日々是迷々之記
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一日のうちで、何人の人と関わったのか考えてみた。妹からははがきが来て、近況報告。友達からは電話、メールで飲み会のお誘い。そして、ダンナさんは電話で、三連休の楽しい話をした。
その他、HPを見た友人が久しぶりにメールをくれたり、書き込みをしてくれたり、数えきれない人が私を気にかけてくれている。
普段は能天気でノホホンとしている私がこんなことを考えてしまったのには、理由がある。S先生から意外なことを聞いたのだ。
話は入院中にさかのぼる。かなり初期だ。私は車椅子に乗せられてレントゲン室へ。でも、自分で乗り降りはできず、誰かの介添えが必要であった。部屋では看護婦さんが乗せてくれたが、レントゲン室では技師の先生がいるだけだ。何か介添えの仕方が不安で、わたしは車椅子から立つことができなかった。そこでしびれを切らした技師の先生は、リハビリ室に応援を求めた。すると、S先生が飛んできたのだ。私は安心して、任せることができた。
「そんなこともありましたね。」と会話をするうちに、S先生は言った。
「あのときは、かなり腹が立ちましたね。nao-zoさんにではなくて。まわりに大の大人の、しかも医療者がいるのに、患者さんより先に泣き言をいうんかい!っていうのと、僕が行ったときに、何てあの人たちは言いました?僕の覚えている限りでは『動かすと痛い痛いと言って動かせない。何とかして』というニュアンスのことを覚えています。そして、車椅子に乗るやいなや、そそくさとその場を離れていったことを。患者さんの前で言うことか?することか?しかも、あほみたいにわらっとるし。ということで、本気で腹立ちました。」
私の心の中で、だいぶ片隅に追いやられていたようなことに、腹を立て、一年も心の中に置いていてくれたのだ。
自分の力でがんばって生きているような顔をしているけれど、こうやって見えない気持ちが力になって、助けてくれているのだ。
いとしいひとたちの為に私は何ができるのだろうか? 事故に遭い、失った物より、得た物の方がきっと大きいことに気づくのはこんな夜だ。
みんな、ありがとう。これからもよろしく。
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