねられ、そんな顔をして食べていたのかと得心した。最近、なにを食べてもちっとも美味しいと思えない。そのたびに、顔の見えない相手の作ったものを受け付けなくなった時期が頭をよぎり、一瞬ひやりとするのだけれど、それを打ち消すようにTの言葉が降りおりてくる。「不味いと思って食べたら、食べられるもんに失礼やで」そうして、渋々ながら少し食事をしてみようかという気持ちになる。

 Tを蔑ろにする貪欲で底の見えない行為と、唯一無二に愛しく想う気持ちが、だまし絵のように一面に共存している。手綱を握っていてはくれないだろうか。つながりを保つことは難しい。僕はきっと自分を押さえつけられない。


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シネマメディアージュで中島哲也「パコと魔法の絵本」
早稲田松竹で
ポール・トーマス・アンダーソン「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」
ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン「ノーカントリー」

神奈川県立近代美術館 葉山で「生誕100年記念 秋野不矩展」
INAXギャラリーで「クモの網 -What a Wonderful Web!-」

手塚貴晴、手塚由比【ふじようちえん】


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荻原規子「西の善き魔女1 セラフィールドの少女」
「西の善き魔女2 秘密の花園」
「西の善き魔女3 薔薇の名前」
「西の善き魔女4 世界のかなたの森」
「西の善き魔女5 銀の鳥プラチナの鳥」
「西の善き魔女6 闇の左手」
「西の善き魔女7 金の糸紡げば」
「西の善き魔女8 真昼の星迷走」
ダン・ローズ「コンスエラ 七つの愛の狂気」

読了。





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